20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Jean-Luc_Godard

ジャン=リュック・ゴダール

Jean-Luc Godard

1930-     (フランス/スイス)

Megaphonrbar

  ◆ 代表作

A_bout_de_souffle
 勝手にしやがれ
 A bout de souffle
 (1960年/フランス)
Vivre_sa_vie
 女と男のいる舗道
 Vivre sa vie :
   Film en douze tableaux
 (1962年/フランス)
Le_Mepris
 軽蔑
 Le Mepris
  (1963年/仏・伊)
Alphaville
 アルファヴィル
 Alphaville, une etrange
  aventure de Lemmy Caution

 (1965年/仏・伊)
Pierrot_Le_Fou  気狂いピエロ
 Pierrot Le Fou
 (1965年/仏・伊)
Histoire(s)_du_cinema
 ゴダールの映画史
 Histoire(s) du cinema
 
(1998年/フランス)

   
     ◆
 ヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品 『勝手にしやがれ』 を監督

 ・1930年、パリ生れ。父親はフランス人で、母親はスイス人。父親は銀行家で裕福な家庭だった。
 ソルボンヌ大学 (後に中退) 時代にシネクラブのカルティエ・ラタンに通い始め、フランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェット等と知己になる。1950年から映画批評を執筆し始め、「カイエ・デュ・シネマ」 誌 (1951年創刊) でも執筆。1954年から1958年までに5本の短編映画を撮った。

 ・初の長編 『勝手にしやがれ』 (1960年) を監督。トリュフォーの原案を元にゴダールが脚本を執筆。世界中の映画人たちに多大な影響を与えたヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品となった。本人曰く 「この映画の成功は余りにも大き過ぎ、幸運であった同時に大きな苦痛をもたらした…」 とも。
 ベルリン国際映画祭の銀熊賞(監督賞) を受賞。
 (右の写真) 左から、ゴダール監督。ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ
Breathless_1960

A_Woman_Is_a_Woman_1961
 ・2作目 『小さな兵隊』 (1960年製作/1963年公開) でヒロインを務めたアンナ・カリーナと結婚 (1961年)
 3作目、自身初のカラー作品となるコメディ 『女は女である』 (1961年) でベルリン国際映画祭の審査員特別賞を受賞。ヒロインを務めた妻のアンナ・カリーナに同映画祭の銀熊賞 (女優賞) をもたらした。
 (左の写真) 『女は女である』 撮影時。アンナ・カリーナと

 ・オムニバス映画 『新七つの大罪』 の第5話 「怠惰の罪」 (1962年) を撮った後、『女と男のいる舗道』 (1962年) を監督。同作はヴェネツィア国際映画祭の審査員特別賞を受賞した。
 (右の写真) 『女と男のいる舗道』 撮影時。アンナ・カリーナと
Vivre_sa_vie_1962

                             『軽蔑』 (1963年) 撮影時
Le_Mepris_1963
Le_Mepris_1963-2.
ブリジット・バルドー
左から、ミシェル・ピコリ、フリッツ・ラング
ジャック・パランス、ゴダール監督


Alphaville_1965
 ・9作目の長編、SF仕立ての犯罪映画 『アルファヴィル』 (1965年) はベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞。
 (左の写真) 『アルファヴィル』 撮影時。エディ・コンスタンティーヌ(左)、
  アンナ・カリーナと


 ・『気狂いピエロ』 (1965年) は、ジャン=ポール・ベルモンドと組んで、再び愚か者の生き様・死に様を描いて人気作品に。
 (右の写真) 『気狂いピエロ』 撮影時。ジャン=ポール・ベルモンド(右)と
Pierrot_le_fou_1965

 ・1965年、アンナ・カリーナと離婚。離婚後も 『メイド・イン・USA』 (1966年)、オムニバス映画 『愛すべき女・女たち』 の第6話 「未来展望」 (1967年) では彼女がヒロインを務めた。

La_Chinoise_1967
 ・『中国女』 (1967年) がヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞。
 同作でヒロインを務めたアンヌ・ヴィアゼムスキーと再婚 (1979年に離婚)
 そして、『ウイークエンド』 (1967年) を最後に商業映画との決別を宣言した。
 (左の写真) 『中国女』 撮影時。アンヌ・ヴィアゼムスキーと

 ・1968年、「シネマテーク・フランセーズ」 の運営への政府の介入、パリ五月革命などをきっかけに、カンヌ国際映画祭の粉砕を主張し、映画祭を中止させた。
 (右の写真) 左から、クロード・ルルーシュ、ジャン=リュック・ゴダール、
  トリュフォー、ルイ・マル、ロマン・ポランスキー。1968年、カンヌにて
Cannes_1968

One_Plus_One_1968
 ・ローリング・ストーンズとコラボした 『ワン・プラス・ワン / 悪魔を憐れむ歌』 (1968年) は、ゴダールが活動資金を得るために撮ったとも言われている。
 その後、同志たちと 「ジガ・ヴェルトフ集団」 名義で政治的なメッセージ映画を9本撮った。
 (左の写真) ゴダール監督 (手前) とローリング・ストーンズ。左から、キース・リチャーズ、
  ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズ、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ


 ・「ジガ・ヴェルトフ集団」 解散 (1972年) 後も非商業的な作品を撮り続けていたが、『勝手に逃げろ / 人生』 (1979年) で12年ぶりに商業映画に復帰。
 『カルメンという名の女』 (1983年) はヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞した。
 (右の写真) 『カルメンという名の女』 マルーシュカ・デートメルスとゴダール (出演シーン)
Prenom_Carmen_1983

Anne-Marie_Mieville
 ・その後、『ゴダールのマリア』 (1985年)、『右側に気をつけろ』 、『ゴダールのリア王』 (1987年)、『新ドイツ零年』 (1991年)、『ゴダールの決別』 (1993年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』 (1996年) 等を撮り、10年の歳月をかけた全8章から成る 『ゴダールの映画史』 (1998年) を完成させた。
 (左の写真) 1973年から公私ともにパートナーとなったアンヌ=マリー・ミエヴィルと

 ・21世紀に入ってからも、『愛の世紀』 (2001年)、『アワーミュージック』 (2004年)、『ゴダール・ソシアリスム』 (2009年)、『さらば、愛の言葉よ』 (2014年)、『イメージの本』 (2018年) を撮っている。

 ・ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞 (1982年)、セザール賞の名誉賞 (1998年)、高松宮殿下記念世界文化賞 (2002年)、アカデミー賞の名誉賞 (2010年) 等を受賞。


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