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映画界 事件&スキャンダルの歴史

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1942年
『女優フランシス』の転落

 1942年10月19日戦時下で灯火管制にあったサンタモニカ (カリフォルニア州ロスアンゼルス郡)で、ヘッドライトを灯けた車が警官に停止させられた。運転手は女優のフランシス・ファーマー。この時から、彼女の10年に及ぶ転落が始まった…。

 フランシス・ファーマー。1913年、ワシントン州シアトル生れ。
 
 16歳の時に、ニーチェに啓発されて書いたエッセイ「神は死んだ」が、雑誌のコンテストで表彰された。
 名門ワシントン大学へ進学し、演劇を専攻。在学中、左翼系新聞社のコンテストで優勝し、その懸賞でモスクワへ旅行したことも。

 1935年、パラマウント社と7年の契約。才色兼備、将来を嘱望されてハリウッドへ。
Frances Farmer

Leaf Erickson  『家族一連隊』(1936年)で銀幕デビュー。B級映画ではあったが、いきなりの主役デビューだった。同年、俳優のリーフ・エリクソンと結婚した。
 (左の写真) 最初の夫リーフ・エリクソンと (1942年に離婚)

 ビング・クロスビーの相手役を務めた『愉快なリズム』、独立系の製作者サミュエル・ゴールドウィンに貸し出されて出演した『大自然の凱歌』(監督:ハワード・ホークスウィリアム・ワイラーがヒット。「グレタ・ガルボの再来」と絶賛された。

Rhythm on the Range Come and Get It
『愉快なリズム』(1936年)
ビング・クロスビーと
『大自然の凱歌』(1936年)
エドワード・アーノルド

 人気女優となったが演技力よりも容姿を重視してのキャスティングに不満だった。また、スタジオが要請するパーティーへの参加や、ゴシップ欄を賑わすための男性スターとのデートなどを拒んだ。
 (右の写真)
『富豪一代』(1937年) ケーリー・グラント
The Toast of New York

Flowing_Gold  演技派を志していた彼女はブロードウェイへ向かった。そして、出演した舞台「ゴールデン・ボーイ」(1937年)の劇作家クリフォード・オデッツと不倫の関係になった。
 オデッツは、
オスカー女優のルイーゼ・ライナーと結婚 していたが、不倫が原因で離婚した。
 (左の写真)『Flowing Gold(1940年) ジョン・ガーフィールド
* 「ゴールデン・ボーイ」 … バーバラ・スタンウィックウィリアム・ホールデン主演で映画化(1939年)された。

 舞台「ゴールデン・ボーイ」を主催したのは劇団「グループ・シアター」。エリア・カザンをはじめ、共産主義に傾倒した演劇人が多く所属し、‟赤がり”の時代に目をつけられた劇団である。
 (右の写真)『激闘』(1942年) タイロン・パワー
Son of Fury

  ハリウッドの水に合わず、結婚生活も破綻していた彼女はアルコールに依存するようになった。学生時代の経歴、そして、不倫相手のクリフォード・オ デッツが共産主義者だったことも災いした。フランシスは、高学歴で‟赤”にかぶれた高慢ちきな無神論者、共産主義者とのレッテルを貼られた。

 1942年、新作『Take a Letter, Darling』のリハーサルをすっぽかし、パラマウント社を解雇された。そして…。

Frances Farmer-2  …1942年10月19日、灯火管制にあったサンタモニカで、ヘッドライトを灯けて車を運転していたため、警官に止められた。そして、飲酒運転(無免許運転との説も)を咎めた警官に暴行を働き、公務執行妨害で投獄された。

 
500ドルの罰金を科せられ、250ドルを支払った。残額を支払う猶予期間(180日)は、警察の保護観察下に置かれることとなった。

 
1943年1月、罰金の残額を支払わずに逮捕。公判で、裁判官にインク瓶を投げつけ、刑務所行きとなった。


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 精神病と診断され、ロスの精神病院に収容。インスリンのショック療法を施された。

 1943年9月、母親の訴えが認められ、精神病院から退院。
 シアトルに戻り、半年ほどは平穏に暮らしていたが、母親に暴行を働くようになり、再び精神病院へ。電気ショック療法を施され、1944年の夏に退院。

 父親とネバダ州へ旅行中に逃亡。カリフォルニア州にて浮浪罪で逮捕。
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Frances Farmer-4  1945年5月、シアトルの精神病院に再収容。看守に性的暴行を加えられ、自分の排泄物を食べさせられたという話もある。また、ロボトミー手術を施されたとの説もあったが、これは事実ではない。

 約5年間、精神病院に収容され、1950年3月に仮釈放。

 1951年、再婚(1958年に離婚)。

 1953年、精神病の完治が認められ、市民権を回復。
 サンタモニカで逮捕されてから、「神は死んだ」転落の10年が漸く終わった。

 1958年、3度目の結婚(1963年に離婚)。再び舞台に立つようになり、TVにも出演した。冠番組「フランシス・ファーマー・プレゼンツ」は、1964年まで6年間も続いた。

 復帰後、1本だけ劇場用映画にも出演。『The Party Crashers(1958年)。パラマウント社のB級映画だった。

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 1970年56歳で他界。

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 1982年、彼女の人生を描いた映画『女優フランシス』が公開された。
 (左の写真)『女優フランシス』
 フランシス・ファーマーを演じたジェシカ・ラング(右)


 フランシス・ファーマーと同じシアトル出身のロック・バンド、ニルヴァーナのアルバム「イン・ユーテロ」(1993年)の中に、「フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル」という楽曲が収録されている。
 ニルヴァーナのカート・コバーンは、フランシス・ファーマーが共産主義者と見なされたために不当に逮捕され、精神病院に入れられたと主張している。
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1943年
レスリー・ハワードが非業の死を遂げる(イギリス)

Leslie_Howard
 1943年6月1日。『風と共に去りぬ』のアシュレー役で有名なレスリー・ハワードが非業の死を遂げた。
 レスリー・ハワードのページをご参照下さい )


1943年
チャップリン 子供を認知しろと訴えられる(アメリカ)

 ( 「チャップリン 愛の遍歴」のページをご参照ください )
Chaplin
Joan_Barry


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