20世紀・シネマ・パラダイス
アンジェイ・ワイダ
Andrzej Wajda
1926-2016 (ポーランド)
◆
代表作
地下水道
Kanal
(1957年/ポーランド)
灰とダイヤモンド
Popiot i diament
(1958年/ポーランド)
約束の地
Ziemia obiecana
(1975年/ポーランド)
大理石の男
Czlowiek marmuru
(1977年/ポーランド)
鉄の男
Czlowiek z Zelaza
(1981年/ポーランド)
カティンの森
Katyn
(2007年/ポーランド)
◆
大国に蹂躙された祖国を撮り続けたポーランドの巨匠
・
1926年
、ポーランドのスヴァウキ生れ。第2次世界大戦中は対独レジスタンス運動に従事。陸軍将校だった父親はカティンの森事件
(1940年)
の犠牲者だった。
・1946年、クラクフ美術大学に入学し、絵画を学ぶ 。1949年、ウッチ映画大学に編入し、1953年に同校を卒業。
・助監督を経て、『世代』
(1950年)
で映画監督デビュー。ナチス・ドイツ占領下のポーランドで、10代の若者たちがレジスタンス運動に身を投じていく様を描いた。後に映画監督となるロマン・ポランスキーが出演している。
(右の写真) 『世代』 ロマン・ポランスキー(中央)
・『地下水道』
(1957年)
… ワルシャワの武装蜂起
(1944年)
で地下水道へと敗走した国内軍兵士やレジスタンスの若者たちの末路を描いた。
カンヌ国際映画祭の審査員特別賞、モスクワ世界青年平和友好映画祭の青年監督賞を受賞。出世作となった。
(左の写真) 『地下水道』
・『灰とダイヤモンド』
(1958年) …
ドイツ降伏後のポーランドを舞台に、反ソ派 (ロンドン亡命政府派) のテロリストとなった若者の悲劇を描いた。
国内の検閲では、主人公がゴミ捨て場で死ぬラストは反政府テロの空虚さを示すとして上映許可が出たが、西側諸国では反ソを暗喩した作品として絶賛された。ヴェネツィア国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞。
(右の写真) 『灰とダイヤモンド』 ズビグニエフ・チブルスキー
・上記3作品は ‟
抵抗 (レジスタンス) 3部作
” と呼ばれるようになった。そして、ワイダ監督は当時の映画界を席巻した ‟
ポーリッシュ・リアリズム
” を代表する存在となった。
*
ポーリッシュ・リアリズム … イタリアのネオレアリズモに対し、ポーランド派とも言われている。
(左の写真) 『地下水道』 撮影時のアンジェイ・ワイダ監督
・全5話から成るオムニバス 『二十歳の恋』
(1962年)
のワルシャワ編、67年に事故死したズビグニエフ・チブルスキーを追悼した 『すべて売り物』
(1968年)
、モスクワ国際映画祭の監督賞を受賞した 『白樺の林』
(1970年)
等々を監督。
(右の写真) 『すべて売り物』 撮影時のアンジェイ・ワイダ監督
*
『二十歳の恋』 … 他の4話は、
フランソワ・トリュフォー
(仏)、
ロベルトロッセリーニ
の息子(伊)、石原慎太郎(日)、
マックス・オフュルスの息子(独) が監督した。
・『約束の土地』
(1975年)
… 19世紀末のポーランドの工業都市を舞台に、夢を誓い合った3人の野心的な青年たちの行く末をシニカルに描いた。
モスクワ国際映画祭の金賞を受賞。
(左の写真) 『約束の土地』
・ポーランド国内では経済状況の悪化に伴い労働運動が激化。1980年には社会主義国としては初の労働者による組合、独立自主管理労働組合
「連帯」
が結成された。
・『大理石の男』
(1977年)
… 暗黒の時代とされている1950年代に労働者の英雄と謳われた男。映画学校の女学生はその男のドキュメンタリー映画を撮ることを思い立ち、奔走し始めたが…。
人口が日本の約1/3のポーランドにおいて、3ケ月で270万人も動員した。
当時の政府は国外上映を禁じたが、カンヌ国際映画祭で覆面上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞した。
(右の写真) 『大理石の男』
・『鉄の男』
(1981年) …
『大理石の男』 の続編。造船所のストライキのリーダー
(前作の労働者の英雄の息子)
を失墜させるため、国営放送局のニュース・レポーターが造船所に潜り込むが…。
カンヌ国際映画祭のパルム・ドール大賞を受賞した。
(左の写真) 『鉄の男』
・1981年、ポーランド政府が反政府運動を壊滅させるため
戒厳令
を布告
(〜1983年)
。
・フランスで 『ダントン』、西ドイツで 『ドイツの恋』
(1983年)
を監督。『ダントン』 はセザール賞の監督賞、英アカデミー賞の外国語映画賞等を受賞した。
戒厳令が解除されると祖国へ戻った。
(右の写真) 『ダントン』 撮影時。
・1989年、ポーランドが民主国家に。
・社会主義時代には検閲で描くことが出来なかったという作品、『コルチャック先生』
(1990年)
、『鷲の指輪』
(1992年)
、『聖週間』
(1995年)
等を監督。
・坂東玉三郎主演の 『ナターシャ』
(1994年)
… ドストエフスキーの 「白痴」 をベースにした作品。
1980年、『大理石の男』 のPRで初来日した際、玉三郎の舞台を鑑賞して本作のことを思い立ったという。
1989年、東京で玉三郎主演の舞台 「ナターシャ」 を演出。その舞台劇の映画化作品。
(左の写真) 『ナターシャ』 撮影時。坂東玉三郎と
・京都賞を受賞
(1997年)
した際の賞金を元に、ポーランドのクラクフに日本美術・技術センターを設立するなど、日本の美術、伝統芸能を愛した知日家でもあった。
2000年、アカデミー賞の名誉賞を受賞。プレゼンターはジェーン・フォンダ。
・その他、セザール賞の名誉賞
(1982年)
、高松宮殿下記念世界文化賞
(1996年)
、ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞
(1998年)
、ベルリン国際映画祭の名誉金熊賞
(2006年)
等々、多数の賞を受賞。
・『カティンの森』
(2007年)
、『ワレサ 連帯の男』
(2013年)
等、最晩年まで映画を撮り続け、『残像』
(2016年)
が遺作となった。
(右の写真) 『カティンの森』
・晩年の写真を見ると如何にも好々爺といった感じで、この人が 『地下水道』 や 『灰とダイヤモンド』 といった厳しい映画を撮った監督か? と
思ってしまう。穏やかな顔は、祖国の民主化、自由化によってもたらされたのかも知れませんね。
・
2016年
、
90歳
で他界。
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