20世紀・シネマ・パラダ イス

filmbar
An_American_in_Paris

     巴里のアメリカ人
     An American in Paris
     監督:ヴィンセント・ミネリ
     (1951年/アメリカ)
filmbar

 
 MGM社 ミュージカルの代表作

 パリで画家として生計を立てているアメリカ人のジェリーは、友人のピアニストアダムを介し て、ミュージック・ホールの人気歌手アンリと知り合った。 An_American_in_Paris-1

 ジェリーがモンマルトルの路上で絵を展示していると、アメリカ人の婦人ミロが絵を買い求めて きた。お金持ちのミロは、絵よりもジェリーに興味を覚え、パトロンになると申し出た。
An_American_in_Paris-2 An_American_in_Paris-3

An_American_in_Paris-4  ジェリーとミロはジャ ズ・クラブへ出かけた。ジェリーは、その店に来ていたフランス人娘リズに一目惚れ。強引にダン ス に誘い、電話番号を聞き出した。

 ミロは、ジェリーを画家として成功させることで囲い込もうと奔走していた。
 リズは、ジェリーの強引さに腹を立てていたが、彼に猛アタックされてデートの約束をした。
An_American_in_Paris-5 An_American_in_Paris-6


  


youtube
 『巴里のアメリカ人』 予告編



  主な出演者など

An_American_in_Paris-15
ジェリー役ジーン・ケリー
リズ役 … レスリー・キャロン
アンリ役 … ジョルジュ・ゲタリ
ミロ役 … ニーナ・フォッシュ
アダム役 … オスカー・レヴァント

 ・作曲家のジョージ・ガーシュウィンが1928年に発表した「パリのアメリカ人」 をモチーフにした映画。全編に渡ってガーシュウィンの曲が使用されているが、彼は1937年に38歳の若さで亡くなっており、映画製作者のアーサー・フリードは、ガーシュウィンの兄で作詞家のアイラ・ガーシュウィンから楽曲の使 用許可を得て、アラン・ジェイ・ラーナーがストーリーを執筆した。
 (右の写真)作曲家のジョージ・ガーシュウィン
George_Gershwin
  * アラン・ジェイ・ラーナー … 『恋の手ほどき』(1958年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)等の脚本家

An_American_in_Paris-16
 ・リズ役は、バレエの素養があるフランス人女優のオディール・ヴェルソワ(女優マリナ・ヴラディの実姉)が第1候補だったが、フランスで舞台に出演していたレスリー・ キャロンをジーン・ケリーがスカウト。本作で華々しい銀幕デビューを果たした。
 (左の写真)我が愛はここに」をバックに踊るジーン・ケリーとレスリー・キャロン

 ・アダム役には、ガーシュウィン兄弟と親交のあったオスカー・レヴァントが起用された。「ピ アノ協奏曲へ調」 のシーンでは、1人で何役もこなして見せたが、実際にピアニスト、指揮者、作曲家、作家、司会者、俳優として活躍した多才な人物だった。本作撮影中、ス タッフの間では、レスリー・キャロンと顔が似ていると評判だったとか。
 (右の写真)Tra-La-La」を唄うジーン・ケリー(左)、オスカー・レヴァント
An_American_in_Paris-17

An_American_in_Paris-18
 ・アンリ役は、当初はもう少し年上の設定でモーリス・シュヴァリエが候補だったが、ブロードウェイの舞台に出演していた ジョルジュ・ゲタリが抜擢された。ソロで「天国への階段」、ケリーとのデュエットで「ス・ワンダフル」 等を唄ったが、本作出演後は欧州の舞台を中心に活動したため、現在の日本で彼の姿が見られる映像は本作だけ。
 (左の写真)ス・ワンダフル 」を唄うジーン・ケリー(左)とジョルジュ・ゲタリ 

 ・クライマックスはラストの17分に及ぶダンス・シーン。デュフィ、マネ、ユトリロ、ル ソー、ゴッホ、ロートレックの絵画の世界をイメージしたセットを作成するのに6週間を要し、その間、ヴィンセント・ミネリ監督は『可愛い配当』(1951年)を撮影し、ジーン・ケリーはダンサー達とリハーサルに励んだ。
 (右の写真)ユトリロの絵画の人物に扮したジーン・ケリー
An_American_in_Paris-19

An_American_in_Paris-20-2
 ・アカデミー賞の作品、脚本、撮影、 美術監督・装置、ミュージカル映画音楽、衣装デザインの6部門を受賞。カラー映画の作品賞受賞は、『風と 共に去りぬ』(1939年)以来の2作目だった。また、アーサー・フリードにアーヴィング・G・ タルバーグ賞、ジーン・ケリーに名誉賞が贈られた。
 (左の写真)左から、レスリー・キャロン、ジーン・ケリー、ヴィンセント・ミネリ監督

 ・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した 「アメリカ映画100年ベスト100」で第68位に。

 ・AFI(アメリカ映画協会)が2006年に選定した「ミュージカル映 画ベスト25」(2006年選定)で第9位に。
 (右の写真)撮影時のレスリー・キャロンとジーン・ケリー
 

An_American_in_Paris-21


An_American_in_Paris-24
An_American_in_Paris-25
An_American_in_Paris-26

An_American_in_Paris
An_American_in_Paris-28
An_American_in_Paris-29


  ピック・アップ … レスリー・キャロン

Leslie_Caron
 Leslie Caron  1931-     (フランス/アメリカ)

 ・1931年、フランス生れ。父親はフランス人、母親はアメリカ人。

 ・シャンゼリゼ・バレエ団のプリマドンナとして舞台に出演しているところをジーン・ケリーにスカウトされ、『巴里のアメリカ人』(1951年)で銀幕デビュー。

 ・ミュージカルの人気スターとなり、『リリー』(1953 年)、『足ながおじさん』(1955年)、『恋の手ほどき』(1958年/監督:ヴィンセント・ミネリ)等でヒロインを務めた。
An_American_in_Paris-22 Lili
『巴 里のアメリカ人』(1951年)
ジーン・ケリーと
『リ リー』(1953年)
Daddy_Long_Legs
Gigi
『足 ながおじさん』(1955年)
フレッド・アステア
『恋 の手ほどき』(1958年)
ルイ・ジュールダンと

 ・『リリー』と『L型の部屋』(1962年/イギリス)で 2度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、オスカーは逃したが、両作品で2度英アカデミー賞の主演女優賞を受賞した。
 (右の写真)『L型の部屋』
The_L-Shaped_Room

 ・1960年代以降は活動の拠点を欧州に移し、映画だけでなく舞台でも活躍。ソ連出身の世 界的な人気バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ、ルド ルフ・ヌレエフとも共演した。
Is_Paris_Burning
Chocolat
『パリは燃えているか』 (1966年)
アラン・ドロン
『ショコラ』 (2000年)

 ・2013年、レジオンドヌール勲章を授かる。


HOME