20世紀・シネマ・パラダ
イス


|
オーケストラの少女
100 Men and a Girl
監督:ヘンリー・コスター
(1937年/アメリカ)
|

◆ 世界を魅了した「天使の歌声」
当代きっての人気指揮者ストコフスキーのコンサート会場。失業中のトロンボーン奏者ジョン・カードウェルは、無断で舞台裏に潜入していた。 |
コンサートが終わって楽屋へ戻ってきたストコフスキーに、ジョンは仕事を求めて直談判したが、ストコフスキーのマネージャーに追い返されてしまった。 |
意気消沈して家路についたジョンは、劇場前で婦人用のバッグを拾い、管理事務所へ届けに行った。しかし、ジョンの顔を覚えていた管理人は、また求職に来たものと早合点して、ジョンを追い払った。
重い足取りでアパートに着いたジョンは、大家に立ち退きを宣告され、思わず拾ったバッグから滞納していた家賃を払ってしまった。その様子を見ていた娘のパッツィ (パトリシア)は、父親が楽団に採用されたと思い込んで大喜び。ジョンは本当の事を言いそびれてしまった。
|
ジョンが楽団に採用された聞いて、隣人のマイケルが祝福に来た。彼も失業中のフルート奏者だ。ジョンはマイケルには事実を打ち明けた。 |

|

|
大家の部屋でジョンのために祝賀会が開かれ、パッツィは皆の前で歌声を披露した。
|
翌朝。パッツィがジョンのリハーサルについて行くと言い出した。ジョンは、「見られると緊張するから」と言って1人で出かけた。しかし、父親の演奏を見学したいパッツィは、後からこっそり劇場へ向かった。 |
劇場の管理人から昨夜の事実を聞かされたパッツィは、信じられぬ思いでオーケストラの中に父親の姿を捜したが、トロンボーンを演奏しているのは見知らぬ顔ばかりだった。
|
日中、酒場でマイケルと時間を潰していたジョンが帰宅すると、パッツィに泣かれてしまい、全てを打ち明けた。
パッツィは、父が拾ったバッグの中から持主が判るメモを見つけ、届けに出かけた。 |

|
バッグの落とし主フロスト夫人は
謝礼として200ドルを払うと申し出たが、パッツィは家賃の52ドルと車代の10セントだけでよいと言って帰ろうとした。フロスト夫人はそんなパッツィを気に入ってパー
ティーに招待した。 |
夫人たちとの会話の最中に、失業者で楽団を作ることを思い立ったパッツィに対して、フロスト夫人はスポンサーになることを請け負い、夫のラジオ局でその楽団の演奏を放送することも約束してくれた。 |

|
パッツィは大急ぎで父親のところへ行き、フロスト夫人の話をしたが信じて貰えない。パッツィはその場でフロスト夫人に電話をかけ、マイケルも夫人の返事を確認した。漸く信用したジョンは、駄目で元々、楽団を作る決意をした。 |
ジョンのもとには失業中の楽士が集まり、その数はついに100人となった。近所のガレージを借りてリハールを始めることになり、パッツィはガレージの賃料等を借りるためにフロスト夫人の家へ行った。ところが、夫人は欧州へ旅行に出かけてしまっていた。 |
パッツィはご主人のフロスト氏のところへ向かった。パッツィから初めて話を聞いたフロスト氏は大いに困惑した。 |
フロスト氏はリハーサル会場へ乗り込み、これまでの経費は精算するが、今後は一切出資しないと通告した。「無名の楽団は金にならない。実力よりも名声だ…」。怒ったジョンはフロスト氏を殴った。 |
パッツィはストコフスキーに指揮を頼もうと思い立ち、リハーサル中の劇場に侵入したが管理
人に捕まってしまった。管理人が目を離した隙にパッツィは楽屋に隠れた。その時、新聞社から電話がかかってきて、受話器を取ったパッツィは、ストコフス
キーが失業者の楽団を指揮し、そのスポンサーはフロスト氏だと口走ってしまった。 |
マネージャーに見つかってしまったパッツィは、最後の手段として、自分の歌声でストコフスキーの注意を引くことにチャレンジした。 |

|
|
モーツァルトの ♬
「ハレルヤ」 を唄うシーン
|
ストコフスキーはパッツィの歌声に感心し、話を聞いてくれた。パッツィは一晩だけでも失業者の楽団の指揮を執るように頼んだ。しかし、
ストコフスキーは次の公演が終わったら休暇で欧州へ行く予定が決まっており、体が空くのは半年後であるとのことだった。夢破れたパッツィは、その日の夜、
自宅で泣き崩れた。 |
その日の夕刊に、ストコフスキーが失業者の楽団の指揮を執る予定で、そのスポンサーはフロスト氏であるとの記事が出た。新聞を読み、初めは怒り心頭だったフロスト氏だが、知人たちがこの企画は成功間違いなしだと話すのを聞いて、大慌てでジョンのところへ駆けつけた。 |
ジョンはフロスト氏とスポンサー契約を交わした。しかし、パッツィから事の真相を聞かされ、失業者の楽団員はみんな頭を抱えてしまった。 |
その日の夜。自宅でピアノに向かい作曲をしているストコフスキーの前に、屋敷に忍び込んだパッツィと、各々楽器を携えた失業者の楽団員100人が現れた。パッツィの合図で楽団員が演奏を始めると、初めはあ然としていたストコフスキーだったが…。 |
◆ 主な出演者など
 |
パッツィ役 …
ディアナ・
ダービン
ジョン役 … アドルフ・マンジュー
ストコフスキー役 … レオポルド・ストコフスキー
マイケル役 … ミーシャ・オウア
フロスト夫人役 … アリス・ブラディ
フロスト氏役 … ユージン・ポーレット
|
・前年(1936年)、『天使の花園』の大ヒットで一躍人気スターとなったディアナ・ダービンが、前作と同じ製作者のジョー・パスターナク、ヘンリー・コスター監督と組んだ作品。世界中で前作を上回る大ヒットとなった。
(右の写真)左から、ヘンリー・コスター監督、ディアナ・ダービン、ジョー・パスターナク |
|
 |
 |
・当時、名指揮者として人気のあったレオポルド・ストコフスキーが、自身のフィラデルフィア管弦楽団と共に出演したことも話題になった。
ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団は、ディズニー映画『ファンタジア』(1940年)の音楽を担当したことでも知られている。また、ストコフスキーは、グレタ・ガルボとの仲が噂になったこともあった。
(左の写真)左から、ミーシャ・オウア、ストコフスキー、ディアナ・ダービン、アドルフ・マンジュー |
・アカデミー賞の作品賞など5部門でノミネートされ、作曲賞を受賞。大人から子供まで楽しめるファミリー向け映画の秀作です。
(右の写真)左から、ミーシャ・オウア、ディアナ・ダービン、アドルフ・マンジュー |
 |
◆ ピック・アップ … ディアナ・ダービン
|
Deanna Durbin
1921-2013 (カナダ/アメリカ)
・1921年、カナダ生まれ。彼女が1歳の時に家族でカリフォルニア州に移住。
・10歳の頃からボイス・レッスンを受けており、14歳の時に、若手のオペラ歌手を探していたMGM社のオーディションに合格し、同社と契約。 |
・1936年、1歳年下のジュ
ディ・ガーランドと共演した短編映画『Every Sunday』で銀幕デビュー。MGM社のルイス・B・メイヤーは、同じ年頃の少女スターは2人も必要ないと思い、「太った方 (
ジュディ・ガーランドのこと)をクビにしろ」と命じたが、部下のアー
サー・フリードが間違ってダービンをクビにした、との伝説が残っている。
(右の写真)ジュディ・ガーランド (手前) と
|

|

|
・その後、ユニヴァーサル社と契約して出演した『天使の花園』(1936年)、『オーケストラの少女』(1937年)が大ヒット。「天使の歌声」と絶賛され、キャラクター商品が出るほどの人気スターとなった。
当時、経営難だったユニヴァーサル社は、ダービンによって救われたとも言わている。
(左の写真)『オーケストラの少女』 出演時 |
・1938年度のアカデミー賞で、ミッキー・ルーニーと共に特別賞を受賞。
(右の写真)エドガー・バーゲンから、子役用の小さいサイズのオスカー像を受け取るディアナ・ダービン
・21本目の長編映画『恋ごころ』(1948年)を最後に28歳の若さで引退。以後、
度重なるカムバックのオファーを全て辞退し、マスコミの前に姿を現す事はなかった。
|

|
・昭和の「今太閤」
こと田中角栄元総理大臣が彼女のファンで、軍に入隊している時にポケットにダービンの写真を入れているのを上官に見つかり、死ぬほど殴られた、とのエピソードを残している。
・「アンネの日記」
のアンネ・フランクが彼女のファンで、隠れ部屋の壁にはダービンの写真が貼られていた。 |
(上の写真)『私はあなたのもの』(1947年)で、10年ぶりにアドルフ・マンジューと共演。2人が手にしている写真は、『オーケストラの少女』の時のもの。 |
|