20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
William Wyler

ウィリアム・ワイラー

William Wyler

 
1902-1981(アメリカ)

Megaphonrbar


  ◆
 代表作

Dodsworth
Mrs. Miniver
孔雀夫人
Dodsworth
(1936年/アメリカ)
ミニヴァー夫人
Mrs. Miniver
(1942年/アメリカ)
The_Best_Years_of_Our_Lives
The_Heiress
我等の生涯の最良の年
The Best Years of Our Lives
(1946年/アメリカ)
女相続人
 The Heiress
 (1949年/アメリカ)
Roman_Holiday-1
Friendly_Persuasion
ローマの休日
Roman Holiday
(1953年/アメリカ)
友情ある説得
Friendly Persuasion
(1956年/アメリカ)
The Big Country
Ben-Hur
大いなる西部
The Big Country
(1958年/アメリカ)
ベン・ハー
Ben-Hur
(1959年/アメリカ)


    多くのジャンルで名作を撮ったハリウッドを代表する名匠

 ・1902年、フランスのミュルーズ(当時はドイツ帝国領)生れ。父親はユダヤ系スイス人。母親はユダヤ系ドイツ人。父親が営む小物屋を継ぐことを嫌って、パリへ出て音楽を習ったが挫折した。

 ・1920年、母親のいとこだったユニヴァーサル社の創設者カール・レムリを頼って渡米。同社のニューヨーク・オフィスで雑用係として働いた後、1922年にハリウッドへ移り、小道具係、助監督を務めるようになった。
 (右の写真)カール・レムリ(右)と
Carl_Laemmle

 ・B級西部劇『The Crook Buster(1925年)で監督デビュー。以後、5年間で30本強のB級映画を監督したが、その大半が西部劇だった。1928年にアメリカの市民権を取得した。

Hell's_Heroes  ・ユニヴァーサル社初の屋外トーキー作品『砂漠の生霊』(1930年)で成功を収め、以後、『北海の漁火』(1931年)、『巨人登場』(1933年)等の良作を撮り、映画監督として頭角を現していった。
 (左の写真)『砂漠の生霊』
  …ジョン・フォード監督の『恵みの光』
(1919年)、『三人の名付親』(1948年)と同じ原作の西部劇。

A_House_Divided
Counsellor_at_Law-2
『北海の漁火』(1931年
ヘレン・チャンドラー、ウォルター・ヒューストン
『巨人登場』(1933年)
 ビーブ・ダニエルズジョン・バリモア


 ・1934年、『お人好しの仙女』(1935年)でヒロインを務めたマーガレット・サラヴァンと結婚したが、2年後に離婚した。
 (右の写真)マーガレット・サラヴァンと
Wyler_Sullavan-2

Samuel_Goldwyn
 ・1935年、ユニヴァーサル社が経営難に陥り、創業者のカール・レムリをはじめ、親戚縁者は会社を追われた。
 才能を買われていたワイラーは、独立系の映画製作者サミュエル・ゴールドウィンと契約した。
 (左の写真)サミュエル・ゴールドウィン(左)と

 ・リリアン・ヘルマン原作の舞台劇「子供の時間」を映画化した『この三人』(1936年)を監督。助演のボニータ・グランヴィルがアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた。
These Three
These Three-2
『この三人』(1936年) 左から、マール・オベロン、
ジョエル・マクリーミリアム・ホプキンス

『この三人』撮影時。ワイラー監督(左)、
サミュエル・ゴールドウィン、マール・オベロン (右)

 ・シンクレア・ルイス原作の舞台劇を映画化した『孔雀夫人』(1936年)を監督。アカデミー賞の作品賞、監督賞など7部門でノミネートされ、室内装置賞を受賞。
 舞台劇の映画化でその力量を遺憾なく発揮したワイラー監督。ロケよりもスタジオでの撮影を好んでいたという。
Dodsworth-2
Dodsworth-3
『孔雀夫人』(1936年)
ルース・チャタートン、ウォルター・ヒューストン

『孔雀夫人』撮影時
メアリー・アスター、ウォルター・ヒューストン(右)と

 ・1936年にはもう1本『大自然の凱歌』を監督。当初の監督ハワード・ホークスが、製作者のサミュエル・ゴールドウィンと対立して解雇され、ワイラー監督が残りの約1/3を撮影。アカデミー賞の助演男優賞 (ウォルター・ブレナンを受賞した。

 ・シドニー・キングスレー原作の舞台劇を映画化した『デッド・エンド』(1937年)を監督。リリアン・ヘルマンが脚色を担当。アカデミー賞の作品賞、助演女優賞(クレア・トレヴァーなど4部門でノミネートされた。
Dead End
Dead End-2
『デッド・エンド』(1937年)
 ジョエル・マクリー(左)、シルヴィア・シドニー

『デッド・エンド』撮影時。ワイラー監督(左)
ハンフリー・ボガート、クレア・トレヴァー

 ・ワーナー・ブラザーズ社で、ブロードウェイ劇のヒット作を映画化した『黒蘭の女』(1938年)を監督。アメリカ南部の女性をヒロインとした作品で、『風と共に去りぬ』のモノクロ版とも言われている。アカデミー賞の作品賞など5部門でノミネートされ、主演女優賞ベティ・デイビス、助演女優賞(フェイ・ベンダー)の2部門で受賞。ちなみに、主演男優のヘンリー・フォンダは、マーガレット・サラヴァンの最初の結婚相手。
Jezebel
Jezebel-2
『黒蘭の女』(1938年)
ベティ・デイビス、ヘンリー・フォンダ

『黒蘭の女』撮影時
ベティ・デイビス、ヘンリー・フォンダ(後)と

 ・1938年、女優のマーガレット・タリチェットと再婚。5人の子共を授かり、ワイラー監督が亡くなるまで連れ添った。
 (右の写真)マーガレット・タリチェットと
Margaret_Tallichet

 ・エミリー・ブロンテ原作の『嵐ケ丘』(1939年)を監督。アカデミー賞の作品賞、監督賞など7部門でノミネートされ、撮影賞(白黒部門)を受賞。
Wuthering_Heights
Wuthering_Heights-2
『嵐ケ丘』(1939年)
 ローレンス・オリビエ、マール・オベロン
『嵐ケ丘』撮影時
ローレンス・オリビエ(左)、マール・オベロンと

  伝説のカメラマン、グレッグ・トーランド
Gregg_Toland-2  ・『嵐ケ丘』でアカデミー賞撮影賞を受賞したグレッグ・トーランドとは、『この三人』、『大自然の凱歌』、『デッド・エンド』、 『西部の男』、『偽りの花園』、『我等の生涯の最良の年』でも組んだ。
 
(左の写真)グレッグ・トーランド(右)と
 『偽りの花園』では、カット割りを好まなかったワイラー監督の要望で、「パン・フォーカス」の技法を開発した伝説の名カメラマン。
 ジョン・フォード『怒りの葡萄』オーソン・ウェルズ『市民ケーン』、ハワード・ホークスの『教授と美女』等も撮影。1948年、44歳の若さで他界した。
 (右の写真)グレッグ・トーランド(左)と
Gregg_Toland-3

 ・ゲーリー・クーパー主演で、久々の西部劇『西部の男』(1940年)を監督。アカデミー賞では3部門でノミネートされ、西部開拓時代の実在の人物ロイ・ビーン判事を演じたウォルター・ブレナンに3度目となる助演男優賞をもたらした。
The_Westerner
The_Westerner-3
『西部の男』(1940年)
ウォルター・ブレナン(左)、ゲーリー・クーパー

『西部の男』撮影時
ゲーリー・クーパー(左)、サミュエル・ゴールドウィン(中央)と

 ・再びワーナー・ブラザーズ社に招かれ、サマセット・モームの短編小説「手紙」を映画化した『月光の女』(1940年)を監督。アカデミー賞の作品賞、監督賞など7部門でノミネートされた。
The Letter
The_Letter-3
『月光の女』(1940年)
ベティ・デイビス、ハーバート・マーシャル

『月光の女』撮影時
ベティ・デイビスと

  ・妥協を許さない演出で、完璧主義者だったワイラー監督。納得いくまで撮り直しを繰り返したことから 「90回撮りのワイラー」とも呼ばれていた。特に、ベティ・デイビスとの撮影現場での喧嘩腰のやり取りは語り草に。2人は一時期、恋愛関係にあったとの説 も。
 (右の写真)ベティ・デイビスと
Wyler Davis

 ・リリアン・ヘルマン原作の舞台劇「子狐たち」を映画化した『偽りの花園』(1941年)を監督。ベティ・デイビスはワナー社から貸し出されての出演。アカデミー賞の作品賞、監督賞など8部門でノミネートされたが無冠に終わった。
The Little Foxes The Little Foxes-2
『偽りの花園』(1941年)
ハーバート・マーシャル、ベティ・デイビス

『偽りの花園』撮影時
テレサ・ライト(左)、ベティ・デイビスと

  劇作家リリアン・ヘルマン
Lillian Helman  ・ワイラー監督と多くの作品でコラボし、『偽りの花園』でアカデミー賞脚色賞にノミネートされた。
 
彼女の自伝的映画『ジュリア』(1977年/監督:フレッド・ジンネマンでは、ジェーン・フォンダがヘルマンを演じた。
 
(左の写真)リリアン・ヘルマンと

 ・MGM社で、銃後の賢夫人を描いた『ミニヴァー夫人』(1942年)を監督。アメリカが第2次世界大戦に参戦し、国民の戦意高揚のために製作された作品で、その年の最大のヒット作となった。
 アカデミー賞では11部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞グリア・ガースン、助演女優賞(テレサ・ライト)、脚色賞、撮影賞(白黒部門)の6部門で受賞。ワイラー監督は5度目のノミネートで初の栄冠となった。
Mrs._Miniver-4
Mrs._Miniver-3
『ミニヴァー夫人』(1942年)
グリア・ガースン、ウォルター・ピジョン

『ミニヴァー夫人』撮影時
グリア・ガースンと

  ・『ミニヴァー夫人』の撮影後、米陸軍航空隊に入隊し、ドキュメンタリー『The Memphis Belle 』、『The Fighting Lady 』、『Thunderbolt 』を製作。
 『Thunderbolt 』の撮影中に、風圧とエンジン音で右耳の聴力を失った。
 (右の写真) 「メンフィス・ベル」こと B-17F機をバックに。中央がワイラー監督
Memphis Belle
 * 娘のキャサリンが、 映画『メンフィス・ベル』(1990年)の共同プロデューサーとなった。

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