20世紀・シネマ・パラダ イス

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Olivia De Havilland

オリヴィ ア・デ・ハヴィランド

Olivia De Havilland

1916- 2020 (イギリス/アメリカ)


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     代表作

Captain_Blood
The_Adventures_of_Robin_Hood-2
海賊ブラッド
Captain Blood
(1935年/アメリカ)
ロビン・フッドの冒険
The Adventures of Robin Hood
(1938年/アメリカ)
Gone with the Wind
To Each His Own
風と共に去りぬ
Gone with the Wind

(1939年/アメリカ)
遥かなる我が子
To Each His Own

(1946年/アメリカ)
The Snake Pit
The Heiress
蛇の穴
The Snake Pit

(1948年/アメリカ)
女相続人
The Heiress
(1949年/アメリカ)

 
    日本で生まれた『風と共に去りぬ』のメラニー役女優

 ・1916年、東京生まれ。本名はOlivia Mary de Havilland。父親は東京帝国大学の英語教授、母親は元舞台女優で、共にイギリス人。翌年、妹のジョーン・フォンテイン (Joan de Beauvoir de Havilland )が生また。
 姉妹が病弱だったため、母親の意向で、1919年にイギリスへ向かって出立。旅の途中、姉妹が病気となり、療養のために滞在したカリフォルニア州にそ のまま定住した。
 父親は家族と別れて日本へ戻り、その後、両親は離婚した。
 (右の写真)赤ん坊の頃のオリヴィア・デ・ハヴィランド
Olivia De Havilland-4

Olivia De Havilland 1933  ・オリヴィアとジョーン姉妹の不仲は有名だが、これは子供の頃からのことで、母親がオリ ヴィアの方を特に可愛いがったことが原因との説もある。

 ・1933年、高校生の時に地元サラトガのアマチュア劇団の公演で、「不思議の国のアリス」の主人公アリス役を演じた。これが彼女の初舞台。
 (左の写真)1933年当時のオリヴィア

 ・ 1934年、ハリウッドの劇場でシェークスピアの「真夏の夜の夢」に出演。その後の巡業中に同作の映画化が決まり、映画監督も務めることになった舞台演出 家のマックス・ラインハルトに口説かれ、舞台と同じハーミヤ役で出演することになった。翌1935年に公開された『真夏の夜の夢』で銀幕デビューし、ワーナー・ブラザーズ社と契約を交わし た。
 (右の写真)デビュー作『真夏の夜の夢』でのオリヴィア
A Midsummer Night's Dream-2
  * マックス・ラインハルト … 戦前のドイツ演劇界で、「皇帝」と称されていたオーストリア出身の名演出家。

Captain_Blood-2
 ・4本目の出演作、エロール・フリンの相手役を務めた冒険アクション『海賊ブラッド』(1935年/監督:マイケル・カーティスが大ヒット2人の出世作となった。以後、エロール・フリンとは、『ロビン・フッドの冒険』(1938年/監督:マイケル・カーティス)など、合計9作で共演。ワーナー社のドル箱コンビとなった。
 (左の写真)『海賊ブラッド』エロール・フリンと

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『ロビンフッドの冒険』(1938年)
エロール・フリンと

『無法者の群』(1939年/監督:マイケル・カーティス)
エロール・フリンと

 ・超大作『風 と共に去りぬ』(1939年/監督:ヴィク ター・フレミングのメラニー役に抜擢され、アカデミー賞助演女優賞にノミネート。しかし、受賞したのは同作での共演者、マミー役のハティ・マ クダニエルだった同作は、独立系のデビッド・O・セルズニックが製作しMGM社が配給した作品。その為、オリヴィアが所 属していたワーナー・ブラザーズ社が彼女の後押しをしなかったとも言われている。
 (右の写真)『風と共に去りぬ』
Gone with the Wind

with_James_Stewart-2  ・この時期、私生活ではジェー ムズ・ステュアートが恋人だった。
 (左の写真)『風と共に去りぬ』ニューヨークでのプレミア時。ジェームズ・ステュアートと

 ・彼女は、セルズニック製作の『レ ベッカ』(1940年/監督:アルフレッ ド・ヒッチコックへの出演を望み、セルズニックもその気だったが、ワーナー・ブラザーズ社が許可しなかった。結局、『レベッカ』 のヒロインは妹のジョーン・フォンテインが演じ、アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされ、一躍人気スターの仲間入りを果たした。
 (右の写真)デビッド・O・セルズニックとオリヴィア
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The_Strawberry_Blonde-2
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『いちごブロンド』(1941年/監督:ラオール・ウォルシュ
ジェームズ・キャグニー
Holid Back the Dawn 』(1941年)
シャルル・ボワイエ

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 ・パラマウント社に貸し出されて出演した恋愛映画『Holid Back the Dawn(1941年)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたが、この年にオスカーを獲得したのは、『断崖』(監督:アルフレッド・ヒッチコック)に出演した妹のジョーン・フォンテインだった。
 (左の写真)アカデミー賞授賞式にて。ジョーン・フォンテイン(左)と

 ・アカデミー賞において、1度目は共演者に、2度目は実の妹に苦杯を嘗めさせられた彼女は、ワーナー・ブラザーズ社が提示した単純なヒロイン 役(=アカデミー賞が受賞できるとは思えない役)を拒否するなど、会社と衝突するようになった。
The_Male_Animal
In_This_Our_Life
『男性』 (1942年)
ヘンリー・フォンダ
『追憶の女』(1942年/監督:ジョン・ヒューストン
ベティ・デイビス

 ・1943年、オリヴィアは契約期間を巡り、ワーナー・ブラザーズ社を提訴した。当時のハリウッドでは、所属俳優が会社の提 示した役を拒否した場合、その作品の撮影期間も契約期間に加算延長することが認められていた。オリヴィアはこれを不当だと訴え、裁判は彼女の勝訴となっ た。ハリウッドの俳優に大きな恩恵を与えたこの判例は、今日でも「デ・ハヴィランド法」として知られている。

 ・裁判には勝ったものの、女優の仕事を干されていた彼女は、約3年ぶりの復帰作『遥かなる我が子』(1946年/パラマウント社)で、念願のアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
 (右の写真)『遥かなる我が子』 ジョン・ランドと
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 ・アカデミー賞授賞式では、「私が演技の質を保ち続けたことを認めて下さり感謝します…」とスピーチした。
 (左の写真)プレゼンターのレイ・ミランド

 ・授賞式の舞台裏で有名な事件が発生。妹のジョーンが祝福しに来た時、 彼女はくるりと背を向け、「私の気持ちは知っているくせに…」 と呟いたという。その時の写真(右の写真)が新聞に出て、姉妹の不仲が公然の事実となった。 Olivia_Oscar-1-2

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 ・私生活では、ジェームズ・ステュアートと別れた後、ジョン・ヒューストン監督との交際を 経て、1946年に作家のマーカス・グッドリッチと結婚。1949年に息子を授かったが、1953年に離婚した。
 (左の写真)最初の夫マーカス・グッドリッチと

 ・精神病患者を熱演した『蛇の穴』(1948年/監督:アナトール・リトヴァク)で、アカデミー賞の主演女優賞に3度目のノミネート。同賞は逃したが、ベネチア国際映画祭の主演女優賞の他、多くの賞を受賞した。
 (右の写真)『蛇の穴』
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 ・『女相続人』(1949年/監督:ウィリアム・ワイラーで2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞。尚、かつての恋人、ジェームズ・ステュアートが同賞のプレゼンターだった。
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『女相続人』 モンゴメリー・クリフト アカデミー賞授賞式にて

 ・1951年、舞台「ロミオとジュリエット」 のジュリエット役でブロードウェイ・デビュー。

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『謎の佳人レイチェル』(1952年)
リチャード・バートン

『見知らぬ人でなく』(1955年/監督:スタンリー・クレイマー
ロバート・ミッチャム


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 ・1955年、フランス人ジャーナリスト、ピエール・ガランテと再婚。結婚を機にパリに移 住した。
 1956年に娘を授かったが、1979年に離婚した。
 (左の写真)2番目の夫ピエール・ガランテと

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『不意打ち』(1964年) 『ふるえて眠れ』(1964年/監督:ロバート・アルドリッチ)
ベティ・デイビスと

 ・『ふるえて眠れ』で、ワーナー社時代の先輩ベティ・デイビスと22年ぶりの共演。ジョーン・クロフォードが降板し、ヴィヴィアン・リーが辞退した役。 
 ベティはオリヴィアよりも先にワーナー社と裁判で争ったが敗訴している。2人は私生活でも親友だった。(右の写真)仲良く和食を召し上がっているベティ(左)とオリヴィア 
with Bette Davis

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 ・1970年代に入ってからも、『エアポート’77 バミューダからの脱出』(1977年)、『スウォーム』(1978年)といったオールスター・キャストの大作映画に出演。
  劇場用映画への出演は『The Fifth Musketeer(1979年)が最後となったが、TVドラマ 『アナスタシア/光・ゆらめいて』(1986年)で、ゴールデ ン・グローブ賞の助演女優賞を受賞した。
 (左の写真)ゴールデン・グローブ賞授賞式でのオリヴィア

 ・2003年、第75回アカデミー賞授賞式に登場。スタンディング・オベーションで迎えら れた。

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 第75回アカデミー賞授賞式。過去の受賞者が大集合。そうそうたる顔ぶれ。

 

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 ・2008年、アメリカ政府から国家芸術メダルを授与される。
 
 ・2010年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与される。

 ・2020年、104歳で他界。

Olivia De Havilland-2
Olivia De Havilland-3


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