20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Madeleine Carroll

マデリーン・キャロル

Madeleine Carroll

1906-1987 (イギリス/アメリカ)


heartbar


     代表作

The_39_Steps
Secret_Agent-2
三十九夜
The 39 Steps
(1935年/イギリス)
間諜最後の日
Secret Agent
(1936年/イギリス)
General Died at Dawn The_Prisoner_of_Zenda
将軍暁に死す
The General Died at Dawn
(1936年/アメリカ)
ゼンダ城の虜
The Prisoner of Zenda
(1937年/アメリカ)


    イギリス映画界最初の美人女優

 ・1906年、イギリスのウェスト・ブロムウィッチ生れ。バーミンガム大学卒業後、女優の道へ。

 ・『The Guns of Loos (1928年)の主演女優で銀幕デビュー。イギリス映画界最初の美人女優と評判になり、一躍人気スターとなったが、1931年に結婚して、一度引退した。
 (右の写真)『School for Scandal』(1930年)
School_for_Scandal

The World Moves On  ・1933年にカムバック。翌年、自身初のハリウッド映画『世界は進む』(監督:ジョン・フォードにも出演した。
 (左の写真)『世界は進む』 フランチョット・トーンと

 ・イギリスで、アルフレッド・ヒッチコック監督の『三十九夜』(1935年)、『間諜最後の日』(1936年) の2作に連続で出演。同監督のイギリス時代の作品の代表的ヒロインでもあった。
The 39 Steps Secret Agent
『三十九夜』 ロバート・ドーナットと
『間諜最後の日』 ジョン・ギールグッドと

 ・1936年、本格的にハリウッドへ進出。2年後には最高給取りの女優の1人となった。
General Died at Dawn-2 The Prisoner of Zenda-2
『将軍暁に死す』(1936年/監督:ルイス・マイルストーン
ゲーリー・クーパー
『ゼンダ城の虜』(1937年)
ロナルド・コールマン
Blockade
North_West_Mounted_Police
『封鎖線』(1938年)
ヘンリー・フォンダ

『北西騎馬警官隊』(1940年/監督:セシル・B・デミル
ゲーリー・クーパーと

 ・1940年、ナチス・ドイツによるロンドン空爆で妹が亡くなると、女優活動を中断し、赤十字の看護婦としてイタリアの野戦病院で働いた。
 また、パリ郊外の邸宅を戦災孤児に寄贈し、それらの功績により、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授けられた。
 (右の写真)戦災孤児たちと
Madeleine_Carroll-4

 ・戦後、女優としての活動を再開し、映画出演は『The Fan (1949年) が最後となったが、その後もTVやラジオに出演し、1960年代半ばに引退した。

Bahama_Passage ・私生活では、4度結婚・離婚をした。2度目の相手は映画で共演もしたスターリング・ヘイドン、4度目の相手はTIME社のCEOだった。
 (左の写真)『Bahama Passage 』(1941年)
 スターリング・ヘイドンと

 ・1987年81歳で他界。晩年はスペインで暮らしていた。


Madeleine Carroll-2
Madeleine Carroll-3


HOME