20世紀・シネマ・パラダ イス

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Kirk_Douglas

カーク・ダ グラス

Kirk Douglas

 
1916- 2020 (アメリカ)

 

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     代表作
 
Champion-2
Ace_in_the_Hole-2
チャンピオン
Champion
(1949年/アメリカ)
地獄の英雄
Ace in the Hole
(1951年/アメリカ)
Detective_Story
The_Bad_and_the_Beautiful-2
探偵物語
Detective Story
(1951年/アメリカ)
悪人と美女
The Bad and the Beautiful
(1952年/アメリカ)
Lust_for_Life
Gunfight_at_the_O.K._Corral
炎の人ゴッホ
Lust for Life
(1956年/アメリカ)
OK牧場の決斗
Gunfight at the O.K. Corral
(1957年/アメリカ)
Paths_of_Glory
Spartacus
突撃
Paths of Glory
(1957年/アメリカ)
スパルタカス
Spartacus

(1960年/アメリカ)


     アンチ・ヒーロー役で魅力を発揮した硬派の人気スター

 ・1916年、ニューヨーク州生れ。ユダヤ系ロシア移民の子で、Issur Danielovitchと名付けられたが、両親がアメリカではDemskyの姓を名乗っていたため、Izzy Demskyという別名で育てられた。家庭が貧しかったため、子供の頃から40以上のアルバイトをして、高校、大学とも苦学生として卒業。奨学金を得てアメリカン・アカデ ミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学。同校の卒業公演「Spring Again(1941年)でブロードウェイの舞台に立った。

 ・第2次世界大戦中、海軍に入隊する際にKirk Douglasと改名。戦地で負傷し、除隊してからは舞台やラジオで活動し た。

 ・戦後、演劇学校の同級生だったローレン・バコールから映画製作者のハル・B・ウォ レスを紹介され、『呪いの血』(1946年/監督:ル イス・マイルストーンで銀幕デビューした。
The_Strange_Love_of_Martha_Ivers A_Letter_to_Three_Wives
『呪いの血』(1946年)
バーバラ・スタンウィック
『三人の妻への手紙』 (1949年)
アン・サザーンと

 ・MGM社の『The Great Sinner(1949年/主演:グレゴリー・ペックへ の出演を辞退して、スタンリー・クレイマー製作の『チャンピオン』(1949年)に 出演。ギャラはMGM社の約1/3だったというが、俳優として注目を集め、自分を価値を高めると確信していたのだろう。大学時代にレスリング部で鍛え上げた肉体を披露し、エゴの塊のようなボクサー役を熱演。アカデミー賞主演男優賞にノミネートもされ、硬派の俳優としてブ レイクした。
 *The Great Sinner』のカーク・ダグラスが辞退した役はメルヴィン・ダグラスが演じた。
 (右の写真)『チャンピオン』
Champion-3

Champion-4
Champion-5
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 ・28歳で夭逝したジャズのコルネット奏者ビックス・バイダーベックの生涯を題材にした『情熱の狂想曲』(1949年/監督:マイケル・カーティス、自身初の西部劇『死の砂塵』(1951年/監督:ラオール・ウォルシュ等 に出演。
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『情熱の狂想曲』(1949年)
 ローレン・バコールと
『死の砂塵』(1951年)
ヴァージニア・メイヨ

 ・『地獄の英雄』(1951年/監督:ビリー・ワイルダーでのスクープを捏造する新聞記者、『探偵物語』(1951年/監督:ウィリア ム・ワイラーでの一切の犯罪を許さぬ鬼刑事など、強烈な個性を持ったアンチ・ヒーロー役で魅力を発揮した。
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『地獄の英雄』(1951年) 『探偵物語』(1951年)
エレノア・パーカーと


he_Bad_and_the_Beautiful  ・映画界の内幕を描いた『悪人と美女』(1952年/監督:ヴィンセント・ミネリで、エゴに満ちた野心家のプロデューサーを演じて2度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
 (左の写真)『悪人と美女』ラナ・ターナー

 ・イタリアの大作『ユリシーズ』(1954年)、ウォルト・ディズニー製作の『海底二万哩』(1954年)等に出演。
The_Story_of_Three_Loves
Ulisse
三つの恋の物語』(1953年)*カラー作品
ピア・アンジェリ

『ユリシーズ』(1954年)
シルヴァーナ・マンガーノ

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Man_Without_a_Star
『海底二万哩』(1954年) 『星のない男』(1954年)
ジーン・クレイン


 ・ヴィンセント・ミネリ監督と再び組んだ『炎の人ゴッホ』(1956年)で、19世紀のオランダの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを演じて3度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
 (右の写真)『炎の人ゴッホ』
Lust_for_Life-2

 ・母親の名前を冠した製作会社「ブライナ・プロダクションズ」 を設立。自身と同様にハル・B・ウォレスと契約して同じ年にデビューしたバート・ランカスターが一足先に製作会社を設立したことに触発されたと言われて いる。
 バート・ランカスターとは、『暗黒街の復讐』(1948年)、『OK牧場の決斗』(1957年/監督:ジョン・スタージェス、『悪魔の弟子』(1959年)、『秘密殺人計画書』(1963年/監督:ジョン・ヒューストン、『五月の七日間』(1964年)、『エンテベの勝利』(1976年)、『タフガ イ』(1986年)の7作品で共演。良きライバルであり、良き友であった。
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『OK牧場の決斗』(1957年)
 バート・ランカスター(後)と
第57回(1984年度)アカデミー賞授賞式にて
バート・ランカスター (右)と(脚本賞のプレゼンター)

 ・「ブライナ・プロダクションズ」 最大の成功は、自身で製作総指揮も兼ねた歴史スペクタル『スパルタカス』(1960年)。当初の監督 アンソニー・マンが彼と対立して降板。後任には、『突撃』(1957年)で組み、その才能を認めていたスタンリー・キューブリックを登用。また、‟赤狩り”で檜舞台から追放されていた脚本家ダルトン・トランボを起用した。その年最大のヒット作となり、キューブリックの出世、‟赤狩 り”の犠牲者たちの復権にも貢献した。
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『突撃』(1957年)
『スパルタカス』(1960年)
 
 ・17年ぶりのブロードウェイの舞台劇「カッコーの巣の上で」(1963年)、大作映画『危険な道』(1965年/監督:オットー・プレミンジャー、『パリは燃えているか』(1966年/監督:ルネ・クレマン等に出演し、『Scalawag(1973年)、『明日なき追撃』(1975年)では監督も務めた。
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『五月の七日間』(1963年/監督:ジョン・フランケンハイマー)
バート・ランカスター(左)と

舞台「カッコーの巣の上で」(1963年)
ジョーン・テッツェルと

 ・「自伝 くず屋の息子」(1988年)を出版。文才もあり、小説や回想録「Dance With the Devil(1990 年)、「The Gift(1992年)、「My Storoke of Luck」(2002年)、「Let's Face It(2007年)、「I Am Spartacus ! : Making a Film, Breaking the Blacklist(2012年)等を執筆した。
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『戦う幌馬車』(1967年)
ジョン・ ウェイン (右)と
『アレンジメント / 愛の旋律』(1969年/監督:エリア・カザン
フェイ・ダナウェーと

 ・セシル・B・デミル賞(1968年)、 セザール賞名誉賞(1980年)、大統領自由勲章(1981年)、 レジオン・ドヌール勲章(1990年)、AFI(アメリカ映画 協会)生涯功労賞(1991年)、アカデミー賞名誉賞(1996年)、ベルリン国際映画祭名誉金熊賞(2001年)、 国家芸術メダル(2002年)等、数々の栄誉や賞を授かった。
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『大脱獄』(1970年/監督:ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
ヘンリー・フォンダ(右)と
『スペース・サタン』(1980年/監督:スタンリー・ドーネン
ファラ・フォーセットと



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 アカデミー賞名誉賞受賞時。プレゼンターはスティーブン・スピルバーグ監督。



 ・実生活でも強運と生命力を持ったタフガイだった。1958年、エリザベス・テイラーの夫で映画製作者の マイク・トッドが飛行機事故で死んだが、同機に搭乗する予定だったダグラスは妻の助言で搭乗を取りやめたという。また、1991年には、搭乗していたヘリコプターが墜落。2人が死亡した 事故だったがダグラスは奇跡的に生還した。この事故がきっかけで、それまで無関心だったユダヤ教の熱心な信者となった。1996年には脳梗塞で倒れて音声機能に障害が生じたが、リハビリによって克服し、その後も俳優業を続けた。
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『ファイナル・カウントダウン』(1980年) Diamonds』(1999年)
ローレン・バコールと

Diana_Douglas  ・私生活では、演劇学校の同級生だったダイアナ・ディルと1943年に結婚。長男のマイケル、次男のジョエルを授かったが、1951年に離婚。
 ダイアナは、「ブライナ・プロダクションズ」の第1号作品『赤い砦』(1955年)に出演した。
 (左の写真)最初の妻ダイアナと

 ・1954年、『想い出』(1953年)の撮 影でフランスを訪れた時に出会ったアン・バイデンスと再婚。三男のピーター、四 男のエリック を授かった。
 (右の写真)2番目の妻アンと
Anne_Buydens

 ・長男のマイケルは父から映画化権を譲り受けた「カッコーの巣の上で」を製作(1975 年)してアカデミー賞作品賞を受賞。
It_Runs_in_the_Family-2  また、『ウォール街』(1987年)でアカデミー賞の主演男優賞を受賞した。
 ジョエル、ピーターは映画製作者になり、エリックは役者となった が薬物の過剰摂取で2004年に亡くなった。
 『グロムバーグ家の人々』(2003年)では、マイケルと彼の息子のキャメロン、前妻のダイアナ との共演を果たした。
 (左の写真)長男のマイケル(左)、孫のキャメロン(右)と

 ・『Illusion(2004年)への出演を最後に映画俳優としては引退したが、2009年にはワンマン・ショー「Before I Forget」を行った。

 ・1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」 で男優部門の第17位に選出。
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 ・2020年103歳で他界。

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