20世紀・シネマ・パラダイス

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Janet Gaynor-4

ジャネット・ゲイナー

Janet Gaynor

1906-1984 (アメリカ)


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     代表作

Seventh Heaven Sunrise
第七天国
7th Heaven
(1927年/アメリカ)
サンライズ
Sunrise
 (1927年/アメリカ)
Street Angel A Star is Born
街の天使
Street Angel
(1928年/アメリカ)
スタア誕生
A Star is Born
(1937年/アメリカ)


    第1回アカデミー賞主演女優賞を受賞した清純派の人気スター

 ・1906年、ペンシルベニア州生れ。高校卒業後、ロスアンゼルスへ引っ越し、靴屋で働きながら、映画会社のスタジオを訪ね回っていた。

 ・2年間近くエキストラ出演が続いていたが、初めて得た助演の『ジョンズタウンの大洪水』(1926年)での演技が認められ、FOX社と契約。『シャムロック大競馬』(1926年/監督:ジョン・フォードで初の主役を務めた。
 (右の写真)『シャムロック大競馬』
 レスリー・フェントンと

The_Shamrock_Handicap

 ・1927年、古典的名作となる『第七天国』『サンライズ』の2作品でヒロインを演じて大ブレイク。翌年、『第七天国』 のフランク・ボーゼージ監督、主演男優のチャールズ・ファレルと再び組んだ『街の天使』も大ヒットした。

Gaynor-Oscar  ・1928年、第1回アカデミー賞で主演女優賞を受賞。
 上記の3作品での演技に対して贈られた賞だが、複数作品での受賞は第1回のジャネット・ゲイナーだけである。
 前評判の高かった大女優グロリア・スワンソンを破っての受賞。名実ともにハリウッドの新星となった。
 (左の写真)ダグラス・フェアバンクス
 ・当時は、アカデミー賞がこれほど大きな賞になるとは思っておらず、オスカー像を貰うことよりも、ダグラス・フェアバンクス(アカデミー協会の初代会長)に会えることに感激していたという。
 彼女の22歳での主演女優賞受賞は、1986年第59回のマリー・マトリン(『愛は静けさの中に』)に破られるまで、最年少受賞の記録であり続けた。
Gaynor-oscar-2

 ・『第七天国』、『街の天使』で共演したチャールズ・ファレルとは、1934年までに12本の映画で共演。‟America's Favorite Lovebirds(人気者のあつあつカップル)と呼ばれた人気コンビだった。
Lucky Star Sunny_Side_Up
『幸運の星』(1929年/監督:フランク・ボーゼージ)
 チャールズ・ファレルと
『サニー・サイド・アップ』(1929年)
チャールズ・ファレルと

 ・トーキーの時代に入っても活躍。ドル箱 (マネー・メイキング)スター・トップ10にも、1930年第4位、1931年第1位、1932年第2位、1933年第3位、1934年第3位と5回ランクイン。清純派スターとして高い人気を誇り、メアリー・ピックフォードの後継者と言われていた。
The Farmer Takes a Wife
Smaii Town Girl
『運河のそよ風』(1935年)
ヘンリー・フォンダ(デビュー作)と
『小都会の女』(1936年)

A Star is Born-2  ・1937年、20世紀FOX社を離れ、独立系の製作者デビッド・O・セルズニックと契約。
 『スタア誕生』(1937年/監督:ウィリアム・A・ウェルマンが大ヒットし、再びアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
 (左の写真)『スタア誕生』
 フレドリック・マーチ (中央)、アドルフ・マンジュー (右)と

 ・『心の青春』(1938年)出演後、2度目の結婚を機に引退したが、『Bernardine(1957年)で、約20年ぶりに銀幕復帰。同作が最後の映画出演となった。 
 (右の写真)『Bernardine』 ディーン・ジャガーと
Bernardine

Academy 1978  ・1978年、第50回アカデミー賞授賞式に、主演女優賞のプレゼンターとして登場。『アニー・ホール』(1977年)で受賞したダイアン・キートンにオスカー像を手渡した。
 (左の写真)ダイアン・キートン(左)と

 ・1980年、73歳でブロードウェイ・デビューも果たした。

 ・1982年、搭乗していた車に飲酒運転の車が衝突。同乗者に死者が出た大きな事故で、彼女も全身骨折の大怪我を負う不幸に見舞われた。怪我は完治したものの、体力を奪われ、入退院を繰り返すこととなってしまった。

 ・1984年77歳で他界。

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