20世紀・シネマ・パラダイス
ジョン・スタージェス
John Sturges
1910-1992(アメリカ)
◆
代表作
日本人の勲章
Bad Day At Black Rock
(1955年/アメリカ)
OK牧場の決斗
Gunfight at the O.K. Corral
(1957年/アメリカ)
老人と海
The Old Man and the Sea
(1958年/アメリカ)
荒野の七人
The Magnificent Seven
(1960年/アメリカ)
大脱走
The Great Escape
(1963年/アメリカ)
墓石と決闘
Hour of the Gun
(1967年/アメリカ)
◆
アクション映画の名監督
・
1910年
、イリノイ州生れ。ハイスクール時代にフットボールの選手として活躍し、奨学金を得てカリフォルニア州のマリン・ジュニア・カレッジ
(現在のカレッジ・オブ・マリン)
に進学した。
1932年、RKO社に入社し、写真部、美術部、編集部を経て、最後は製作部門でアシスタントをしていた。また、当時は珍しかったテクニカラーの技術を習得していたため、
デビッド・O・セルズニック
に雇われ、
マレーネ・ディートリッヒ
主演の『沙漠の花園』
(1936年)
のカラー・コンサルタントを務めたことも。
・第2次世界大戦中、陸軍航空隊で教育映画やドキュメンタリー映画を製作。
ウィリアム・ワイラー
監督と共同で撮った『
Thunderbolt
』は劇場公開
(1947年)
もされた。
・戦後、コロンビア社に入り、『
The Man Who Dared
』
(1946年)
で映画監督としてデビュー。その後、ランドルフ・スコット主演の『
The Walking Hills
』
(1949年)
等、B級作品を数本撮った。
『ブラボー砦の脱出』
(1953年)
エレノア・パーカー、
ウィリアム・ホールデン
『日本人の勲章
』(1955年)
スペンサー・トレイシー
、ロバート・ライアン
・1950年、MGM社に移籍。ウィリアム・ホールデン主演の『ブラボー砦の脱出』
(1953年)
が日本で公開された最初のスタージェス監督作品となった。
スペンサー・トレイシー
主演のサスペンス『日本人の勲章
』(1955年)
でアカデミー賞の監督賞にノミネートされ、一流監督の仲間入りを果たした。
(右の写真)『日本人の勲章』撮影時。左から、ロバート・ライアン、スペンサー・トレイシー、スタージェス監督
『OK牧場の決斗』
(1957年)
カーク・ダグラス
、
バート・ランカスター
『ゴーストタウンの決斗』
(1958年)
リチャード・ウィドマーク
、
ロバート・テイラー
・MGM社を退社し、フリーランスとなって最初の作品『OK牧場の決斗』
(1957年)
が大ヒット。『ゴーストタウンの決斗』
(1958年)
、『ガンヒルの決斗』
(1959年)
と共に「決斗3部作」と呼ばれるようになった。また、OK牧場の決闘の後日談を描いた『墓石と決闘』
(1967年)
も監督した。
(左の写真)『OK牧場の決斗』撮影時。バート・ランカスター(左)と
『老人と海』
(1958年)
スペンサー・トレイシー
『ガンヒルの決斗』
(1959年)
カーク・ダグラス、
アンソニー・クイン
・スペンサー・トレイシーと再び組んだ『老人と海』
(1958年)
は、映像化が困難と言われ、当初の監督だった
フレッド・ジンネマン
が辞退した作品。スタージェス監督は原作者のアーネスト・ヘミングウェイも満足させる作品に仕上げ、監督としての手腕を立証した。
(右の写真)『老人と海』 スペンサー・トレイシー。スタジオのセットにて。
『戦雲』(1959年)
フランク・シナトラ
、
ジーナ・ロロブリジータ
『荒野の七人』
(1960年)
スティーブ・マックイーン
(左)、
ユル・ブリンナー
・黒澤明監督の『七人の侍』
(1954年)
を西部劇にアレンジした
『荒野の七人』
(1960年)
を監督。
黒澤明監督と対面した際、『荒野の七人』はお気に入りの作品だと言われた時は、「
人生の中で最も誇り高い瞬間だった
」
(スタージェス本人談)
。
(左の写真)『荒野の七人』撮影時。
ユル・ブリンナー
(右)と
『大脱走』
(1963年)
スティーブ・マックイーン
『墓石と決闘』
(1967年)
ジェームズ・ガーナー
、ジェイソン・ロバーズ
・大作
『大脱走』
(1963年)
を監督。3時間近くの大作だが、その長さを全く感じさせない娯楽映画の傑作に仕上げた。バイクで疾走するスティーブ・マックイーンのカッコ良さ!。アクション映画史に残る名場面となった。
(右の写真)『大脱走』撮影時。スティーブ・マックイーン(右)と
・信頼関係のあったスティーブ・マックイーンから『栄光のル・マン』
(1971年)
の監督を依頼されたが、作品のコンセプトを巡って意見が対立し、撮影途中で降板した。
(左の写真)『栄光のル・マン』撮影時。スティーブ・マックイーン(右)と
『
シノーラ』(1972年)
クリント・イーストウッド
『
シノーラ』撮影時
クリント・イーストウッド(右)と
『マックQ』(1974年)
ジョン・ウェイン
『マックQ』撮影時
ジョン・ウェイン(右)と
・男性映画、アクション映画を中心に撮り続け、『鷲は舞いおりた』
(1976年)
を最後に引退した。
(右の写真)『鷲は舞いおりた』撮影時。ドナルド・サザーランド(左)と
・
1992年
、
82歳
で他界。
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