20世紀・シネマ・パラダイス

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Gregory Peck

グレゴリー・ペック

Gregory Peck

   
1916-2003(アメリカ)
 

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     代表作
 
Spellbound
The Yearling
白い恐怖
Spellbound
(1945年/アメリカ)
子鹿物語
The Yearling

(1946年/アメリカ)
Duel_in_the_Sun-2
Gentleman's_Agreement
白昼の決闘
Duel in the Sun

(1946年/アメリカ)
紳士協定
Gentleman's Agreement
(1947年/アメリカ)
Twelve O'Clock High
Roman_Holiday-3
頭上の敵機
Twelve O'Clock High

(1949年/アメリカ)
ローマの休日
Roman Holiday
(1953年/アメリカ)
The_Big_Country
To kill a Mockingbird
大いなる西部
The Big Country

(1958年/アメリカ)
アラバマ物語
To kill a Mockingbird
(1962年/アメリカ)


    ハリウッドを代表する正統派2枚目スターの1人

 ・1916年、カリフォルニア州生れ。
 6歳の時に両親が離婚。母方の祖母に引き取られたが、10歳の時に祖母が亡くなり、以後、父親に育てられた。
 (右の写真)子供の頃のグレゴリー・ペック

 ・薬剤師だった父親の希望でサンディエゴ州立大学の医学部に入学したが、家計が苦しくなり1年間休学。石油会社のトラック運転手として働いた。
Gregory_Peck-5

Gregory_Peck-6
 ・カリフォルニア大学バークレー校に編入。ボート部のレガッタ選手となったが、脊髄を負傷して退部。その後、演劇部に入って活躍した。
 (左の写真)大学時代のグレゴリー・ペック

 
・大学卒業後、ニューヨークの俳優養成学校ネイバーフッド・プレイハウスに入校。著名な指導者サンフォード・マイズナーに演技の指導を受けた。
 

 ・1941年、舞台の大女優キャサリン・コーネルと製作者ガスリー・マクリンティックの夫妻が率いる劇団に入団。サンフランシスコの劇場でコーネル主演の劇「The Doctor's Dilemma」に出演して本格的な役者デビューを果たしたが、1週間後に日本軍の真珠湾攻撃があり公演は打ち切りとなってしまった。

 ・1942年、舞台劇「The Morning Star」でブロードウェイ・デビュー。ペックはレガッタ選手の時に脊髄を負傷したため、兵役を免除されたと言われている。

 ・私生活では、キャサリン・コーネルのヘア・メイク係だったグレタ・ライスと1942年に結婚。3人の息子を授かった。 
 (右の写真)最初の妻グレタ・ライスと
Greta_Kukkonen

Days_of_Glory-2
 ・ブロードウェイでの2作目「The Willow and I」に出演しているところを、映画脚本家のケーシー・ロビンソンにスカウトされ、彼が製作・脚本の『炎のロシア戦線(栄光の日々)』(1944年/RKO社)に出演。主役はロビンソンの当時の妻で、ロシア出身の世界的な人気バレリーナ、タマーラ・トゥマーノワ。彼女の相手役、準主役での華々しい銀幕デビューだった。
 (左の写真)『炎のロシア戦線(栄光の日々)』 タマーラ・トゥマーノワと
 * ケーシー・ロビンソン … 『海賊ブラッド』(1935年)、『愛の勝利』(1939年)、『サラトガ本線』(1944年)等の脚本家。

 ・新星グレゴリー・ペックは大評判となり、映画会社間で争奪戦が繰り広げられたという。
 20世紀FOX社は大作『王国の鍵』(1944年)の主役に抜擢し、MGM社は『愛の決断』(1945年)で自社のトップ女優グリア・ガースンの相手役に起用。独立系のデビッド・O・セルズニックも負けじと『白い恐怖』(1945年/監督:アルフレッド・ヒッチコックで人気絶頂のイングリッド・バーグマンと共演させた。神父を演じた『王国の鍵』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
 (右の写真)『王国の鍵』 トーマス・ミッチェル(左)と
The_Keys_of_the_Kingdom

The_Valley_of_Decision-2
Spellbound-2
『愛の決断』(1945年)
グリア・ガースンと
『白い恐怖』(1945年)
イングリッド・バーグマンと


The_Yearling-2  ・開拓民一家の心優しき父親を演じた『子鹿物語』(1946年/監督:クラレンス・ブラウンで2年連続2度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。オスカーは逃したが、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞を受賞した。
 (左の写真)『子鹿物語』 クロード・ジャーマン・ジュニアジェーン・ワイマン

 ・デビッド・O・セルズニックが豪華キャストで製作した超大作ウエスタン『白昼の決闘』(1946年/監督:キング・ヴィダーでは、ニヒルでダーティーな主人公を堂々と演じ、映画は大ヒットした。
 (右の写真)『白昼の決闘』 ジェニファー・ジョーンズ
Duel_in_the_Sun

The_Macomber_Affair  ・1947年、ドル箱(マネー・メイキング)スター・ベストテンに第8位で初のランク・イン。クラーク・ゲーブルゲーリー・クーパージョン・ウェインハンフリー・ボガートも下積み時代があったが、グレゴリー・ペックは恵まれたデビューから一気にトップスターへと駆け上がった。
 (左の写真)『決死の猛獣狩り』 ジョーン・ベネット

 ・ユダヤ人差別を告発する記事を書くためユダヤ人を装った作家に扮した『紳士協定』(1947年/監督:エリア・カザンで、3年連続3度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
Gentleman's_Agreement-2 The_Paradine_Case
『紳士協定』(1947年)
ドロシー・マクガイアと
『パラダイン夫人の恋』(1947年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)
アリダ・ヴァリ

Yellow_Sky
The_Great_Sinner
『廃墟の群盗』(1948年)
アン・バクスター
The Great Sinner』(1949年)
エヴァ・ガードナー

 ・『頭上の敵機』(1949年/監督:ヘンリー・キング)で、2年ぶり4度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。またしてもオスカーは逃したが、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞を受賞した。
 (右の写真)『頭上の敵機』
Twelve_O'Clock_High-2

The_Gunfighter-2
 ・ペックのキャリアで最多の6作品で組んだヘンリー・キング監督との2作目『拳銃王』(1950年)は、ペック本人のお気に入りの1作。
 (左の写真)『拳銃王』

Captain_Horatio_Hornblower-2
Only_the_Valiant
『艦長ホレーショ』(1951年/監督:ラオール・ウォルシュ)
ヴァージニア・メイヨ
『勇者のみ』(1951年)
バーバラ・ペイトンと

David_and_Bathsheba The_World_in_His_Arms-2
『愛欲の十字路』(1951年/監督:ヘンリー・キング)
スーザン・ヘイワード
『世界を彼の腕に』(1952年/監督:ラオール・ウォルシュ)
アン・ブライスと

 ・アーネスト・ヘミングウェイ原作の『キリマンジャロの雪』(1952年/監督:ヘンリー・キング)が、全米で年間興行成績第3位の大ヒット。
 (右の写真)『キリマンジャロの雪』 エヴァ・ガードナーと
The_Snows_of_Kilimanjaro

Roman_Holiday-2  ・『ローマの休日』(1953年/監督:ウィリアム・ワイラーは、ペックが初めて挑んだロマンチック・コメディ作品。新人のオードリー・ヘップバーンとの息もピッタリで、日本で最も人気の高い作品となった。
 (左の写真)『ローマの休日』 オードリー・ヘップバーンと

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