20世紀・シネマ・パラダ イス

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Marlon_Brando

マーロン・ブランド

Marlon Brando

 
1924-2004(アメリカ)

 

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     代表作
 
A_Streetcar_Named_Desire
Viva_Zapata!-2
欲望という名の電車
A Streetcar Named Desire

(1951年/アメリカ)
革命児サパタ
Viva Zapata!

(1952年/アメリカ)
The_Wild_One-3
On_The_Waterfront
乱暴者(あばれもの)
The Wild One
(1953年/アメリカ)
波止場
On The Waterfront
(1954年/アメリカ)
Guys_and_Dolls-2
The_Godfather
野郎どもと女たち
Guys and Dolls
(1955年/アメリカ)
ゴッドファーザー
The Godfather

(1972年/アメリカ)
Last_Tango_in_Paris-3
Apocalypse_Now
ラストタンゴ・イン・パリ
Ultimo tango a Parigi
(1972年/イタリア)
地獄の黙示録
Apocalypse Now
(1979年/アメリカ)


     ハリウッドの革命児

 ・1924年、ネブラスカ州生れ。母親は元舞台女優で地元のアマチュア劇団オマハ・コミュニティ・プレイハウスの創設者の1人。
 両親とも大酒飲みだった影響か、子供の頃から反攻的で扱い難い性格だったという。
 リバティーヴィル高校、シャタック陸軍士官学校を退学処分となり、姉たちを頼ってニューヨークへ。舞台女優となっていた長女ジョスリンの薦めもあり、女優のステラ・アドラーのもとで演技を学んだ。
 (右の写真)6歳の時のマーロン・ブランド。姉のジョスリン、フランシスと
Brando_&_Sisters
  * オマハ・コミュニティ・プレイハウス … ヘンリー・フォンダを輩出した劇団としても知られている。
  * ジョスリン・ブランド … 『侵略』(1963年)、『逃亡地帯』(1966年)でマーロン・ブランドと共演した。

A_Streetcar_Named_Desire_1947
 ・1944年、舞台劇「ママの想い出」でブロードウェイ・デビュー。その後も舞台でキャリアを積み、「欲望という名の電車」(1947年〜/監督:エリア・カザンが2年に及ぶロングランの大ヒットとなった。公演中、ブランドは鼻を骨折(原因は諸説あり)し、ジャック・パランスアンソニー・クインが代役を務めた期間があった。
 * 「ママの想い出」 … アイリーン・ダン主演、ジョージ・スティーヴンス監督で映画化(1948年)された。
 (左の写真)舞台「欲望という名の電車」。主演のジェシカ・タンディ

 ・有望な若手俳優として注目を集め、複数の大手映画会社から声を掛けられたが、契約で長期間縛られるのを嫌い、独立系のプロデューサー、スタンリー・クレイマー製作の『男たち』(1950年/監督:フレッド・ジンネマンで銀幕デビュー。
 戦争で下半身不随となった元軍人を好演したが、作品は大きな成功を収めることが出来なかった。
 (右の写真)『男たち』 テレサ・ライトと 
The_Men

A_Streetcar_Named_Desire-2
 ・舞台での当たり役を銀幕で再び演じた『欲望という名の電車』(1951年/監督:エリア・カザン)で、アカデミー賞主演男優賞に初ノミネート。
 (左の写真)『欲望という名の電車』 ヴィヴィアン・リー

 ・メキシコ革命の英雄を演じた『革命児サパタ』(1952年/監督:エリア・カザン)で、2年連続のアカデミー賞主演男優賞候補に。オスカーは取り逃がしたが、カンヌ国際映画祭の主演男優賞、英アカデミー賞の外国男優賞を受賞した。
 (右の写真)『革命児サパタ』ジーン・ピーターズと
Viva_Zapata!

Julius_Caesar  ・豪華キャストによる史劇『ジュリアス・シーザー』(1953年/監督:ジョゼフ・L・マンキーウィッツで、ルイス・カルハーン扮するシーザーの部下アントニー(マルクス・アントニウス)に扮し、3年連続のアカデミー賞主演男優賞候補に。またも受賞は逃したが、2年連続で英アカデミー賞の外国男優賞を受賞した。
 (左の写真)『ジュリアス・シーザー』

 ・ブランドのリアリティ溢れる演技はハリウッドに旋風を巻き起こし、後に続く多くの俳優たちの目標となった。その影響は演劇人に留まらず、『欲望という名の電車』以後、それまで下着だったタンクトップやTシャツが普段着となり、『乱暴者』(1953年)公開後、革ジャンの売り上げが急増。当時の反抗的な若者たちの憧れの存在となった。
 (右の写真)『乱暴者』 メアリー・マーフィーと
The_Wild_One-2

On_The_Waterfront-2
 ・『波止場』 (1954年/監督:エリア・カザン)でアカデミー賞主演男優賞を受賞。若きカリスマは名実ともにハリウッドのトップスターとなった。
 30歳11ヶ月での受賞は、『グッバイガール』(1977年)のリチャード・ドレイファス(30歳5ヶ月)に抜かれるまで、同賞の最年少記録であり続けた。
 (左の写真)『波止場』 エヴァ・マリー・セイント


youtube
 アカデミー賞授賞式。司会はボブ・ホープ、プレゼンターはベティ・デイビス



 ・ナポレオンを演じた『デジレ』(1954年)、自身最初で最後のミュージカル映画となった『野郎どもと女たち』(1955年)に出演。2作品ともジーン・シモンズと共演した。
Desiree
Guys_and_Dolls
『デジレ』(1954年)
ジーン・シモンズと
『野郎どもと女たち』(1955年)
ジーン・シモンズと


 ・沖縄を舞台にしたコメディ『八月十五夜の茶屋』(1956年)で日本人通訳を演じた。来日し、京都、奈良で撮影されたが、エキストラとして出演した淀川長治が、「あなたは私の顔をマーロン・ブランドだと思って見ている。そんな顔で見られたら演技できない」とクレームをつけられた、とのエピソードも。
 (右の写真)『八月十五夜の茶屋』左から、京マチ子、エディ・アルバート、マーロン・ブランド、グレン・フォード
The_Teahouse_of_the_August_Moon

Sayonara
 ・日本を舞台にした作品への出演が続いた。『サヨナラ』(1957年/監督:ジョシュア・ローガンで5度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
 ブランドの恋人役はオードリー・ヘップバーンが辞退し、日系アメリカ人の新人、高美以子が演じた。
 (左の写真)『サヨナラ』 高美以子と

 ・1957年、インド出身のモデル・女優のアンナ・カシュフィと結婚。長男のクリスチャン(1958年生)を授かったが、1959年に離婚した。
 (右の写真)最初の妻アンナ・カシュフィと
Anna_Kashfi-2

The_Young_Lions
The_Fugitive_Kind
『若き獅子たち』(1958年/監督:エドワード・ドミトリク)
『蛇皮の服を着た男』(1959年/監督:シドニー・ルメット
アンナ・マニャーニ


Movita_Castaneda
 ・1960年、メキシコ系アメリカ人女優で、クラーク・ゲーブル主演の『戦艦バウンティ号の叛乱(南海征服)』(1935年)等に出演したモヴィータ・カスタネダと結婚。彼にとって次男となるミコ(1961年生)、長女レベッカ(1966年生)を授かったが、1962年に離婚した。
 (左の写真)2番目の妻モヴィータ・カスタネダと

 ・自身初の西部劇『片目のジャック』(1961年)は、スタンリー・キューブリック監 督、サム・ペキンパー脚本で撮影が開始されたが2人とも解雇され、ブランドが最初で最後の監督を務めた。しかし、3ヶ月を予定していた撮影期間は1年半 に及び、180万ドルだった予算は600万ドルまで膨れ上がり、ブランド=トラブル・メーカーとの悪評が生まれるきっかけとなってしまった。 (右の写真)『片目のジャック』 カール・マルデン(右)と
One-Eyed_Jacks

Munity_on_the_Bounty
 ・『戦艦バウンティ』(1962年)では、当初の監督キャロル・リードがブランドと馬が合わず、ルイス・マイルストーンと交代。また、映画の最後で燃やされるバウンティ号の予備のレプリカを造らせるなど、ブランドは無理難題な要求を繰り返した(真偽は不明)とされ、完成した作品が大きな赤字となるとブランドの悪評は頂点に達した。
 (左の写真)『戦艦バウンティ』 トレヴァー・ハワード

 ・1962年、『戦艦バウンティ』でブランドの恋人役だったタリタ・テリパイアと結婚。彼にとって三男となるサイモン・テホトゥ(1963年生)、次女となるタリタ・シャイアン(1970年生)を授かったが、1972年に離婚した。
 (右の写真)3番目の妻タリタ・テリパイアと
Tarita_Teriipaia

 ・奇しくも2人続けて「戦艦バウンティ」を題材とした映画に出演した女優を妻としたが、同作の撮影地
Brando_Resort
タヒチ島 の自然に魅了されたブランドは、同島の北西約60Kmに位置する12の小島から成るテティアロア環礁を購入。自らの聖域として、実際に生活するためアマ チュア無線の免許も取得した。ブランドが建てた家屋は1983年にハリケーンで倒壊したが、彼の死後、遺族がリゾート地として開発。2014年にオープン して以来、世界有数の人気観光スポットとなっている。
 (左の写真)テティアロア環礁のザ・ブランド


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