20世紀・シネマ・パラダ
イス
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ボブ・ホー
プ
Bob Hope
1903-2003(イギリス/アメリカ)
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◆ 代表作
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ゴースト・ブレーカーズ
The Ghost Breakers
(1940年/アメリカ)
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モロッコへの道
Road to Morocco
(1942年/アメリカ)
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アラスカ珍道中
Road to Utopia
(1946年/アメリカ)
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腰抜け二挺拳銃
The Paleface
(1948年/アメリカ)
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◆ アメリカの国民的なコメディアン
・1903年、ロンドン生れ。4歳の時に家族でアメリカのオハイオ州に移
住。12歳の頃から公園で大道芸をして小遣いを稼ぎ、チャップリンのモノマネ・コ
ンテストで優勝したこともあったという。
高校卒業後、寄席芸人となり、10年近く下積みのドサ回りが続いたが、ブロードウェイのミュージカル・コメディ「ロバータ」(1933年)が大ヒットし、注目を集めた。
* 「ロバータ」 … RKO社で映画化(1935年)され、ボブ・ホープの役はフレッド・アステアが演じた。 |
・ブロードウェイでの成功がラジオや映画への出演に繋がった。エデュケーショナル・ピクチャーズ社の短編『Going Spanish』(1934年)で銀幕デビューし、その後、数本の短編に出演した。
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・パラマウント社で自身初の長編『100万ドル大放送』(1938年)に
出演。シャーリー・ロスとデュエットした「思い出によみがえる (Thanks for the Memory)」がアカデミー賞の歌曲賞を受賞。映画俳優としても注目を集めた。
(右の写真)『100万ドル大放送』 シャーリー・ロスと |
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・ポーレット・ゴダードと共演したコメディ・ホラー作『猫とカナリヤ』(1939年)、『ゴースト・ブレーカーズ』(1940年)等がヒットし、人気スターとなった。
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『猫とカナリヤ』(1939年)
ポーレット・ゴダードと
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『ゴースト・ブレーカーズ』(1940年)
ポーレット・ゴダードと
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・ビング・クロスビー、
ドロシー・ラムーアと共演したミュージカル・コメディ“珍道中シリーズ”は高い人気を誇り、7作品が製作された。 |
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『シンガポール珍道中』(1940年)、『アフリカ珍道中』(1941年)、『モロッコへの道』(1942年)、『アラスカ珍道中』(1946年)、『南米珍道中』(1947年)、『バリ島珍道
中』(1952年)、『ミサイル珍道中』(1962年)。
(左の写真)『アラスカ珍道中』 ビング・クロスビー(左)、ドロシー・ラムーアと |
* 日本で最初に公開された『モロッコへの道』だけ、‟珍道中”という言葉が使われていない。
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・日本では、『腰抜け二挺拳銃』(1948年)がヒットしたため、彼の主演映画は『腰抜け…』という題名が多いが、『腰抜け二挺拳銃』の続編は『腰抜け二挺拳銃の息子』(1952年)の1本だけ。2作品ともジェーン・ラッセルがヒロイン役を務めた。
(右の写真)『腰抜け二挺拳銃』 ジェーン・ラッセルと |
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・ドル箱(マネー・メイキング)
スター・ベストテンには、1941年(第4位)、1942年(第5位)、1943年(第2位)、1944年(第3位)、1945年(第8位)、1946年(第5位)、1947年
(第6位)、1948年(第5位)、1949年(第1位)、1950年(第2位)、1951年(第6位)、1952年(第5位)、1953年(第8位)と、13年連続でランク入り
した。
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・第12回(1939年度)アカデ
ミー賞授賞式で初めて司会をして以後、第50回(1977年度)まで歴代最多の18回も司会を務め
た。アカデミー賞授賞式の‟顔”とも言える存在でもあった。本人は5回表彰された。
* 特別賞 … 第13回(1940年度)と第17回(1944年度)
* 名誉賞 … 第25回(1952年度)と第38回(1965年度)
* ジーン・ハーショルト友愛賞 … 第32回(1959年度) |
・1963年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
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・第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争とアメリカが戦争する度に兵士の慰
問活動に尽力した。
イラク戦争(2003年)の時も本人は活動を望んだが、医師が許さなかったとの話もある。
(右の写真)兵士たちの前でパフォーマンスをするボブ・ホープ
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・議会名誉黄金勲章(1962年)、
大統領自由勲章(1969年)等、生涯で2,000以上の賞を受賞し、「最も数多く受賞したコメディアン」としてギネスブックに認定されている。
(左の写真)議会名誉黄金勲章受章時。
ジョン・F・ケネディ大統領(左)と |
・ビング・クロスビーとは私生活でも親友で、2人ともゴルフをこよなく愛した。
ゴルフ競技の発展に貢献したことにより、1983年に世界ゴルフ殿堂入りをした。
(右の写真)ビング・クロスビー(左)と。クロスビーも1978年にゴルフの殿堂入りをした。
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・1989年、AP通信社が「ボブ・ホープ死去」との誤報を流すという珍事もあった。
・2003年、100歳の誕生日の約2ヶ月後に他界。
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2004年第76回アカデミー賞授賞式。トム・ハンクスがボブ・ホープの功績を称えた。
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