20世紀・シネマ・パラダイス

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Margaret_Sullavan

マーガレット・サラヴァン

Margaret Sullavan

 1909-1960 (アメリカ)


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   代表作

The_Good_Fairy The_Moon's_Our_Home
お人好しの仙女
The Good Fairy

(1935年/アメリカ)
月は我が家
The Moon's Our Home

(1936年/アメリカ)
Three_Comrades-2 The_Shop_Around_the_Corner
三人の仲間
Three Comrades
(1938年/アメリカ)
街角 桃色の店
The Shop Around the Corner
(1940年/アメリカ)


    ヘンリー・フォンダ、ウィリアム・ワイラーの最初の結婚相手としても有名 
 
 ・1909年、ヴァージニア州生れ。1928年、劇団ユニヴァーシティ・プレイヤーズ・ギルドに参加し、女優としての道を歩み始めた。
 1931年、同じ劇団員だったヘンリー・フォンダと結婚したが、数ヵ月で破綻した。ちなみに、フォンダ(1905年生れ)とは、誕生日が同じ5月16日だった。
 (右の写真)最初の夫ヘンリー・フォンダと
Henry Fonda

Only_Yesterday  ・ブロードウェイの舞台に出演しているところをジョン・M・スタール監督にスカウトされ、同監督の『昨日』(1933年)の主役で銀幕デビューした。
 (左の写真)『昨日』 ジョン・ボールズと

Little_Man,_What_Now
The_Good_Fairy-2
『第三階級』(1934年/監督:フランク・ボーゼージ
ダグラス・モンゴメリーと

『お人好しの仙女』(1935年/監督:ウィリアム・ワイラー

 ・3作目の映画『お人好しの仙女』(1935年)の撮影中にウィリアム・ワイラー監督と再婚(1934年)したが、2年後に離婚した。
 (右の写真)『お人好しの仙女』撮影時。ウィリアム・ワイラー監督と
William_Wyler

 ・『結婚設計図』(1936年)に出演する際、相手役にかつて劇団ユニヴァーシティ・プレイヤーズ・ギルドで同僚だったジェームズ・ステュアートを推薦。親友のヘンリー・フォンダの誘いでハリウッドへ来たものの、鳴かず飛ばずの状況だったジェームズ・ステュアートの飛躍のきっかけとなった。
So_Red_the_Rose
Next Time We Love
『薔薇は何故紅い』(1935年/監督:キング・ヴィダー
ランドルフ・スコットと

『結婚設計図』(1936年)
ジェームズ・ステュアートと

The_Moon's_Our_Home-2  ・『月は我が家』(1936年)では、元夫のヘンリー・フォンダと共演もした。
 (左の写真)『月は我が家』 ヘンリー・フォンダと

 ・1936年、大手タレント・エージェントで、後に演劇・映画プロデューサーとなったリーランド・ヘイワードと3度目の結婚をして、3人の子供を授かったが、1947年に離婚した。その後、1950年に銀行家と4度目の結婚をした。

 ・『三人の仲間』(1938年)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。『黒蘭の女』のベティ・デイビスに敗れたが、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞した。
 (右の写真)『三人の仲間』 ロバート・テイラー(手前)、フランチョット・トーン(左)、ロバート・ヤングと
Three_Comrades

The_Shopworn_Angel
The_Shining_Hour
The Shopworn Angel』(1938年)
ジェームズ・ステュアートと

The Shining Hour』(1938年)
左から、メルヴィン・ダグラスジョーン・クロフォード
マーガレット・サラヴァン、ロバート・ヤング

*The Shopworn Angel』 … サイレント期の1919年と1928年(主演:ゲーリー・クーパー『店曝しの天使』)に映画化されている。

The_Shop_Around_the_Corner-2  ・ジェームズ・ステュアートとの3度目の共演作『街角 桃色の店』(1940年/監督:エルンスト・ルビッチは、彼女の1番の代表作となった。
 メグ・ライアン、トム・ハンクス主演『ユー・ガット・メール』(1998年)として、リメクもされた人気作品。 
 (左の写真)『街角 桃色の店』 ジェームズ・ステュアートと

The_Mortal_Storm
Back_Street
The Mortal Storm(1940年/監督:フランク・ボーゼージ)
ジェームズ・ステュアートと

『裏街』(1941年)
 シャルル・ボワイエ

 ・映画よりも舞台の方を好んでいたようで、ブロードウェイで大活躍した。

 ・1943年12月、ヒロインを務めたブロードウェイの舞台劇「The Voice of the Turtle」の公演がスタート。同舞台は1948年1月まで続く記録的なロングラン公演(非ミュージカル劇としては歴代第9位)となった。
 (右の写真)ブロードウェイ劇「The Voice of the Turtle
 エリオット・ニュージェントと

The_Voice_of_the_Turtle

No_Sad_Songs_for_Me  ・『No Sad Songs for Me(1950年)で7年ぶりに銀幕復帰したが、同作が最後の映画となった。
 (左の写真)『No Sad Songs for Me』 ウェンデル・コーリィ、ナタリー・ウッド(中央)と

 ・ブロードウェイの舞台劇「The Deep Blue Sea(1952年)、「Sabrina Fair(1953年)に出演。この2作は、ヴィヴィアン・リー主演『愛情は深い海の如く』(1955年)オードリー・ヘップバーン主演『麗しのサブリナ』(1954年)として映画化された。1956年までブロードウェイで活躍した。
 (右の写真)舞台「Sabirina Fairジョセフ・コットン
Sabrina_Fair

 ・1960年1月1日、薬物の過剰摂取で他界。享年50歳。1950年代後半から難聴と躁鬱病を患い、薬の摂取量を誤った事故死とされている。

 ・同年10月、次女のブリジット・ヘイワードが薬物の過剰摂取で自殺。ヘンリー・フォンダの孫のブリジット・フォンダ(ピーター・フォンダの娘)の名前は彼女にちなんでいる。

 ・女優になった長女のブルック・ヘイワードが執筆した家族の回顧録「Haywire (めちゃくちゃになる)」がベストセラーとなり、TVドラマ(1980年)にもなった。

 ・2008年、長男のウィリアム・ヘイワードが自殺した。

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