20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Jeanne_Moreau.

ジャンヌ・モロー

Jeanne Moreau

 1928-2017(フランス)

 

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   代表作

Ascenseur_pour_l'echafaud
Les_Amants
死刑台のエレベーター
Ascenseur pour I'echafaud
(1958年/フランス)
恋人たち
Les amants
(1958年/フランス)
Moderato_cantabile La_notte-3
雨のしのび逢い
Moderato cantabile

(1960年/仏・伊)

La notte
(1961年/伊・仏)
Jules_et_Jim
Viva_Maria!
突然炎のごとく
Jules et Jim
(1962年/フランス)
ビバ!マリア
Viva Maria !

(1965年/フランス)


    ヌーヴェルヴァーグの恋人と謳われた大女優

 ・1928年、パリのモンマルトルでレストランを経営していたフランス人の父親とイギリス出身の元ダンサーの母親の娘として生れた。

Le_Prince_de_Hombourg-1951-Play
 ・フランス国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)で演技を学んだ後、1947年、名門劇団コメディ・フランセーズに入団。同劇団の最年少女優として舞台デビューした。
 (左の写真)舞台「Le Prince de Hombourg」(1951年)ジェラール・フィリップ

 ・アナベラ主演の『Dernier Amour (1949年)で銀幕デビューを果たすと、2作目の『Meurtres ?(1950年)でヒロインに抜擢されるなど、新鋭の女優として順調にキャリアを積んでいった。
 (右の写真)『現金に手を出すな』(1954年/監督:ジャック・ベッケル)。ジャン・ギャバン
Touchez_pas_au_Grisbi

Ascenseur_pour_l'echafaud-2
 ・『死刑台のエレベーター』(1958年/監督:ルイ・マルで国際的な脚光を浴び、『雨のしのび逢い』(1960年/監督:ピーター・ブルック)でカンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞。フランスを代表する女優の1人となった。
 (左の写真)『死刑台のエレベーター』

Les_Amants-2 Les_liaisons_dangereuses
『恋人たち』(1958年/監督:ルイ・マル)
ジャン・マルク・ボリーと
『危険な関係』(1959年/監督:ロジェ・ヴァディム)
ジェラール・フィリップと
Moderato_cantabile-3 La_notte-
『雨のしのび逢い』(1960年/監督:ピーター・ブルック)
ジャン=ポール・ベルモンド
『夜』(1961年/監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
マルチェロ・マストロヤンニ

 ・名だたる監督たちの作品に出演したが、当時のフランスはヌーヴェルヴァーグ運動の最盛期。彼女にとっては弟のような若いフランス人監督たちの情熱に卓越した演技で応え、‟ヌーヴェルヴァーグの恋人”と謳われるようになった。
 (右の写真)『突然炎のごとく』 (1962年/監督:フランソワ・トリュフォー
Jules_et_Jim-2

Eva
Le_proces
『エヴァの匂い』(1962年/監督:ジョゼフ・ロージー)
『審判』(1963年/監督:オーソン・ウェルズ
アンソニー・パーキンス
Le_feu_follet Le_Journal_d'une_femme_de_chambre
『鬼火』(1963年/監督:ルイ・マル) 『小間使の日記』(1964年/監督:ルイス・ブニュエル

Viva_Maria!-2  ・『ビバ!マリア』(1965年/監督:ルイ・マル)で、英アカデミー賞の主演女優賞を受賞。
 奇才オーソン・ウェルズからは、「世界で最も偉大な女優」と評された。美人ではなかったが、世界中の映画ファンから支持された。
 (左の写真)『ビバ!マリア』 ブリジット・バルドー(右)と

The_Train The_Yellow_Rolls-Royce
『大列車作戦』(1964年/監督:ジョン・フランケンハイマー)
バート・ランカスター
『黄色いロールス・ロイス』(1964年)
レックス・ハリソン
Chimes_at_Midnight La_Mariee_etait_en_noir
フォルスタッフ』(1965年/監督:オーソン・ウェルズ)
オーソン・ウェルズと
『黒衣の花嫁』(1968年/監督:フランソワ・トリュフォー)

 ・監督業にもチャレンジし、『リュミエール』(1976年)、『ジャンヌ・モローの思春期』(1979年/主演:シモーヌ・シニョレ、『リリアン・ギッシュの肖像』(1983年/ドキュメンタリー)の3作品を撮った。
 (右の写真)リリアン・ギッシュ(右)と
Lillian_Gish

 ・いつしか、フランスで最も尊敬される大女優となり、様々な栄誉を授かった。
  1980年 レジオン・ドヌール勲章、1995年 セザール賞名誉賞、2007年 国家功労勲章 (4等)、2008年 セザール賞名誉賞(2度目)、2012年 国家功労勲章(2等)。2000年には、女性で初めて芸術アカデミーの正会員に選出された。
The_Last_Tycoon Nikita
『ラスト・タイクーン』(1976年/監督:エリア・カザン 『ニキータ』(1990年/監督:リュック・ベッソン)
アンヌ・パリロー(左)と

 ・世界3大映画祭の名誉賞も全て受賞した。
  1992年 ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞、2000年 ベルリン国際映画祭金熊名誉賞、2003年 カンヌ国際映画祭パルム・ドール名誉賞。 
Until_the_End_of_the_World To_meteoro_vima_tou_pelargou
『夢の涯てまでも』(1991年/監督:ヴィム・ヴェンダース)
マックス・フォン・シドー
『こうのとり、たちすさんで』(1991年/監督:テオ・アンゲロプロス)
マルチェロ・マストロヤンニと

 ・私生活では、1949年に俳優・脚本家のジャン=ルイ・リシャールと結婚し、長男を授かったが1951年に離婚。彼は、ジャンヌ主演の『マタ・ハリ』(1964年)を監督し、『黒衣の花嫁』(1968年)の脚本を執筆した。その後、1977年にウィリアム・フリードキン監督と再婚したが、1979年に離婚した。
 また、ルイ・マル監督、『エヴァの匂い』(1962年)の衣装もデザインしたピエール・カルダン、『マドモアゼル』(1966年)、『ジブラルタルの追想』(1967年)のトニー・リチャードソン監督などと浮名を流した。
 (右の写真)『クロワッサンで朝食を』(2012年)ライネ・マギ(左)と
Une_Estonienne_a_Paris

 ・2017年89歳で他界。

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