20世紀・シネマ・パラダ イス

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Sabrina

     麗しのサブリナ
     Sabrina
     監督:ビリー・ワイルダー
     (1954年/アメリカ)
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 オード リー・ヘップバーンの魅力が満開

 大富豪ララビー家のお抱え運転手の娘サブリナは、 子供の頃から主家の次男デイヴィットに恋をしていた。
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 ララビー家でパーティーが開催された晩、この恋は叶わぬものと痛感したサブ リナは遺書をしたため、車庫で自殺を図ったが、主家の長男ライナスに助けられた。

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お葬式にはデイヴィットは呼ばないで下さい。彼は涙を流しません…

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 サブリナは父親の勧めでパリの料理学校に留学した。だが、デイヴィットへの想いを絶ち切れ ない でいた。
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 その頃デイヴィットは、新規事業を図るライナスの政略により、4度目の結婚をすることが決 まっていた。
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 『麗しのサブリナ』 予告編



  主な出演者など

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サブリナ役 オードリー・ヘップバーン
ライナス役 ハンフ リー・ボガート
デイヴィット役 ウィリ アム・ホールデン
サブリナの父親役 … ジョン・ウィリアムズ

 ・原作は、サミュエル・テイラーの戯曲「サブリナ・フェア」 。パラマウント社が、舞台興行中は映画を公開しないという条件で映画化権を取得し、1953年9月から12月にかけて撮影された。舞台劇「サブリナ・フェ ア」は、ブロードウェイで1953年11月から翌1954年8月まで上演された。
 (右の写 真)左から、H. C. ポッター (舞台監督)、ジョゼフ・コットンマーガレット・サラヴァン(舞台の主役)、サミュエル・テイラー(作家)
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* サミュエル・テイラー … タイロン・パワー主演の『愛情物語』(1956年)、『めまい』(1958年)等の脚本家

 ・『ローマの休日』(1953年)でライジング・スターとなったオードリー・ヘップバーンの2 作目(ハリウッドでの)という事で、パラマウント社の力の入れようが分かる豪華な共演陣となった。 出演料は、ヘップバーンが1万5千ドル、ホールデンが15万ドル、ボガートが30万ドルだった。
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 ・ライナス役に内定していたケー リー・グラントが辞退(その後、引退を宣言)したため、脚本を書き直しながら撮影された。その時 間を稼ぐために、ワイルダー監督がヘップバーンに仮病を使わせた事もあったという。
 ワイルダー監督が次作『七年目の浮気』の宣伝までしているのはご愛 敬。
 (左の写真)ウィリアム・ホールデン(左)、ハンフリー・ボガート

 ・ヘップバーンの衣装は「サブリナ・ファッション」 と呼ばれ、大評判となった。イーディス・ヘッドがデザインした衣装と、ヘップバーン自身が 選んだジバンシィの既製服が着用された。その為、黒のカクテル・ドレス等、どちらがデザインしたのかハッキリしない衣装もあり、論争の的となっている。
 (右の写真)撮影時。ウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘップバーン。この衣装はジバンシィの既製服。
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Sabrina-28  ・サブリナのお気に入りの曲で、車の中で口ずさんだ歌は、エディット・ピアフのヒット曲 「バラ色の人生 〜 ラ・ヴィ・アン・ローズ」(1946年)
 ライナスがボートの中でかけたコミック・ソングは 「イエス、ウィ・ハブ・ノー・バナナ」(1922年)。ブロードウェイのレビューでエディ・カンターが歌った曲。
 (左の写真)撮影時のオードリー・ヘップバーン

 ・アカデミー賞では、監督賞、主演女優賞、脚本賞、撮影賞(白 黒部門)、美術賞(白黒部門)、衣装デザイン賞(白黒部 門)の6部門でノミネートされ、イーディス・ヘッドが自身6度目の衣装デザイン賞を受賞した。
 (右の写真)イーディス・ヘッド(左)、オードリー・ヘップバーン
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