20世紀・シネマ・パラダイス

startbar
Cary Grant

ケーリー・グラント

Cary Grant

   
1904-1986 (イギリス/アメリカ)


starbar


     代表作
 
The_Awful_Truth
The Philadelphia Story
新婚道中記
The Awful Truth
(1937年/アメリカ)
フィラデルフィア物語
The Philadelphia Story
(1940年/アメリカ)
Suspicion-3
Arsenic and Old Lace
断崖
Suspicion
(1941年/アメリカ)
毒薬と老嬢
Arsenic and Old Lace
(1944年/アメリカ)
Notorious-3 An_Affair_to_Remember-1
汚名
Notorious
(1946年/アメリカ)
めぐり逢い
An Affair to Remember
(1957年/アメリカ)
North by Northwest Charade
北北西に進路を取れ
North by Northwest
(1959年/アメリカ)
シャレード
Charade
(1963年/アメリカ)


    アメリカで「伝説のスター」第2位に選出

 ・1904年、イギリスのブリストル生れ。本名はArchibald Alexander Leach
 9歳の時に母親が失踪。父親から、「母親は死んだ」と言われていたが、実は精神疾患で介護施設に入っており、その事を知らされたのは31歳の時だった。
 (右の写真)子供の頃のケーリー・グラント

 
・1918年、学校を放校処分とされると、家を飛び出し、年齢を偽って、「ボブ・ペンダー劇団」という曲芸団に入った。
Cary Grant-5

Cary Grant-6  ・1920年、アメリカ公演へ出立し、1922年にはブロードウェイの舞台にも立った。劇団の巡業終もアメリカに留まり、芸人としてドサ回りの生活を続け、一時期、ジェームズ・キャグニーと組んだこともあった。
 1927年、再びブロードウェイの舞台に立ったが、当時は本名に近い「Archie Leach」という名で活動していた。
 (左の写真)「アーチー・リーチ」として舞台活動をしていた時期のケーリー・グラント 

 ・1931年、パラマウント社と契約。芸名を変えることになり、第1候補はブロードウェイの舞台「Nikki(1931年)での役名「Cary Lockwood」だったが、似た名の男優が別にいたため、クラーク・ゲーブルゲーリー・クーパーにあやかって、「C」と「」となるように、「Cary Grant」とした。

 ・コメディ作品『その夜』(1932年)で銀幕デビュー。
 (右の写真)『その夜』セルマ・トッド
This Is the Night

 ・パラマウント社により、「第2のゲーリー・クーパー」として売り出され、1932年だけで8本の映画(内1本は短編)に出演。5本目はクーパー主演の『悪魔と深海』だったが、2人が一緒に映るシーンは無かった。
Blonde Vinus
Madame Butterfly
『ブロンド・ヴィナス』(監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
マレーネ・ディートリッヒ

『お蝶夫人』
シルヴィア・シドニー


with_Randolph_Scott
 ・『七月の肌着』(1932年)で共演したランドルフ・スコットと意気投合し、共同生活をスタート。
 後年、2人はゲイの関係だったとの証言も出た。
 (左の写真)ランドルフ・スコット(左)と

 ・性に関する際どい台詞を連発し、高い人気を得ていたメイ・ウエストの相手役を務めた『わたしは別よ』、『妾は天使ぢゃない』(1933年)の2本が大ヒット。
She_Done_Him_Wrong
I'm No Angel
『わたしは別よ』 メイ・ウエストと 『妾は天使ぢゃない』 メイ・ウエストと

 ・1934年、チャップリン『街の灯』(1931年)で盲目の花売り娘を演じたヴァージニア・チェリルと結婚したが、1年も続かずに離婚。
 チェリルは、家庭内暴力が離婚の原因と表明している。
 (右の写真)ヴァージニア・チェリルと
with_Virginia_Cherrill-2

Wings in the Dark
Sylvia_Scarlett
『盲目の飛行士』(1935年)
マーナ・ロイ
『男装』(1935年/監督:ジョージ・キューカー
 キャサリン・ヘップバーン
Suzy
Wedding_Present
『暁の爆撃機』(1936年)
ジーン・ハーロー
『結婚の贈物』(1936年)
ジョーン・ベネット

 ・1936年、パラマウント社との契約が切れ、フリーの立場を選択。生涯で80本近くの映画(短編も含む)に出演したが、そのうちの1/3以上は、パラマウント社時代の5年間で出演した。

 ・フリーとなってから、都会派コメディの傑作に数多く出演。
The Awful Truth-2 Bringing_Up_Baby
『新婚道中記』(1937年/監督:レオ・マッケリー
アイリーン・ダン
『赤ちゃん教育』(1938年/監督:ハワード・ホークス
キャサリン・ヘップバーンと
Holiday
Gunga_Din
『素晴らしき休日』(1938年/監督:ジョージ・キューカー)
キャサリン・ヘップバーンと

『ガンガ・ディン』(1939年/ジョージ・スティーヴンス
ヴィクター・マクラグレン(中央)、ダグラス・フェアバンクス.Jr(右)と
Only_Angels_Have_Wings
In Name Only
『コンドル』(1939年/監督:ハワード・ホークス)
ジーン・アーサー

In Name Only 』(1939年)
キャロル・ロンバード

His_Girl_Friday-2
The Philadelphia Story-2
『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年/監督:ハワード・ホークス)
ロザリンド・ラッセル
『フィラデルフィア物語』(1940年/監督:ジョージ・キューカー)
キャサリン・ヘップバーン、ジェームズ・ステュアート(右)と

 ・『愛のアルバム』(1941年/監督:ジョージ・スティーヴンス)でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。『断崖』(1941年/監督:アルフレッド・ヒッチコックで影のある男を演じて新境地を開拓。
Penny_Serenade
Suspicion-2
『愛のアルバム』  アイリーン・ダンと
『断崖』 ジョーン・フォンテイン
The_Talk_of_the_Town
Once_Upon_a_Honeymoon
『希望の降る街』(1942年/監督:ジョージ・スティーヴンス)
ジーン・アーサーと
『恋愛情報網』(1942年/監督:レオ・マッケリー)
ジンジャー・ロジャース


with Barbara Hutton  ・1942年、大富豪のバーバラ・ハットンと再婚したが、3年後に離婚。
  1942年、アメリカの市民権を取得。
 (左の写真)2番目の妻、バーバラ・ハットンと

 ・『孤独な心』(1944年)で、2度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
Arsenic_and_Old_Lace-2
None_But_the_Lonely_Heart
『毒薬と老嬢』(1944年/監督:フランク・キャプラ
ジョセフィン・ハル(左)、ジーン・アデーア(中央)と

『孤独な心』
エセル・バリモアと


 ・ヒッチコック監督との2作目『汚名』(1946年)が大ヒット。当時の映倫規程を逆手にとった、イングリッド・バーグマンとの長いキス・シーンが評判に。
Notorious-2 I_Was_a_Male_War_Bride
『汚名』
イングリッド・バーグマンと

『僕は戦争花嫁』(1949年/監督:ハワード・ホークス)
アン・シェリダンと

  ・1949年、『恋はかくの如く』(1948年)で共演した19歳年下の女優ベッツィ・ドレイクと3度目の結婚。
 『Room for One More(1952年)では夫婦で共演もしたが、1962年に離婚。
 (右の写真)3番目の妻、ベッツィ・ドレイクと
with_Betsy_Drake

Monkey_Business
Dream_Wife
『モンキー・ビジネス』 (1952年/監督:ハワード・ホークス)
ジンジャー・ロジャースと
Dream Wife 』(1953年)
デボラ・カー


 ・1953年、「ケーリー・グラントであることを忘れたい」と引退を宣言。

次ページ >

HOME