20世紀・シネマ・パラダ イス

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Bing Crosby

ビング・ク ロスビー

Bing Crosby

 
1903-1977(アメリカ)


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     代表作
 
Road_to_Morocco Going_My_Way
モロッコへの道
Road to Morocco
(1942年/アメリカ)
我が道を往く
Going My Way
(1944年/アメリカ)
The_Bells_of_St._Mary's-1-2
White_Christmas
聖メリーの鐘
The Bells of St. Mary's

(1945年/アメリカ)
ホワイト・クリスマス
White Christmas
(1954年/アメリカ)
The_Country_Girl High_Society
喝采
The Country Girl

(1954年/アメリカ)
上流社会
High Society
(1956年/アメリカ)


    本国で絶大な人気を誇ったエンターテイナー

 ・1903年、ワシントン州生れ。大学を中退し、友人とロサンゼルスで歌手 活動をスタート。1926年、当時人気の「ポール・ホワイトマン楽団」に加入し、翌1927年、ボーカル・トリオ「リズム・ボーイズ」を結成。
 ポール・ホワイトマン主演の映画『King of Jazz(1930年)にも、「リズム・ボーイズ」として出演した。
 (右の写真)「リズム・ボーイズ」 一番左がビング・クロスビー
The_Rhythm_Boys

The_Big_Broadcast
 ・1931年、クロスビーのソロ・レコードがヒットし、「リズム・ボーイズ」 は解散。ラジオ番組「ビング・クロスビー・ショー」が好評を博し、全米で有数の人気歌手となっていた彼に目をつけたパラマウント社と契約。『ラジオは笑う』(1932年)で映画界にも本格的に進出した。
 (左の写真)『ラジオは笑う』 スチュアート・アーウィンと

We're_Not_Dressing
Two_for_Tonight
『恋と胃袋』(1934年)
キャロル・ロンバード

『今宵は二人で』(1935年)
ジョーン・ベネット


 ・ボブ・ホープ、ドロシー・ラ ムーアと共演したミュージカル・コメディ“珍道中シリーズ”は高い人気を誇り、7作品が製作された。
 『シンガポール珍道中』(1940年)、『アフリカ珍道中』(1941年)、『モロッコへの道』(1942年)、『アラスカ珍道中』(1946年)、『南米珍道中』(1947年)、『バリ島珍道 中』(1952年)、『ミサイル珍道中』(1962年)
 * 日本で最初に公開された『モロッコへの道』だけ、‟珍道中”という言葉が使われていない。
 (右の写真)『アラスカ珍道中』 ボブ・ホープ(右)、ドロシー・ラムーアと
Road_to_Utopia

Holiday_Inn
 ・フレッド・アステアと 共演したヒット作『スイング・ホテル』(1942年)からは、史上最も売れたシングル・レコード(推定5,000万枚)として、ギネス・ブックに認定されている名曲「ホワイト・クリスマス」が生まれた。
 (左の写真)『スイング・ホテル』 マージョリー・レイノルズ、フレッド・アステア(右)と

 ビング・クロスビーはクリスマス・ソング「サイレント・ナイト(きよしこの夜)」(1935年)も大ヒット(推定3,000万枚で歴代3位)させているが、この曲は宗教音楽のため売上は慈善事業へ寄付され、彼には1セントも入らなかったとか。

Going_My_Way-2
The_Bells_of_St._Mary's-2
『我が道を往く』(1944年/監督:レオ・マッケリー
バリー・フィッツジェラルド(右)と
『聖メリーの鐘』(1945年/監督:レオ・マッケリー)
イングリッド・バーグマン

 ・俳優としては、自他ともに‟軽いコメディアン” と認めるところで あったが、『我が道を往く』(1944年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞。コミカルな演技だけでなく、シリアスな演技も一流であると認められた。その後、『聖メリーの鐘』(1945年)、『喝采』(1954年)でもアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。


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 親友でもあったゲーリー・クー パーからオスカー像を贈られるビング・クロスビー。



The_Emperor_Waltz
White_Christmas
『皇帝円舞曲』(1947年/監督:ビリー・ワイルダー
ジョーン・フォンテイン

『ホワイト・クリスマス』 (1954年/監督:マイケル・カーティス
右から、ダニー・ケイ、ヴェラ・エレン、
ローズマリー・クルーニーと

The_Country_Girl-2 High_Society-2
『喝采』(1954年)
グレース・ケリー

『上流社会』(1956年)
ルイ・アームストロングと


 ・1960年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。

 ・MGM社ミュージカルのアンソロジー映画『ザッツ・エンタテインメント』(1974年)にプレゼンターの1人として出演したのが銀幕での最後の姿となった。同社の作品『上流社会』(1956年)からのシーン等が使用された。

 ・ドル箱(マネー・メイキング) スター・ベストテンには、1934年(第7位)に初登場。以後、1937年(第4位)、1940年(第7位)、1943年(第4位)、1944年から5年連続で第1位、 1949年(第2位)、1950年(第3位)、1951年(第5位)、1952年(第4位)、1953年(第5位)、1954年(第8位)と15回ランク入り。5年連続での第1位 は、バート・レイノルズ(1978〜82年)と共に歴代第1位。15回のランク入りは歴代第7位 (2014年現在)

Bing_Crosby-4  ・歌手としては、全米No.1ヒットが41曲。あのビートルズですら20曲なので、恐らく 歴代最多であろう。

 ・アカデミー賞の歌曲賞受賞は4曲。 「スイート・レイラニ」(『ワイキキの結婚』) 。「ホワイト・クリス マス」(『スイング・ホテル』)。「星にスイング」(『我が道 を往く』)。「冷たき宵に」(『花婿来たる』)。
 

 ・1962年、グラミー賞の生涯功労賞(Grammy Lifetime Achievement Award )を受賞。同賞の最初の受賞者である。

 ・「ホワイト・クリスマス」、「星にスイング」、「黄金の雨」、「僕は気ままに」 の4曲がグラミー賞の殿堂入りを果たしている (2014年現在)
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Bing_Crosby-5  ・ゴルフが大好きで、プロゴルフトーナメント「ビング・クロスビー・ナショナル・プロアマ」(1937年〜)を主催していた。
 また、ゴルフが出来なくなると いう理由で、TV番組「刑事コロンボ」シリーズの主役を辞退したとのエピソードも。
 ゴルフ競技の発展に貢献したことにより、没後の1978年に世界ゴルフ殿堂入りをした。
 (左の写真)ボブ・ホープ (左)と。ボブ・ホープもゴルフの殿堂入りをしている。

 ・1977年、スペインのマドリード郊外にあるゴルフ場でプレー中に心臓 麻痺で急死。享年74歳
 (右の写真)デビッド・ボウイ(左)と。亡くなる1ヶ月程前にロンドンで収録されたTV番組で共演した。
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