20世紀・シネマ・パラダ イス
ケーリー・ グラント
Cary Grant
1904-1986 (イギリス/アメリカ)
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・
アルフレッド・ヒッ チコック
監督に説得され、『泥棒成金』
(1955年)
で2年ぶりに銀幕復帰。
『泥棒成金』(1955年)
グレース・ケリー
と
『めぐり逢い』(1957年/監督:
レオ・マッケリー
)
デボラ・カー
と
・『誇りと情熱』
(1957年/監督:
スタンリー・ クレイマー
)
撮影中には、ソフィア・ローレンに恋をしたという。『月夜の出来事』
(1958年)
でも共演した。
『誇 りと情熱』(1957年)
ソフィア・ローレンと
『無 分別』(1958年/監督:
スタンリー・ドーネン
)
イングリッド・バーグマ
ンと
・ヒッチコック監督との4作目
『北北西に進路を取れ』
(1959年)
は、ケーリー・グラントのキャリアで最大のヒット作となった。人気もピークも達し、主演作はことごとく大ヒットした。
『北北西に進路を取れ』(1959年)
エヴァ・マリー・セントと
『ペティ・コート作戦』
(1959年/監督:
ブレイク・エドワーズ
)
トニー・カーティス
(右)と
『芝生は緑』(1960年/監督:スタンリー・ドーネン)
ジーン・シモンズ
、デボラ・カー、
ロバート・ミッチャム
と
『ミンクの手ざわり』(1962年)
ドリス・デイ
と
・
「007シリーズ」
の生みの親イアン・フレミングは、『007 ドクター・ノオ』
(1962年)
の映画化に際し、ジェームズ・ボンド役にケーリー・グラントを希望したとされているが実現せず。
・1965年、東京オリンピックでの競歩競技を題材にした『歩け走るな!』
(1966年)
の撮影で来日。同作を最後に映画界から引退した。
『シャレード』(1963年/監督:スタンリー・ドーネン)
オードリー・ヘップバーン
と
『歩け走るな!』(1966年)
ジム・ハットン(中央)と
・1965年、33歳年下の女優ダイアン・キャノンと再婚。翌年、62歳で初めての子を授かったが、1968年に離婚。娘のジェニファーの親権を巡って対立し、ダイアンは、ケーリーが麻薬の一種LSDを服用していることを暴露した。
(右の写真)4番目の妻ダイアン・キャノン、
娘のジェニファーと
・アメリカでの人気のバロメーターの1つ、ドル箱 (マネー・メイキング)スター・ベストテンで は、1944年(9位)、1948年(8位)、1949年(6位)、1959年(2位)、1960年(3位)、1961年(5位)、1962年(3位)、1963年(5位)、1964年 (5位)、1965年(7位)、1966年(6位)と合計11回ランクイン。
1959年からは8年連続でランクインしており、ダンディさに磨きがかかった50代半ばか らの人気が特に高かった。
・1970年、アカデミー賞名誉賞を受賞。
『誇りと情熱』
(1957年)
で共演もした
フランク・シナトラ
がプレゼンターを務めた。
(左の写真)アカデミー賞授賞式にて。フランク・シナトラ(右)と
アカデミー賞授賞式でのケーリー・グラント。渋い! 引退したのがもったいない。
・1981年、47歳も年下のバーバラ・ハリスと5度目の結婚。ケーリーが亡くなるまで連れ添った。
(右の写真)5番目の妻バーバラ・ハリスと
・
1986年
、
82歳
で他界。
・AFI(アメリカ映画協会)が1999年に選定した「伝説のスター・ベスト50」で、男優部門の第2位に選出。
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