20世紀・シネマ・パラダイス
テレサ・ライト
Teresa Wright
1918-2005 (アメリカ)
◆
代表作
ミニヴァー夫人
Mrs. Miniver
(1942年/アメリカ)
打撃王
The Pride of the Yankees
(1942年/アメリカ)
疑惑の影
Shadow of a Doubt
(1943年/アメリカ)
我等の生涯の最良の年
The Best Years of Our Lives
(1946年/アメリカ)
◆
日本でも高い人気のあった清純派のアイドル
・
1918年
、ニューヨークで生れ、ニュージャージー州で育った。18歳の時にブロードウェイの舞台「
Victoria Regina
」を観劇。主演の
ヘレン・ヘイズ
の演技に感動し、女優を志すようになった。高校卒業後、マサチューセッツ州の劇団で2年間修行を積み、ニューヨークへ渡った。
・1938年、ブロードウェイ・デビュー。ブロードウェイでの2作目「
Life With Father
」に出演中、独立系の映画製作者
サミュエル・ゴールドウィン
にスカウトされ、契約を交わした。
ちなみに、1939年11月にスタートした「
Life With Father
」は1947年7月まで公演が続き、非ミュージカル劇ではブロードウェイの最長ロングラン記録を保持している。テレサ・ライトは初日から2年間、同舞台劇に出演した。
・『偽りの花園』
(1941年/監督:
ウィリアム・ワイラー
)
で銀幕デビュー。アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた。
(右の写真)『偽りの花園』 ハーバート・マーシャル、
ベティ・デイビス
(右)と
・MGM社に貸し出されて出演した
『ミニヴァー夫人』
(1942年/監督:ウィリアム・ワイラー)
で、再びアカデミー賞の助演女優賞にノミネートされた。
(左の写真)『ミニヴァー夫人』
グリア・ガースン
(左)と
・更に、サミュエル・ゴールドウィン社のトップ・スター、
ゲーリー・クーパー
の相手役に抜擢された
『打撃王』
(1942年/監督:
サム・ウッド
)
でアカデミー賞の主演女優賞にノミネート。デビューから3作連続でアカデミー賞にノミネートされるという偉業を成し遂げた。
(右の写真)『打撃王』 ゲーリー・クーパーと
・主演女優賞と助演女優賞、ダブル・ノミネートされた1942年度のアカデミー賞では、『ミニヴァー夫人』の演技で助演女優賞を受賞した。
(左の写真)アカデミー賞授賞式にて。左から、
ヴァン・ヘフリンン
、グリア・ガースン、テレサ・ライト、
ジェームズ・キャグニー
・1942年、脚本家のニーヴン・ブッシュと結婚。サミュエル・ゴールドウィンにルー・ゲーリッグの伝記映画『打撃王』の製作を薦め、夫人役に当時婚約中であったテレサ・ライトの起用を提案したのがニーヴン・ブシュシュだった。
*
ニーヴン・ブッシュ … 『シカゴ』(1937年)、『西部の男』(1940年)、『白昼の決闘』 (1946年)等の脚本家
(右の写真)最初の夫、ニーヴン・ブッシュと
・ユニヴァーサル社に貸し出されて出演した『疑惑の影』
(1943年/監督:
アルフレッド・ヒッチコック
)
、アカデミー賞作品賞を受賞したサミュエル・ゴールドウィンの代表作
『我等の生涯の最良の年』
(1946年/監督:ウィリアム・ワイラー)
等の名作でも好演。ウィリアム・ワイラー、アルフレッド・ヒッチコックといった巨匠たちが、彼女の仕事への取組み姿勢、プロとしての意識の高さを賞賛したという。
『疑惑の影』(1943年)
ジョゼフ・コットン
と
『クーパーの花婿物語』(1944年/監督:サム・ウッド)
ゲーリー・クーパーと
『我等の生涯の最良の年』(1946年)
ダナ・アンドリュースと
『追跡』(1947年/監督:
ラオール・ウォルシュ
)
ロバート・ミッチャム
と
・1948年、サミュエル・ゴールドウィンと衝突してフリーの役者となり、夫のニーヴン・ブッシュ製作・脚本の『
The Capture
』
(1950年)
、
マーロン・ブランド
の銀幕デビュー作『男たち』
(1950年/監督:
フレッド・ジンネマン
)
等に出演したが、ゴールドウィン社在籍時のようなヒット作、良作には恵まれなくなった。
(左の写真)『男たち』 マーロン・ブランドと
・私生活では、1952年にニーヴン・ブッシュと離婚。1959年に劇作家・脚本家のロバート・アンダーソンと再婚。1978年に離婚したが、離婚後も良好な関係だったという。
*
ロバート・アンダーソン … 『お茶と同情』(1957年/原作・脚本)、『尼僧物語』(1959年/脚本)、『砲艦サンパブロ』(1967年/脚色)等の作家
・1950年代以降は、劇場用映画よりも古巣の舞台やTVにより多く出演。サリヴァン先生を演じたTVドラマ「奇跡の人」
(1957年)
等で、3度エミー賞にノミネートもされた。
TVドラマ「奇跡の人」(1957年)
TVドラマ「ヒッチコック劇場」(1964年)
・『打撃王』
(1942年)
に出演したのが縁で、1998年、80歳の時にヤンキース球場での始球式に招かれた。
彼女が亡くなった4ヶ月後に開催されたヤンキースのオールドタイマーズ・デー
(2005年7月)
で は、往年の名選手と一緒に彼女の名前も読み上げられた。
(右の写真)2000年、野球殿堂博物館にて。手にしているのは、『打撃王』の中で使用されたスクラップ・ブック
・晩年まで第一線で活躍。クリストファー・リーヴ主演の『ある日どこかで』
(1980年)
等の人気作にも出演し、『レインメーカー』
(1997年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)
が遺作となった。
(左の写真)『レインメーカー』
・終戦直後の日本でも高い人気があり、週刊文春が1988年に実施した大アンケート「わが青春のアイドル ベスト150」の洋画女優部門で第13位に選出された。演技の上手い、プロフェッショナルなアイドルだった。
・
2005年
、
86歳
で他界。
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