20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Deborah_Kerr

デボラ・カー

Deborah Kerr

 1921-2007(イギリス)

 

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   代表作

/Black_Narcissus-2
From_Here_to_Eternity
黒水仙
Black Narcissus
(1947年/イギリス)
地上より永遠に
From Here to Eternity

(1953年/アメリカ)
The_King_and_I
Tea_and_Sympathy-3
王様と私
The King and I
(1956年/アメリカ)
お茶と同情
Tea and Sympathy
(1956年/アメリカ)
An_Affair_to_Remember
Separate_Tables
めぐり逢い
An Affair to Remember
(1957年/アメリカ)
旅路
Separate Tables
(1958年/アメリカ)


    ‟イギリスの薔薇”と称された人気女優

 ・1921年、スコットランド生れ。バレエを習っていたが、プリマドンナを目指すには背が高くなり過ぎたので断念。女優を目指すようになった。

 ・1939年、ロンドンのリージェンツ・パークでの野外劇に出演しているところを映画関係者にスカウトされた。最初の作品『Contraband(1940年)は、出演シーンが編集でカットされてしまったが、2作目の『バーバラ少佐』(1941年)で銀幕デビューを果たした。
 (右の写真)『バーバラ少佐』デボラ・カー(左)。主演のウェンディ・ヒラー(中央)と
Major_Barbara

The_Life_and_Death_of_Colonel_Blimp
 ・3作目からヒロインを務めるようになり、7作目の『老兵は死なず』(1943年)では1人で3役を演じた。この作品は、カラー映画によりイギリス映画界で一時代を築いたマイケル・パウエルエメリック・プレスバーガーのコンビによる最初の作品。尚、『Contraband(1940年)はマイケル・パウエルの監督作品。
 (左の写真)『老兵は死なず』 アントン・ウォルブルックと

 ・マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーとの2作目『黒水仙』(1947年)がアメリカでも大ヒット。同作と前作『I See a Dark Stranger』の2作品での演技により、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞。MGM社に招かれてハリウッドへ進出することとなった。
 (右の写真)『黒水仙』
Black_Narcissus

 ・『宣伝屋 自信売ります』(1947年)でハリウッド・デビューし、3作目の『Edward, My Son(1949年/監督:ジョージ・キューカーでアカデミー賞主演女優賞に初ノミネートされた。
The_Hucksters
Edward,_My_Son
『宣伝屋 自信売ります』(1947年)
クラーク・ゲーブル
Edward, My Son(1949年)
スペンサー・トレイシー
Quo_Vadis
The_Prisoner_of_Zenda
『クォ・ヴァディス』(1951年/監督:マーヴィン・ルロイ
ロバート・テイラー

『ゼンダ城の虜』 (1952年)
スチュワート・グレンジャーと

Julius_Caesar Dream_Wife
『ジュリアス・シーザー』(1953年)
ジェームス・メーソン
Dream Wife』(1953年)
ケーリー・グラント


From_Here_to_Eternity
 ・『地上より永遠に』(1953年/監督:フレッド・ジンネマンで、夫の部下と不倫の関係にある軍人の妻を好演し、アカデミー賞主演女優賞にノミネート(2度目)。浜辺でのキス・シーンは彼女のキャリアで最も有名なシーンとなった。
 (左の写真)『地上より永遠に』 バート・ランカスター

 ・ブロードウェイで、エリア・カザン演出の「お茶と同情」(1953年〜)に出演。91週に及ぶロングラン(途中でジョーン・フォンテインに交代した)の大ヒットとなった。
 (右の写真)エリア・カザンと
Tea_and_Sympathy_Play

The_End_of_the_Affair
The_Proud_and_Profane
『情事の終わり』(1955年/英)
ヴァン・ジョンソン
『誇りと冒涜』(1956年)
ウィリアム・ホールデン

The_King_and_I-3
 ・ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルの映画化作品『王様と私』(1956年)では、歌声は吹き替えだが、バレエで鍛えたダンスを披露。アカデミー賞主演女優賞にノミネート(3度目)され、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。
 (左の写真)『王様と私』 ユル・ブリンナー

 ・映画版『お茶と同情』(1956年/監督:ヴィンセント・ミネリ)に舞台で共演したジョン・カーと共に出演。シスター・ボーイ(女のような男)と皆から馬鹿にされている年下の青年に同情以上の想いを寄せる舎監の妻を演じた。
 (右の写真)『お茶と同情』 ジョン・カーと
Tea_and_Sympathy-2

Heaven_Knows,_Mr._Allison
 ・『白い砂』(1957年/監督:ジョン・ヒューストンでアカデミー賞主演女優賞にノミネート(4度目)。ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞(2度目)した。
 (左の写真)『白い砂』 ロバート・ミッチャム

An_Affair_to_Remember Bonjour tristesse
『めぐり逢い』(1957年/監督:レオ・マッケリー
ケーリー・グラントと
『悲しみよこんにちは』(1958年/監督:オットー・プレミンジャー
ジーン・セバーグ(左)と


 ・『旅路』(1958年)で、アカデミー賞主演女優賞に5度目のノミネーション。
 (右の写真)『旅路』 デヴィッド・ニーヴン
Separate_Tables-2

Beloved_Infidel
The_Grass_Is_Greener-2
『悲愁』(1959年)
 グレゴリー・ペック

『芝生は緑』(1960年/監督:スタンリー・ドーネン
ジーン・シモンズ(左)、ロバート・ミッチャム(左)、ケーリー・グラントと

The_Sundowners  ・定住地を持たずに牧羊業を営む一家を描いた『サンダウナーズ』(1960年/監督:フレッド・ジンネマン )でアカデミー賞主演女優賞にノミネート(6度目)。ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞(3度目)した。
 (左の写真)『サンダウナーズ』 ロバート・ミッチャムと

 ・アカデミー賞主演女優賞で6度の残念は歴代最多。感情を抑える演技が多かったため、票が集まり難かったのかもしれない。
 * セルマ・リッターが助演女優賞6回、グレン・クローズが主演女優賞3回、助演女優賞3回ノミネートで受賞なし(2018年現在)。

 ・ゲーリー・クーパーの遺作となった『六年目の疑惑』(1961年/英・米)、ホラー映画の古典的名作としてカルト的な人気を誇る『回転』(1961年)等に出演。
The_Naked_Edge
The_Innocents
『六年目の疑惑』(1961年)
ゲーリー・クーパーと
『回転』(1961年)
The_Night_of_the_Iguana
Casino_Royale
『イグアナの夜』(1964年/監督:ジョン・ヒューストン)
リチャード・バートン

『007 カジノ・ロワイヤル』(1967年)
デヴィッド・ニーヴンと


 ・『アレンジメント/愛の旋律』(1969年/監督:エリア・カザン)を最後に銀幕から引退。その後、英・米の舞台で活動していたが、「検察側の証人」(1982年/TVドラマ)で13年ぶりに映像作品に復帰。以後、数本のTVドラマに出演し、劇場用映画も1本だけ『The Assam Garden(1985年)に出演した。
The_Arrangement
The_Assam_Garden
『アレンジメント/愛の旋律』(1969年)
カーク・ダグラス
The Assam Garden(1985年)

 ・1994年、アカデミー賞名誉賞を受賞。

youtube
 アカデミー賞授賞式。司会:ウーピー・ゴールドバーグ、プレゼンター:グレン・クローズ



 ・1998年、イギリス王室からCBE勲章を授与された。

 ・私生活では、第2次世界大戦で活躍した空軍の少佐と1945年に結婚し、2児を授かったが1959年に離婚。翌1960年、『逃走迷路』(1942年)、『アフリカの女王』(1951年)等の脚本家ピーター・ヴィアテルと再婚し、彼女が亡くなるまで連れ添った。

 ・2007年86歳で他界。
Deborah_Kerr_Oscar


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