20世紀・シネマ・パラダ
イス
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グランド・ホテル
Grand Hotel
監督:エドマンド・グールディング
(1932年/アメリカ)
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◆ オールス
ター・キャストで描く人間模様
ベルリンの超一流“グランド・ホテル”での出来事…。
ロシアのバレリーナ、グルシンスカヤ。寄る年波には勝てず、かつ
ての人気は凋落し、人生そのものに疲弊していた。ある晩、彼女の部屋に見知らぬ男が隠れてた。
男はガイゲルン男爵。賭博で借金を負った彼は、グルシンスカヤの宝石を盗もうとして部屋に侵入した
のだった。 |
「愛
しているのでここ
まで来てしまった …」。ガ
イゲルンは言い逃れをしたが、愛
を語るうちに、2人の間に本当に愛が芽生え、一緒に旅立つことを約束した。 |
会社が経営不振の実業家プレイジングは、
他社との合併により乗り切ろうと企てたが窮地に立たされ、ついには不正を働き、取引を成立させた。
彼はタイピストとして雇っていたフレムヘンに
金を与え、一緒に旅行へ行くように誘
い、彼女も同意した。
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プレイジングの会社の帳簿係をクビになったク
リ
ンゲライン。彼は健康を害しており、この世の最後の名残りにと、有金をはたいて超一流ホテルでの生活を満喫していたが、初めて挑んだギャン
ブルで
大金を手にした。
ガイゲルンは隙をついてクリンゲラインの財布を盗み取ったが、彼のあまりの落胆ぶりを見て不憫に思い、財布
を発見したふりをして彼に返した。
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金が必要なガイゲルンはプレイジングの部屋に侵入したが、見つかってしまい、格闘の末に
殺され
てしまった。その事を知ったクリンゲラインは、プレイジングの脅しを一笑し、警察に通報した。
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プレイジングは警察に連行された。クリンゲラインはフレムヘンと意気投合し、2人で新し
い人生をスタートさせるためパリへ旅立った。
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ガイゲルン男爵の遺体はホテルの裏口から運び出された。彼の死を知らないグルシンスカヤ。
男
爵との愛により、再び人生に希望を見出した彼女は、晴れ晴れとした表情で、男爵との約束場所へ向かってホテルを後
にした。
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◆ 主な出演者など
プレイジング役 |
クリンゲライン役 |
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ウォーレス・ビアリー
Wallace Beery |
ライオネル・バリモア
Lionel
Barrymore |
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・ベルリンとブロードウェイで大ヒットした舞台劇の映画化作品。
当時、夜空の
星の数よりも多くのスターを抱えていると謳われていたMGM社の製作者アービング・G・タルバーグが、主
役級
の大スターを5人も投
入。当時としては画期的なオールスター・キャストが評判となり、大ヒットとなった。
(右の写真) ジョン・バリモアとグレタ・ガルボ
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・この作品の成功以後、特定の場所に集まった人たちの人間模様を描く映画を、「グラ
ンド・ホテル形式」と呼ぶようになったことでも有名な作品。
(左の写真) 左から、ライオネル・バリモア、
ジョーン・クロフォード、ウォーレス・ビアリー
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・当時27歳のガルボは、
プリマドンナ役としては無理があるとして、当初は辞退していた。
彼女の台詞「I Want to
be alone」(一人になりたい) は、AFI (アメリカ映画協会)
が2005年に選定した「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」の第30位に。
(右の写真) グレタ・ガルボ
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・クリンゲライン役の第1候補はバスター・キートンだった。
(左の写真)ライオネル・バリモアとジョーン・クロフォード
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・第5回アカデミー賞において作品賞を受賞。監督やスター俳優陣は誰1人と
してノミネートさ
れることなく、作品賞のみノミネートされて受賞した唯一の作品という珍記録を保持している。 |
◆ ピック・アップ … ジョン・バリモア
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John Barrymore
1882-1942 (アメリカ)
・両親とも舞台俳優で、兄のライオネル、姉のエセルはアカデミー賞を受賞した名優。演劇の名門一家の中で、一番人気があったのが末っ子のジョンだった。
・「The Great Profile = 偉大なる横顔」(特に顔の左側)と言われ
た端正なマスクと確かな演技力で、舞台、映画の人気スターとして活躍した。 |
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『グランド・ホテル』
兄のライオネル(左)と |
『Rasputin
and the
Empress 』(1932年)
兄のライオネル(左)、姉のエセルと |
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『晩餐八時』(1933年
/監督:ジョージ・キューカー)
マッジ・エヴァンスと |
『特急二十世紀』
(1934年/監督:ハワード・ホークス)
キャロル・ロンバードと |
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・スターの手形や足形で有名なグローマンズ・チャイニーズ・シアターのブロックタイルに
は、手形、足形と
横顔が刻まれている。
(左の写真) 顔の左側の形を刻んでいるジョン・バリモア
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・私生活では、4度の結婚が全て失敗。飲酒癖が祟って、晩年は不遇だったという。
・1942
年、60歳で他界。
・長男のジョン・ドリュー・バリモアも俳優となり、その娘のドリュー・バリモアが7歳の時に『E.T.』(1982
年)に出演し、脚光を浴びた。
(右の写真) E.T.とジョン・バリモアの孫ドリュー・バリモア
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