20世紀・シネマ・パラダ イス

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Davis_Niven

デヴィッ ド・ニーヴン

David Niven

 
1910-1983 (イギリス)

 

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     代表作
 
A_Matter_of_Life_and_Death
Around_the_World_in_Eighty_Days
天国への階段
A Matter of Life and Death
(1946年/イギリス)
80日間世界一周
Around the World in Eighty Days
(1956年/アメリカ)
Separate_Tables-3
The_Guns_of_Navarone
旅路
Separate Tables
(1958年/アメリカ)
ナバロンの要塞
The Guns of Navarone
(1961年/アメリカ)
The_Pink_Panther-2
Casino_Royale
ピンクの豹
The Pink Panther
(1964年/アメリカ)
007 カジノ・ロワイヤル
Casino Royale

(1967年/イギリス)


     気品と洒落を備えた英国紳士

 ・1910年、ロンドン生れ。カトリック教会の聖人デヴィッドを祝う3月1 日に生れたのでデヴィッドと名付けられた。5歳の時に軍人だった父親が戦死。彼も陸軍士官学校を卒業して軍人になったが、軍隊に馴染めずに除隊。アメリカへ渡り、様々な職を経てからエキストラ俳優となった。

 ・サミュエル・ゴールドウィン社と契約し、助演 クラスながらも俳優としての地位を確立した。
Bluebeard's_Eighth_Wife Wuthering_Heights
『青髭八人目の妻』(1938年)
ゲーリー・クーパー(右)と
『嵐が丘』(1939年)
マール・オベロンと

 ・第2次世界大戦が勃発すると帰国して軍に再入隊した。戦地での任務の他、戦意高揚のプロ パガンダ映画『スピットファイアー』(1942年)、『最後の突撃』(1944年)に出演した。

 ・1940年、映画にも1作だけ出演したことがある女優の卵プリムラ・ロロと結婚。2人の息子を授かったが、1946年、彼女がタイロン・パワー宅で転落死する不幸に見舞われた。皆でかくれんぼをしていた時に、地下室への扉をクローゼットの扉と間違てしまっ た事故だった。その後、1948年に再婚した妻とは彼が亡くなるまで連れ添った。
 (右の写真)最初の妻と
Davis_Niven-4

 ・戦後除隊し、俳優業を再開。待遇面に不満だった上に、『怪傑紅はこべ』(1950年/英)に無理やり出演させられたこともあってサミュエル・ゴールドウィン社と決別した。
A_Matter_of_Life_and_Death-2 The_Moon_Is_Blue
『天国への階段』(1946年)
キム・ハンター
『月蒼くして』(1953年)
マギー・マクナマラと

 ・1952年、ディック・パウエルシャルル・ボワイエ、アイダ・ルピノとTV番組の製作会社「Four Star Television」を設立。TV番組「Four Star Playhouse(1952〜1956年)に出演もした。

 ・劇場用映画の方は、サミュエル・ゴールドウィン社を離れてからは低予算作品への出演が続いていたが、大富豪マイク・トッドが製作した大作 『80日間世界一周』(1956年)の主役に抜擢され、映画俳優として起死回生。本人のお 気に入りの作品にもなった。
Around_the_World_in_Eighty_Days-2
Bonjour_tristesse
『80日間世界一周』(1956年)
 カンティンフラス(左)と

『悲しみよこんにちは』(1958年)
ジーン・セバーグと


 ・退役軍人を演じた『旅路』(1958年)で アカデミー賞主演男優賞を受賞。出演シーン23分での受賞は、『羊たちの沈黙』(1991年)のアンソニー・ホプキンス(出演シーン11分)に破られるまで最短記録だった。
Separate_Tables-4
David_Nive_Oscar
『旅路』(1958年)
デボラ・カー

アカデミー賞授賞式にて
主演 女優賞のスーザン・ヘイワー


youtube
 アカデミー賞授賞式。司会はジェリー・ルイス。プレゼンターはジョン・ウェインアイリーン・ダン



The_Guns_of_Navarone-2
55_Days_at_Peking
『ナバロンの要塞』(1961年)
グレゴリー・ペック(右)と

『北京の55日』(1963年)
チャールトン・ヘストン(左)と


 ・『ピンクの豹』(1964年)の 怪盗ファントムことチャールズ・リットン卿、『007 カジノ・ロワイヤル』(1967年)のジェームズ・ボンド等、映画ファンに愛され続ける役柄を演じた。
The_Pink_Panther
Casino_Royale-2
『ピンクの豹』(1964年)
クラウディア・カルディナーレ

『007 カジノ・ロワイヤル』(1967年)

 ・1971年に自伝、1975年にハリウッドでのエピソードを綴った「Bring on the empty horses」を出版。
 『進め龍騎兵』(1936年)の撮影時に、ハンガリー人で英語に不慣れなマイケル・カーティス監督が、「乗 り手のいない馬 (Riderless horses )を連れて来い」と言うところを、「空(から)の馬 (Empty horese)を連れて来い」 と言い、皆が大爆笑。その時の発言を本のタイトルとしている。1951年と1981年には小説も出版した。
 (右の写真)『ナイル殺人事件』(1978年)
Death_on_the_Nile

Curse_of_the_Pink_Panther
 ・1981年、ルー・ゲーリッグ病と診断されたが映画に出演し続けた。没後に公開された遺 作『ピンクパンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』(1983年)の出演シーンは、病の影響で声が聞き取りにくくなっていたため、撮影後に吹き替えられた。
 (左の写真)『ピンクパンサー5 クルーゾーは二度死ぬ』
 
 ・1983年73歳で他界。

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