20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ クール・
ビューティー、ガルボが初めて挑んだコメディの傑作
‘Siren ’が、‘警報’ではなく、‘美人’を指していた
時代のパリ…。
ソビエト政府が貴族から没収した宝石を売りさばくためにパリへ派
遣されたロシア貿易委員のブリヤノフ 、イラノフ 、コパルスキー の3人は、一流ホテル
のあまりの豪華さに目を奪われ、指定された安ホテルではなく、一流ホテルのスイートルームに宿泊してしまった…。
パリに住んでいる旧ロシアのスワナ大公妃 は、
今はホテルのボーイをしているラコーニン伯爵から、かつて彼女のものであった宝石が、パリで売りに出されることを知らされた。
スワナ大公妃の愛人である フランス人貴族 レオン・ダルグー伯爵 が、
宝石を取り戻すために行動を開始した。
ダルグーは、ロシア貿易委員の3人が宝石商と商談している部屋へ
乗り込み、宝石の売買を禁じるよう裁判所に訴えたと告げ、商談を中止させた。
ダルグーは、豪華な食事と酒、そして、タバコ売りの娘たちを部屋に招き入れ、3人をまんま
と懐柔した。
ロシア貿易委員の3人は、大公妃が宝石の所有権を主張したため、
利益は折半が妥当だ、との報告書を政府に送り、その返答を待つ間、すっかり羽目を外していた。そこへ、3人の権限を撤廃し、代わりの特別全権使節を派遣し
たとの政府からの電報が届い
た。
下手をしたらシベリヤ送りとなってしまう。3人は大慌てで普段着
に着替え、モスクワからの特別全権使節を出迎えに駅へ向かった。3人の目の前に現れたのは、筋金入りの女性共産党員ニノチカ だった。
ホテルへ向かう道中、ショーウインドウに飾られた当節流行の帽子を見たニノチカが一言。「あ
んな帽子を女にかぶせる文明は滅びるわ 」。
ホテルのスイートルームへ案内され、宿泊料が1泊2000フランと知ったニノチカ。「牛
が1頭買える値段だ、レーニンに顔向けできない 」と、3人をたしなめた。ソビエト政府が宝石を売るのは、食糧危機に備えて外貨を蓄えるためだ。
ニノチカが任務の重要性を説いている時、タバコ売りの娘たちが部屋に来た。ニノチカに、「吸
いすぎみたいね 」 と注意された3人は、返す言葉もなく恐縮するばかり…。
弁護士との打ち合わせを済ませ、パリの最新技術を視察するため街へ出たニノチカと、ホテルへ向かうダルグーが、赤信号となった中央分離帯で鉢合わせになっ
た。お互いに相手が裁判で闘う敵だとは知らない。エッフェル塔への道順を尋ねられたダルグーは、ニノチカに心を奪われ、後を追った。
エッフェル塔から夜景を眺めたニノチカ。「美しさは認めるけれど、電気の無駄な消費
ね… 」。「あなたはロシアにいないタイプね、だからロシアは安泰よ… 」。 ニノチカはダルグーの誘いに応じて彼の自宅へ。
以前はロシア騎兵隊の軍曹で、16歳の時にポーランド兵と戦ったというニノチカ。ダルグー
「軍曹に恋をするとは想像もしていなかった… 」。時計が12時を告げた。ダルグーは愛を語り、ニノチカの唇を奪った。
ブリヤノフから電話が入り、電話の会話を聞いて、ニノチカはダルグーが裁判で闘う相手であ
ると気付いた。引き留めようとするダルグーに向かってニノチカが言った。「私と会いたいのなら、弁護士を通して…。ポーランド兵にも、死ぬ前にキス
したわ 」。
翌日。労働者たちが集まる大衆食堂へ入ったニノチカの前にダルグーが現れた。ダルグーは、
警戒しているニノチカを笑わそうとジョークを飛ばすが、ニノチカは決して笑わない。呆れたダルグーは、力んだ瞬間に後ろへひっくり返ってしまった。
すると、その様子を見ていたニノチカが大笑い。2人の関係は修復されたのだった。
恋に落ちたニノチカに変化が表れた。弁護士との打ち合わせを早々に切り上げ、3人にパリ見
学の小遣いまで与えた。
1人になったニノチカがクローゼットから取り出したのは、ショーウインドウに飾られていた
あの帽子だった。
一方のダルグーにも変化が表れていた。マルクスの「資本論」
を読んで、執事を困惑させていた。
判決まであと2週間。ニノチカとダルグーは逢瀬を重ねていった。
ある夜のレストラン。スワナ大公妃はダルグーとニノチカを目撃した。ダルグーがニノチカに
接近したのは、自分の裁判のためだと思っていたスワナ大公妃だが、2人の様子を見て、その間違いに感づいた。
スワナ大公妃は2人のテーブルへ行き、判決が出る木曜日に全てが
終わると釘を刺した。
ダルグーはニノチカをホテルへ送り届け、木曜日は決して来ないと
愛を告げた。
翌日。スワナ大公妃がニノチカの部屋に訪ねて来た。彼女はラコーニンに命じて、夜中にニノチカの部屋から宝石を盗み出していた。スワナ大公妃は、訴えて裁
判になっても判決までに2年はかかり、食糧危機のロシアは持たない、ダルグーと手を切り、夕方の便で帰国するのであれば、宝石の代金を支払うと迫った。
ニノチカにダルグーからの電話が入った。昼食に誘われたニノチカ
は、昨晩のシャンパンで疲れたと嘘をつき、夕食を共にする約束をした。母国の人民のため、ダルグーとは会わずに、夕方の便で帰国する決意をしたのだった。
その日の夕方。ダルグーはスワナ大公妃に別れを告げに行ったが、ニノチカが既に帰国したこ
とを知らされた。ダルグーはニノチカを追ってソビエトへ行こうとしたが、貴族である彼には入国ビザがおりなかった…。
モスクワへ戻ったニノチカ。住まいは3人部屋で、ラジオで音楽を
聴くこともできない。
ブリヤノフら3人が、配給された玉子を持って訪ねてきた。オムレツを作ってのささやかな夕
食会である。
ダルグーからの手紙が届き、喜んだニノチカだったが、封を開けた瞬間に彼女の顔が曇った。
手紙
は検閲を受けて真っ黒になっていた。帰り際にブリヤノフが言葉をかけた。「思い出までは検閲できない 」。
…
季節はいつしか冬になり、モスクワには雪が降っていた。ある日、ニノチカは、ロシア貿易委員長のラジーニン か
らトルコ行きを命じられた。毛皮を売りに行ったブリヤノフら3人がまた問題を起こしたのだ。ニノチカは、外国へ行くと自分を見失ってしまうと言って辞退を
申し出たが、聞き入れられなかった。
『ニノチカ』 の予告編
VIDEO
◆ 主な出演者など
・ニノチカ役 … グレタ・ガルボ
・ダルグー伯爵役 … メルヴィン・ダグラス
・スワナ大公妃役 … アイナ・クレアー
・ラジーニン役 … ベラ・ルゴシ
・映画の宣伝コピーは「Garbo Laughs 」(ガルボが笑う)。彼女
の初のトーキー作品『アンナ・クリスティ』(1930年) の「Garbo
Taiks 」(ガルボが喋る)をもじったもの。映画製作にあたり、まず、「Garbo Laughs 」のコピーが決まり、それに即
して脚本が書かれた。
(右の写真)撮影時のガルボとルビッチ監督
・アカデミー賞では、作品賞、主演女優賞、原案賞、脚色賞の4部門でノミネートされたが無
冠に終わった。
◆ ピック・アップ … メルヴィン・ダグラス
Melvyn
Douglas 1901-1981
(アメリカ)
・1901年 、ジョージア州生まれ。高校を中退して演劇の世界へ。
・1928年、ブロードウェイ・デビューを果たし、『今宵ひととき』(1931年/
監督:マーヴィン・ルロイ ) で、グロリア・スワンソン の相手役に抜擢され、銀幕デビューを果たした。
・ブロードウェイの舞台「The Best Man 」(1960年) でトニー賞、映画『ハッド』(1963年) でアカデ
ミー賞助演男優賞、TVドラマ「Do Not Go Gentle Into
That Good Night 」(1969年) でエミー賞を受賞。アカデミー賞、トニー賞、エ
ミー賞の演技賞3冠を制した数少ない名優の1人。
・『父の肖像』(1970年) で、アカデミー賞主演男優賞候補となったが受賞は逃した。
『ハッド』(1963年)
ポール・ニューマン (右)と
『父の肖像』(1970
年)
ジーン・ハックマン (右)と
・『チャンス』(1979年/ 監督:ハル・アシュビー) で、2度目のアカデミー賞助演男優賞を受賞。フレッド・アステアと共演した『ゴースト・ス
トーリー』(1981年) が遺作となった。同作品の公開前に80歳 で他界。
『チャ
ンス』(1979年)
ピーター・セラー
ズ (左)と
『ゴー
スト・ストーリー』(1981年)
フレッド・アステア(左)と