20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Lewis Milestone

ルイス・マイルストーン

Lewis Milestone

1895-1980 (アメリカ)

Megaphonrbar


   代表作

Two Arabian Knights-3 All_Quiet_on_the_Western_Front
美人国二人行脚
Two Arabian Knights
(1927年/アメリカ)
西部戦線異状なし
All Quiet on the Western  Front
(1930年/アメリカ)
The Front Page Rain
犯罪都市
The Front Page
(1931年/アメリカ)

Rain
(1932年/アメリカ)
Of Mice and Men Ocean's_Eleven-3
廿日鼠と人間
Of Mice and Men
(1939年/アメリカ)
オーシャンと十一人の仲間
Ocean's Eleven
(1960年/アメリカ)


    反戦映画の名作『西部戦線異状なし』でアカデミー賞を受賞

 ・1895年、モルドバ共和国(当時はロシア帝国領土)生れ。1914年に渡米し、3年後、アメリカが第1次世界大戦に参戦すると陸軍通信隊に入隊し、新兵の教育映画の製作に携わった。

 ・戦後、アメリカの市民権を取得。ハリウッドで編集や助監督を務め、犯罪コメディ『裏表七人組』(1925年)で監督デビューをした。

 ・『美人国二人行脚』(1927年)で、第1回アカデミー賞のコメディ監督賞(この賞は第1回のみ)を受賞『暴力団』(1928年) は作品賞にノミネートされた。
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Lewis Milestone Oscar
『美人国二人行脚』(1927年)
メアリー・アスター、ウィリアム・ボイド
ダグラス・フェアバンクス(左)と

 ・エーリッヒ・マリア・レマルクの大ベストセラー小説を映画化した『西部戦線異状なし』(1930年)が、第3回アカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞。
 翌年のアカデミー賞でも、名脚本家ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの戯曲「フロント・ページ」を映画化した『犯罪都市』(1931年)が、作品賞と監督賞にノミネートされ、名監督の地位を不動のものとした。
 * 「フロント・ページ」 … 『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年/監督:ハワード・ホークス)、『フロント・ページ』(1947年/監督:ビリー・ワイル  ダー)、『スイッチング・チャンネル』(1988年)と、合計4回映画化された社会派コメディ。
All_Quiet_on_the_Western_Front-2.
The_Front_Page-2
『西部戦線異状なし』(1930年)
リュー・エアーズ(左)、レイモンド・グリフィス

『犯罪都市』(1931年)
アドルフ・マンジュー


 ・その後、サマセット・モーム原作の『雨』(1932年)、ジョン・スタインベック原作の『廿日鼠と人間』(1939年)、エーリッヒ・マリア・レマルク原作の『凱旋門』(1948年)など、文芸作品の名作を撮り、『廿日鼠と人間』はアカデミー賞作品賞にノミネートされた。
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Rain-2
『雨』(1932年)
ウォルター・ヒューストンジョーン・クロフォード

『雨』撮影時。ジョーン・クロフォード、
ウォルター・ヒューストン(右)と
The_General_Died_at_Dawn
Cooper-Carroll-milestone
『将軍暁に死す』(1936年)
マデリーン・キャロルゲーリー・クーパー

『将軍暁に死す』撮影時
ゲーリー・クーパー(左)、マデリーン・キャロルと
Of_Mice_and_Men-3
Of_Mice_and_Men-2
『廿日鼠と人間』(1939年)
ロン・チェイニー・ジュニア(左)、
バージェス・メレディス
『廿日鼠と人間』撮影時
バージェス・メレディス(中央)、ロン・チェイニー・ジュニアと
Arch_of_Triumph-2
Arch_of_Triumph-3
『凱旋門』(1948年)
シャルル・ボワイエイングリッド・バーグマン
『凱旋門』撮影時
シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマンと

 ・1947年、下院非米活動委員会による‟赤狩り”の聴聞会に召喚された。証言は求められず、‟ハリウッド・テン”のような追放は免れたが、その後、ブラック・リストに名前が載り、欧州へ渡った。

 ・不遇の時期が続いたが、‟赤狩り”の終焉後に帰国。
 『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)をヒットさせ、健在ぶりを示した。
 (右の写真)『オーシャンと十一人の仲間』撮影時
 手前の4人、左から、ディーン・マーティン
 フランク・シナトラ、サミー・デイヴィス・ジュニア、
 マイルストーン監督
Ocean's_Eleven-2

Mutiny_on_the_Bounty
 ・キャロル・リードの後任として撮ったマーロン・ブランド主演の『戦艦バウンティ』(1962年)が最後の劇場用映画となった。
 (左の写真)『戦艦バウンティ』撮影時
 マーロン・ブランド(左)と


 ・1980年84歳で他界。脳卒中で倒れ、10年近く車椅子の生活を送っていた。


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