20世紀・シネマ・パラダイス
思い出の子役スター (出演時15歳以下)
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ジャッキー・クーガン Jackie Coogan (アメリカ) |
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ジャッキー・クーパー Jackie Cooper (アメリカ) |
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叔父のノーマン・タウログ監督の作品『スキピイ』(1931年)でアカデミー賞の主演男優賞にノミネート。9歳でのノミネートは同賞の史上最年少記録(2014年現在)。『クレイマー、クレイマー』(1979年)のジャスティン・ヘンリーが8歳で助演男優賞にノミネートされるまでは、全部門での最年少記録だった。
(右の写真)バスター・キートン(左)と |
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成人後も俳優を続けながら、TVドラマの製作者、監督としても活躍。
クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』シリーズ(1978年〜)で、デイリー・プラネット社の編集長を演じた。
2011年、89歳で他界。
(左の写真)『スーパーマン』出演時 |
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ロベール・リネン Robert Lynen (フランス)
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『にんじん』(1932年):出演時12歳 |
ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『にんじん』でデビューし、1942年までに13本の映画に出演した。
第2次世界大戦中の1944年、ナチス・ドイツ占領下のフランスでレジスタンスとして活動中に逮捕され、ナチスにより処刑された。享年23歳。
(右の写真)『王子の教育』(1938年)出演時
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シャーリー・テンプル Shirley Temple (アメリカ)
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フレディ・バーソロミュー Freddie Bartholomew (イギリス/アメリカ)
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『我は海の子』(1937年):出演時13歳 |
戦前、ミッキー・ルーニー、ジャッキー・クーパーと並び、MGM社の子役の三羽烏と称されていた。1950年代以降はTV番組の製作者として活躍した。1992年、67歳で他界。
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『アンナ・カレニナ』(1935年)
グレタ・ガルボと |
『小公子』(1936年) |
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ロディ・マクドウォール Roddy McDowall (イギリス/アメリカ) |
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10歳の頃から母国イギリスで映画に出演していたが、ナチス・ドイツのロンドン空爆により渡米。『わが谷は緑なりき』の大ヒットで人気子役となり、『名犬ラッシー 家路』(1943年)等に出演。
(右の写真)『名犬ラッシー 家路』(1943年)エリザベス・テイラーと
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成人後も、『クレオパトラ』(1963年)、『猿の惑星』(1968年)、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、『フライトナイト』(1985年)等に出演。『クレオパトラ』では、アカデミー賞助演男優賞の有力候補との前評判だったが、20世紀FOX社のミスでノミネートから漏れてしまった。1998年、70歳で他界。
(左の写真)『フライトナイト』 (1985年) |
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マーガレット・オブライエン Margaret O'Brien (アメリカ)
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5歳の時に出演した『マーガレットの旅』(1942年)で脚光を浴び、『キュリー夫人』、『ジェーン・エア』(1943年)、『若草の頃』、『百万人の音楽』(1944年)等に出演。第17回(1944年度)アカデミー賞で特別賞を受賞した。
その後、『若草物語』(1949年)、美空ひばりと共演した日本映画『二人の瞳』(1952年)等に出演し、成人後はTVや舞台で活躍した。 |
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エリザベス・テイラー Elizabeth Taylor (イギリス/アメリカ) |
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『緑園の天使』(1944年):出演時12歳
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子役は大成しないと言われているが、この人は例外。ハリウッドを代表する大女優となった。
(右の写真)銀幕デビュー作『There's One Born Every Minute 』(1942年) カール・スウィッツァーと
< エリザベス・テイラーのページ > |
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ペギー・アン・ガーナー Peggy Ann Garner (アメリカ) |
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『ブルックリン横丁』(1945年):出演時12歳
ジェームズ・ダンと |
6歳の時に『Little Miss Thoroughbred』(1938年)で銀幕デビュー。『ジェーン・エア』(1943年)で、ジョーン・フォンテイン扮するタイトル・ロールの子供時代を演じた。
(右の写真)『ジェーン・エア』エリザベス・テイラー(右)と |
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『ブルックリン横丁』(1945年/監督:エリア・カザン)での演技でアカデミー賞の特別賞を受賞。成人後も、舞台、TVを中心に女優を続けていた。1984年、52歳で他界。
(左の写真)アカデミー賞授賞式にて。左から、ペギー・アン・ガーナー、ジェームズ・ダン、アン・リヴィア、レイ・ミランド |
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