20世紀・シネマ・パラダイス
グローマンズ・チャイニーズ・シアター
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フレディ・バーソロミュー
(1936年4月4日)
ビング・クロスビー
(1936年4月8日)
ヴィクター・マクラグレン
(1936年5月25日)
ウィリアム・パウエル
&
マーナ・ロイ
(1936年10月20日)
左から、ウィリアム・パウエル、マーナ・ロイ、
シド・グローマン
ウィリアム・パウエル(右) と マーナ・ロイ
クラーク・ゲーブル
& W. S. ヴァン・ダイク監督 (1937年1月20日)
左から、シド・グローマン、ヴァン・ダイク監督、
クラーク・ゲーブル
左から、クラーク・ゲーブル、ヴァン・ダイク監督、
シド・グローマン(後)
◆
W. S. ヴァン・ダイク監督 … ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイ主演の 『影なき男』 シリーズの監督。クラーク・ゲーブル主演の 『桑港』
(1936年)
でアカデミー賞監督賞にノミネートされた。
ディック・パウエル と ジョーン・ブロンデル
(1937年2月10日)
ディック・パウエル
ジョーン・ブロンデル
当時、2人は夫婦だった。 … (1936年結婚 ー 1944年離婚)
☆
ディック・パウエル … 1930〜1950年代前半までは俳優、歌手として活躍。『真夏の夜の夢』
(1935年)
等に出演した。その後、監督となり、
ロバート・ミッチャム
主演の 『眼下の敵』
(1957年)
等を撮った。1945年に
ジューン・アリソン
と再婚し、亡くなるまで連れ添った。
♡
ジョーン・ブロンデル … 若い頃はディック・パウエルと同じくワーナー・ブラザース社で活躍。娘役時代を過ぎてからも助演クラスで息長く活躍し、
ジェーン・ワイマン
主演の 『青いヴェール』
(1951年)
でアカデミー賞の助演女優賞、
スティーブ・マックイーン
主演の 『シンシナティ・キッド』
(1965年)
、ジーナ・ローランズ主演の 『オープニング・ナイト』
(1977年)
でゴールデン・グローブ賞の助演女優賞にノミネートされた。1947年に
マイク・トッド
と再婚したが、1950年に離婚した。
フレドリック・マーチ
(1937年4月21日)
メイ・ロブソン (1937年4月22日)
オーストラリア出身。12歳の時にイギリスに移住し、25歳から舞台で活躍。1927年、69歳の時にハリウッドへ渡り、
『一日だけの淑女』
(1933年)
でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。75歳でのノミネートは、『
The Whisperers
』
(1967年)
のイーディス・エヴァンスが80歳でノミネートされるまで、34年間、同賞の最年長候補者の記録だった。
タイロン・パワー
と
ロレッタ・ヤング
(1937年5月31日)
後は シド・グローマン
『恋は特ダネ』
(1937年)
、『スエズ』
(1938年)
で共演。
ソニア・ヘニー (1937年6月28日)
ノルウェーのフィギュアスケート選手で、世界選手権10連覇
(1927〜36年)
、冬季オリンピック3連覇
(1928、32、36年)
をした。
ハリウッド映画 『銀盤の女王』
(1936年)
で銀幕デビューし、『氷上円舞曲』
(1948年)
まで合計11本の映画に出演
(全て主演)
した。
一時期、共演した
タイロン・パワー
と交際していた。
*
アイススケート靴の刃形も刻印。
リッツ兄妹 (1937年9月22日)
シド・グローマン(中央)と
3人兄弟のコメディ・トリオ。『大学3人男』
(1938年)
等に出演した。
エレノア・パウエル (1937年12月23日)
タップダンスで一世を風靡した 「タップの女王」。
『踊るニュウ・ヨーク』
(1940年)
では、
フレッド・アステア
と圧巻のパフォーマンスを披露した。
グレン・フォード
の最初の結婚
(1943〜59年離婚)
相手。
ドン・アメチー (1938年1月27日)
タイロン・パワー
主演の 『シカゴ』
(1937年)
、『世紀の楽団』
(1938年)
、
エルンスト・ルビッチ
監督の 『天国は待ってくれる』
(1943年/主演)
等に出演。息長く活躍し、1970年代は舞台とTVで活動していたが、ダン・エイクロイド主演の 『大逆転』
(1983年)
で13年ぶりに銀幕復帰し、復帰2作目の 『コクーン』
(1985年/監督:ロン・ハワード)
でアカデミー賞助演男優賞を受賞
(当時77歳)
した。
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