20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Billy Wilder

ビリー・ワイルダー

Billy Wilder

  1906-2002 (オーストリア/アメリカ)

Megaphonrbar


  ◆ 代表作

The_Lost_Weekend
Sunset_Boulevard
失われた週末
The Lost Weekend
(1945年/アメリカ)
サンセット大通り
Sunset Boulevard
(1950年/アメリカ)
Sabrina
The_Seven_Year_Itch
麗しのサブリナ
Sabrina
(1954年/アメリカ)
七年目の浮気
The Seven Year Itch
(1955年/アメリカ)
Witness_for_the_Prosecution
Love_in_the_Afternoon
情婦
Witness for the Prosecution
(1957年/アメリカ)
昼下りの情事
Love in the Afternoon
(1957年/アメリカ)
Some Like It Hot
The_Apartment
お熱いのがお好き
Some Like It Hot
(1959年/アメリカ)
アパートの鍵貸します
The Apartment
(1960年/アメリカ)


    ◆ 映画ファンのハートをくすぐり続けた名匠 

 ・1906年、ポーランドのズーハ(当時はオーストリア領)生れ。新聞記者を経て、ドイツで『悪魔の記者』(1929年)の脚本家としてデビュー。2作目の『日曜日の人々』(1930年)で注目を集め、約20作の脚本(ほとんどが共作)に携わった。その中の、『女王様御命令』(1931年)は『アドーラブル』(1933年/主演:ジャネット・ゲイナー 、『女たちの夢みること』(1933年)は 『刺激的な冒険』(1934年)と、ハリウッドでリメイクもされた。

 ・1933年、ナチスの台頭により、ユダヤ系だったワイルダーはフランスへ亡命。『悪い種子』(1934年)で監督(共同)としてもデビューした。
 尚、父親は既に亡くなっていたが、ウィーンに残った母親は強制収容所で殺害された。
 (右の写真)初の監督作品『悪い種子』。ダニエル・ダリュー(右)
Mauvaise_Graine

 ・1934年、ドイツ時代の友人ヨーエ・マイの招きでハリウッドへ。ヨーエ・マイ監督、グロリア・スワンソン主演の『空飛ぶ音楽』(1934年)の脚本家の1人として名を連ねた。英語の出来なかったワイルダーは、ドイツ語で執筆した脚本を英訳していたが、あまりパッとせず、下積み生活が続いた。

Charles_Brackett  ・脚本家チャールズ・ブラケット、エルンスト・ルビッチ監督との出会いが転機となった。
 ブラケットとコンビを組んで執筆したルビッチ監督の『青髭八人目の妻』(1938年)が大ヒット。同監督との次作『ニノチカ』(1939年)も大ヒットし、ワイルダーとブラケットはアカデミー賞の脚色賞にノミネートされた。
 (左の写真)名コンビのチャールズ・ブラケット(左)と
 ・後に映画監督となったワイルダーは、エルンスト・ルビッチ監督を師と仰ぎ、オフィスに、「How would Lubitsch do it ?」(ルビッチならどうする?)という看板を掲げていた。
 (右の写真)チャールズ・ブラケット(左)と
Charles_Brackett-2.

 ・『Hold Back the Dawn(1941年/主演:シャルル・ボワイエの脚本を勝手に変えられたワイルダーは監督になる決意をした。『教授と美女』(1941年)の脚本を売る際に、監督にハワード・ホークスを指名し、その撮影を見学することを条件とした。尚、『Hold Back the Dawn』はアカデミー賞の脚色賞、『教授と美女』は同原案賞にノミネートされた。

 ・コメディ・ロマンス作『少佐と少女』(1942年)で、本格的に監督としてデビューした。
The_Major_and_the_Minor
The_Major_and_the_Minor-2.
『少佐と少女』(1942年)
レイ・ミランドジンジャー・ロジャース
『少佐と少女』撮影時
ジンジャー・ロジャースと

 ・『熱砂の秘密』(1943年)。主役にケーリー・グラントイングリッド・バーグマンを望んだが、フランチョット・トーンとアン・バクスターが起用された。敬愛していたエリッヒ・フォン・シュトロハイムを自らキャスティングしたが、危うく演出を乗っ取られそうになったとか。
Five_Graves_to_Cairo
Wilder&Stroheim
『熱砂の秘密』(1943年)
左から、フランチョット・トーン、
アン・バクスター、エリッヒ・フォン・シュトロハイム
『熱砂の秘密』撮影時
エリッヒ・フォン・シュトロハイム(右)と

 ・『深夜の告白』(1944年)。アカデミー賞の作品、監督、脚色(ワイルダー、レイモンド・チャンドラー)賞など7部門でノミネートされたフィルム・ノワールの古典的名作。脚本家として名声を確立していたが、監督としても一流だと認められた出世作。
Double_Indemnity
Wilder&Stanwyck
『深夜の告白』(1944年)
バーバラ・スタンウィックフレッド・マクマレー
『深夜の告白』撮影時
バーバラ・スタンウィックと

 ・『失われた週末』(1945年)。アルコール中毒の恐ろしさを描いた問題作。アカデミー賞では7部門でノミネートされ、作品(製作:チャールズ・ブラケット)監督、主演男優(レイ・ミランド、脚色(ワイルダー、ブラケット)の4部門で受賞。カンヌ国際映画祭のグランプリも受賞し、押しも押されぬ名匠の地位を確立した。
The_Lost_Weekend-2
Wilder&Milland
『失われた週末』(1945年)
レイ・ミランド、ジェーン・ワイマン
『失われた週末』撮影時
レイ・ミランド(中央)、
ドリス・ダウリングと

The_Emperor_Waltz-2
The_Emperor_Waltz-3
『皇帝円舞曲』(1948年)
ジョーン・フォンテインビング・クロスビー

『皇帝円舞曲』撮影時
ビング・クロスビー(左)、ジョーン・フォンテインと

A_Foreign_Affair-2
A_Foreign_Affair-3
『異国の出来事』(1948年) 左から、ジーン・アーサー
ジョン・ランド、マレーネ・ディートリッヒ
『異国の出来事』(1948年)撮影時
マレーネ・ディートリッヒと

 ・『サンセット大通り』(1950年)。ハリウッドの内幕を描いた不朽の名作で、映画ファンのハートをくすぐる仕掛けが盛り沢山。アカデミー賞の作品賞、監督賞など11部門でノミネートされ、脚本賞(ワイルダー、ブラケット、D・M・マーシュマン・Jr.)、美術監督・装置賞(白黒部門)、劇・喜劇音楽賞の3部門で受賞した。
Sunset_Boulevard-5
Sunset_Boulevard-3
『サンセット大通り』(1950年)
グロリア・スワンソンウィリアム・ホールデン
『サンセット大通り』撮影時
グロリア・スワンソンと

Brackett&Swanson&Wilder  ・『サンセット大通り』は、『深夜の告白』を除くワイルダー監督の6作品で共同脚本家としてコンビを組み、『少佐と少女』、『深夜の告白』以外の5作品では製作も務めたチャールズ・ブラケットとの最後のコラボ作品となった。
 (左の写真)『サンセット大通り』撮影時。チャールズ・ブラケット(左)、グロリア・スワンソンと
 * チャールズ・ブラケット … 『タイタニックの最期』(1953年)の脚本で3度目のアカデミー賞を受賞。『ナイアガラ』(1953年)の製作・脚本、『王様と私』(1956年)の製作者等として活躍。1949年から1955年までアカデミー協会の会長を務め、1958年にアカデミー賞の名誉賞を受賞した。

 ・『地獄の英雄』(1951年)。初めて製作も兼ねた作品。アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。
Ace_in_the_Hole
Wilder&Douglas
『地獄の英雄』(1951年)
カーク・ダグラス
『地獄の英雄』撮影時
カーク・ダグラス(左)と

 ・『第十七捕虜収容所』(1953年)。アカデミー賞では、監督賞など3部門でノミネートされ、お気に入りの俳優ウィリアム・ホールデンに主演男優賞をもたらした。
Stalag_17
Wilder&Preminger
『第十七捕虜収容所』(1953年)
ドン・テイラー(左)、ウィリアム・ホールデン
『第十七捕虜収容所』撮影時
オットー・プレミンジャー(右)と

 ・『麗しのサブリナ』(1954年)。アカデミー賞では、監督賞、脚本賞など6部門でノミネートされ、衣装デザイン賞(白黒部門)を受賞。長年在籍していたパラマウン社での最後の作品となった。
Sabrina-2
Wilder&Hepburn
『麗しのサブリナ』(1954年)
左から、ハンフリー・ボガート
オードリー・ヘップバーン、ウィリアム・ホールデン
『麗しのサブリナ』撮影時
オードリー・ヘップバーンと

 ・『七年目の浮気』(1955年)。フリーとなって最初の作品。マリリン・モンローの魅力を目一杯引き出した。
/The_Seven_Year_Itch-4
Wilder&Monroe
『七年目の浮気』(1955年)
マリリン・モンロー、
トム・イーウェル
『七年目の浮気』撮影時
マリリン・モンローと

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