20世紀・シネマ・パラダイス
ジョーン・フォンテイン
Joan Fontaine
1917-2013 (イギリス/アメリカ)
◆
代表作
レベッカ
Rebecca
(1940年/アメリカ)
断崖
Suspicion
(1941年/アメリカ)
ジェーン・エア
Jane Eyre
(1943年/アメリカ)
忘れじの面影
Letter from an Unknown Woman
(1948年/アメリカ))
◆
ヒッチコック作品でオスカーを獲得した唯一のスター
・
1917年
、東京生まれ。本名は
Joan de Beauvoir Havilland
。
父親は東京帝国大学の英語教授、母親は元舞台女優で、共にイギリス人。1歳年上の姉は
オリヴィア・デ・ハヴィランド
。
姉妹が病弱だったため、母親の意向で、1919年にイギリスへ向かって出立。旅の途中、姉妹が病気となり、療養のために滞在したカリフォルニア州にそのまま定住。父親は家族と別れて日本へ戻り、その後、両親は離婚した。
!
3歳の時に、IQテストで160のスコアを出した天才児だった。
・高校生になると、彼女だけが日本へ戻り、父親と暮らしながら、アメリカン・スクールと聖心女学院に通った。
・1935年、高校卒業後アメリカへ戻り、銀幕デビュー
(1935年)
を果たしていた姉の後を追うように女優となり、舞台に出演。MGM社にスカウトされ、
ジョーン・クロフォード
主演の『男子牽制』で銀幕デビュー。
その後、RKO社と契約し、
フレッド・アステア
主演『踊る騎士』
(1937年)
、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア主演『ガンガ・ディン』
(1939年/監督:
ジョージ・スティーヴンス
)
、
ノーマ・シアラー
主演『ザ・ウィメン』
(1939年/監督:
ジョージ・キューカー
)
等に出演したが、1939年に契約を打ち切られてしまった。
『ガンガ・ディン』
左から、
ヴィクター・マクラグレン
、
ケーリー・グラント
、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアと
『
ザ・ウィメン』
ロザリンド・ラッセル
(左)、ノーマ・シアラー(右)と
・1939年、俳優のブライアン・エイハーンと結婚したが、1945年に離婚した。
(左の写真)ブライアン・エイハーンと
* ブライアン・エイハーン … 『
Juarez
』(1939年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
・女優として鳴かず飛ばずの状況だったが、独立系の大物プロデューサー、
デビッド・O・セルズニック
との出会いが転機となった。
セルズニックに
『風と共に去りぬ』
(1939年)
のメラニー役を勧められたが、彼女はスカーレット役を狙っていた為、姉のオリヴィアをメラニー役に推薦したとの逸話が残っている。
(右の写真)デビッド・O・セルズニックと
・セルズニックが製作した
アルフレッド・ヒッチコック
監督のハリウッド・デビュー作
『レベッカ』
(1940年)
でヒロインを演じ、アカデミー賞主演女優賞にノミネート。一躍人気スターとなった。
(左の写真)『レベッカ』
・ヒッチコック監督との2作目
『断崖』
(1941年)
で
、
アカデミー賞主演女優賞を受賞。ヒッチコック作品でオスカーを獲得した俳優は彼女だけである。
同じくオスカー候補だった姉のオリヴィアを破って受賞したことが、姉妹の不仲の原因の一つと言われている。
(右の写真)『断崖』 ケーリー・グラントと
アカデミー賞授賞式にて
姉のオリヴィア(右)と
ゲーリー・クーパー
と
・
シャルル・ボワイエ
と共演した『永遠の処女』
(1943年)
で、3度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。本人のお気に入りの作品。
『永遠の処女』(1943年)
シャルル・ボワイエと
『ジェーン・エア』(1943年)
オーソン・ウェルズ
と
・1946年、製作者のウィリアム・ドジャーと再婚。女の子を授かったが、1951年に離婚した。
『忘れじの面影』
(1948年)
は、ウリアム・ドジャーが製作した作品。
(左の写真)2番目の夫 ウィリアム・ドジャーと
*
ウィリアム・ドジャー … TVの「バットマン」(1966-68)等を製作した。
『忘れじの面影』(1948年)
ルイ・ジュールダンと
『皇帝円舞曲』(1948年/監督:
ビリー・ワイルダー
)
ビング・クロスビー
と
『不時着結婚』(1948年)
ジェームズ・ステュアート
と
『旅愁』(1950年)
ジョゼフ・コットン
と
・1951年、ペルー人の女の子を養子縁組。彼女が16歳になったら両親の元へ戻す約束だったが、女の子がペルーへ戻ることを拒否したため、ジョーンとの関係も疎遠になったという。
(右の写真)実子(左)と養子(右)と
・3度目の結婚
(1952-61年)
、4度目の結婚
(1964-69年)
とも長くは続かなかった。
『黒騎士』
(1952年)
ロバート・テイラー
と
『豪傑カサノヴァ』(1954年)
ボブ・ホープ
と
『条理ある疑いの彼方に』
(1956年/監督:
フリッツ・ラング
)
ダナ・アンドリュース
と
『影なき裁き』
(1966年)
・1950年代以降、徐々にヒット作に恵まれなくなり、劇場用映画は『影なき裁き』
(1966年)
が最後となったが、舞台やTVで息長く活躍した。
大ヒットした舞台「お茶と同情」
(1953年)
にも出演。
デボラ・カー
から引き継いだ役で、
アンソニー・パーキンス
と共演した。
(右の写真)舞台「お茶と同情」 アンソニー・パーキンスと
・TV「ヒッチコック劇場」
(1963年)
にもゲスト出演。
TVドラマ「
Good King Wenceslas
」
(1994年)
が、女優としての最後の作品となった。
(左の写真)アルフレッド・ヒッチコック監督と
・1978年、自伝「
No Bed of Roses
」を出版。
・東京で生まれたオリヴィアとジョーン。姉妹でアカデミー賞主演女優賞を獲得したのは、後にも先にもこの2人だけ
(2014現在)
。そんな2人が不仲だったのはちょっと残念。
(右の写真)オリヴィア・デ・ハヴィランド(右)と。1939年。
・ジョーンは、「
結婚もアカデミー賞も私の方が先だった。私が先に死ねば、姉は激怒するでしょう
」と語っていたそうだが、姉よりも先に逝ってしまった。
(左の写真)オリヴィア・デ・ハヴィランド(右)と。1939年。
・
2013年
、
96歳
で他界。
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