20世紀・シネマ・パラダイス
レイ・ミランド
Ray Milland
1907-1986 (イギリス)
◆
代表作
絶海の嵐
Reep the Wild Wind
(1942年/アメリカ)
失われた週末
The Lost Weekend
(1945年/アメリカ)
大時計
The Big Clock
(1948年/アメリカ)
ダイヤルMを廻せ!
Dial M for Murder
(1954年/アメリカ)
◆
アルコール中毒患者を演じてオスカーを獲得
・
1907年
、イギリス・ウェールズ生れ。俳優になる前は近衛騎兵隊員だった。『
Piccadilly
』
(1929年)
の端役で銀幕デビューし、その後4本のイギリス映画に出演した。
1930年、ハリウッドへ渡り、MGM社と契約。ノン・クレジットの端役も含め12本の映画に出演したが、鳴かず飛ばずの状況が続き、1932年に結婚した大学在学中の妻を残して一旦単身でイギリスに帰国した。
・イギリスで2本の映画に出演した後、1934年に再渡米。
キャロル・ロンバード
主演の『ボレロ』、『恋と胃袋』
(1934年)
での演技が認められ、パラマウント社と契約。
ドロシー・ラムーア
の相手役を務めた『ジャングルの女王』
(1936年)
、『ジャングルの恋』
(1938年)
がヒットして映画俳優として名を上げた。
(右の写真)『ジャングルの恋』 ドロシー・ラムーアと
『ボー・ジェスト』
(1939年/監督:
ウィリアム・A・ウェルマン
)
ゲーリー・クーパー
(中央)、ロバート・プレストン(右)と
『絶海の嵐』(1942年/監督:
セシル・B・デミル
)
ポーレット・ゴダード
と
『少佐と少女』(1942年/監督:
ビリー・ワイルダー
)
ジンジャー・ロジャース
と
『恐怖省』(1944年/監督:
フリッツ・ラング
)
マージョリー・レイノルズと
・『失われた週末』
(1945年/監督:ビリー・ワイルダー)
で、アルコール中毒の作家を演じてアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、カンヌ国際映画祭など、各賞の主演男優賞を総なめに。アカデミー賞とカンヌ国際映画祭のダブル受賞は史上初の偉業だった。
(左の写真)『失われた週末』
・アルコール中毒患者の役などやれば笑い者となるとして、当初は演じることを躊躇したというが、出演を決めると撮影前にアルコール依存症の患者が入院している精神病棟に入るなど研鑽を重ね、大根役者との風評を吹き飛ばした。
また、ニューロティック(異常心理)の役柄を演じることはオスカー獲得への近道となるという伝説を生み出した。
(右の写真)オスカー像を手にするレイ・ミランド
『カリフォルニア』(1947年)
バーバラ・スタンウィック
と
『黄金の耳飾り』(1947年)
マレーネ・ディートリッヒ
と
『大時計』(1948年)
チャールズ・ロートン
(右)と
『生きるためのもの』
(1952年/監督:
ジョージ・スティーヴンス
)
ジョーン・フォンテイン
(左)、
テレサ・ライト
と
・1950年代初頭、約20年契約していたパラマウント社を離れ、TVにも進出。大学教授に扮した番組 「
Meet Mr. McNutley
」
(1953年〜)
は、後に「
The Ray Milland Show
」とタイトルを変え、2年間放映された。
(左の写真)TV 「
The Ray Milland Show
」
・劇場用映画も、『ダイヤルMを廻せ!』
(1954年/監督:
アルフレッド・ヒッチコック
)
等のヒット作に出演し、主役を務めた西部劇『白昼の対決
』(1955年)
では監督業にも進出した。
(右の写真)『ダイヤルMを廻せ!』
グレース・ケリー
と
・1960年代は、自ら監督・主演を務めたSFパニック映画『性本能と原爆戦』
(1962年)
、B級映画の帝王ロジャー・コーマン監督の『姦婦の生き埋葬』
(1962年)
、『X線の眼を持つ男』
(1963年)
等に出演。
(左の写真) 『X線の眼を持つ男』
・大ヒット作品『ある愛の詩』
(1970年)
とその続編『続ある愛の詩
』(1978年)
で主人公の父親役を演じるなど、晩年まで息長く活躍した。
(右の写真)『ある愛の詩』 ライアン・オニールと
・私生活では、1932年に結婚した妻と亡くなるまで連れ添ったが、1981年に当時41歳の1人息子が自殺するという不幸に見舞われた。
・
1986年
、
79歳
で他界。
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