20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Raoul Walsh

ラオール・ウォルシュ

Raoul Walsh

1887-1980(アメリカ)

Megaphonrbar


     代表作

The Thief of Bagdad The Roaring Twenties
バグダッドの盗賊
The Thief of Bagdad
 (1924年/アメリカ)
彼奴は顔役だ!
The Roaring Twenties
 (1939年/アメリカ)
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White Heat
死の谷
Colorado Temitory
(1949年/アメリカ)
白熱
White Heat
(1949年/アメリカ)


    サイレント期から活躍した男性映画の巨匠

 ・1887年、ニューヨーク生れ。テキサス州でカウボーイをしていたが、地方巡業の劇団に入り、ニューヨークへ戻った。メキシコ革命の英雄パンチョ・ビラのドキュメンタリー映画『Life of Villa(1912年)のロケ隊に加わって、映画界入り。同作の監督が撮った『The Life of General Villa(1914年)では、若き日のパンチョ・ビラを演じた。

 ・『Life of Villa 』の製作者だったD・W・グリフィスの下で働きながら映画について学び、1913年に短編映画を撮って、監督としてデビューした。グリフィス監督の『國民の創生』(1915年)では、アシスタント・ディレクターを務めたほか、リンカーン大統領殺人犯を演じた。
 (右の写真)『國民の創生』 ラオール・ウォルシュ(左) 
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Regeneration
 ・初の長編『Regeneration(1915年)は、ニューヨークを舞台に、ギャングになった青年と、彼を更生させようとする女性を描き、批評家から絶賛された。マンハッタンでの撮影では、本物のギャングや娼婦がエキストラで出演。最古の長編ギャング映画とされている。
 (左の写真)『Regeneration 』 ヒロイン役はアンナ・Q・ニルソン


 ・1916年、『國民の創生』、『イントレランス』等に出演した女優のミリアム・クーパーと結婚。彼女が主演の作品も数多く手がけたが、1926年に離婚した。 
 (右の写真)最初の妻ミリアム・クーパーと
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 ・ダグラス・フェアバンクス製作・主演の大作『バグダッドの盗賊』(1924年)の監督に抜擢されて大成功を収め、名監督としての地位を確立した。
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『バグダッドの盗賊』(1924年)
ダグラス・フェアバンクス
『バグダッドの盗賊』撮影時
ダグラス・フェアバンクス(右)と

 ・1927年、アカデミー協会(「映画芸術科学アカデミー」)の創設会員36名の1人として名を連ねた。  

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 ・グロリア・スワンソン製作・主演の『港の女』(1928年)では、監督だけでなく、久方ぶりに役者として出演もした。
 その後、監督兼主役として『懐かしのアリゾナ』の撮影に臨んだが、撮影車に野ウサギが飛び込んできて右目を負傷。以後、アイパッチを着用することになった。役者としては『港の女』が最後となった。
 (左の写真)『港の女』 グロリア・スワンソンと
 * 『懐かしのアリゾナ』(1928年)は、アーヴィング・カミングスが監督を引き継ぎ、代役として出演したワーナー・バクスターがアカデミー 賞主演男優賞を受賞した。

 ・『ビッグ・トレイル』(1930年)の撮影前、ゲーリー・クーパーをパラマウント社から借りることが出来ずに困っている時、ジョン・フォード監督から無名の新人マリオン・ロバート・モリソンを紹介され、主役に抜擢。彼にジョン・ウェインという芸名を授けた。ウォルシュ監督はジョン・ウェインの名付親でもある。『ビッグ・トレイル』は、 当時としては革新的な70ミリのフィルムで撮影され、200万ドルの巨費を投じた超大作だったが、興行的には失敗作となった。
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『ビッグ・トレイル』(1930年)
ジョン・ウェイン
『ビッグ・トレイル』撮影時
ジョン・ウェイン(左)、ウォルシュ監督(右から2番目)
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『彼奴は顔役だ!』(1939年)
ジェームズ・キャグニーハンフリー・ボガート

『彼奴は顔役だ!』撮影時
ジェームズ・キャグニー(右)と

 ・『ハイ・シェラ』(1941年)では、それまで助演(大半が悪役)クラスに甘んじていたハンフリー・ボガートを主役に起用。ボギーが大スターへの階段を駆け上がるきっかけとなった。ウォルシュ監督は、『ハイ・シェラ』を西部劇にリメイクした『死の谷』(1949年)も撮り、こちらも傑作に仕上げた。
High Sierra
Bogart Walsh
『ハイ・シェラ』(1941年)
ハンフリー・ボガート、アイダ・ルピノ
『ハイ・シェラ』撮影時
ハンフリー・ボガート(左)と
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They_Died_with_Their_Boots_On-2
『壮烈第七騎兵隊』(1941年)
オリヴィア・デ・ハヴィランドエロール・フリン
『壮烈第七騎兵隊』撮影時
エロール・フリン(左)、オリヴィア・デ・ハヴィランドと
The_Strawberry_Blonde
The_Strawberry_Blonde
『いちごブロンド』(1941年)
ジェームズ・キャグニー、オリヴィア・デ・ハヴィランド
『いちごブロンド』撮影時
オリヴィア・デ・ハヴィランドと
Manpower-2
Manpower.
『大雷雨』(1941年)
マレーネ・ディートリッヒエドワード・G・ロビンソン
『大雷雨』撮影時
マレーネ・ディートリッヒ(黒服)と


 ・『白熱』(1948年)では、ジェームズ・キャグニーから迫真の演技を引き出し、フィルム・ノワールの傑作に仕上げた。
White_Heat-2
Cagney Walsh
『白熱』(1948年)
ジェームズ・キャグニー

左から、ジーン・キャグニー(キャグニーの妹)、キャグニー、
ウィリアム・キャグニーの
(キャグニーの弟)、ウォルシュ監督
Captain Horatio Hornblower R.N.-2
Captain_Horatio_Hornblower_R.N.
『艦長ホレーショ』(1951年)
グレゴリー・ペック

『艦長ホレーショ』撮影時
グレゴリー・ペックと
The_King_and_Four_Queens-2
The_King_and_Four_Queens
『ながれ者』(1956年)
エレノア・パーカー、クラーク・ゲーブル
『ながれ者』撮影時
クラーク・ゲーブルと

 ・『遠い喇叭』(1964年)を最後に引退。

 ・1980年93歳で他界。
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 ・2008年、AFI (アメリカ映画協会)が選定したジャンル別ベストテンで、『バグダッドの盗賊』がファンタジー映画の第9位、『白熱』がギャング映画の第4位にランクイン。


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