20世紀・シネマ・パラダイス

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Anna_Magnani-4

アンナ・マニャーニ

Anna Magnani

 1908-1973(イタリア)


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   代表作

Roma_citta_aperta-2
Bellissima
無防備都市
Roma, citta aperta

(1945年/イタリア)
ベリッシマ
Bellissima

(1951年/イタリア)
Le_carrosse_d'or-2
The_Rose_Tattoo
黄金の馬車
Le carrosse d'or
(1952年/仏・伊)
バラの刺青
The Rose Tattoo

(1955年/アメリカ)
Wild_Is_the_Wind
Roma
野生の息吹き
Wild Is the Wind
(1957年/アメリカ)
フェリーニのローマ
Roma
(1972年/イタリア)


    イタリアの国民的大女優

 ・1908年、ローマ生れ。生後間もなく母親が彼女を残してエジプトへ渡ってしまったため、祖母に育てられた。
 ナイトクラブの歌手などをして生活費を稼ぎながらローマの演劇アカデミーで学び、舞台俳優としてデビュー。『ソレントの盲女』(1934年)で銀幕デビューをした。
 (右の写真)『ソレントの盲女』
La_cieca_di_Sorrento

・1935年に映画監督のゴッフレード・アレッサンドリーと結婚。法的には1950年まで夫婦だったが、実質的な夫婦関係は数年で破綻。1942年に息子(私生児)を授かったが、父親は当時交際していた俳優だった。

Roma,_citta_aperta  ・イタリア・ネオレアリズモ映画の幕開けを告げる記念碑的作品『無防備都市』(1945年)が出世作となった。監督のロベルト・ロッセリーニとは『アモーレ』(1948年)で再び組み、私生活でも親密な関係になったが、予定されていた『ストロンボリ/神の地』(1950年)の主演がイングリッド・バーグマンに変更され、ロッセリーニはバーグマンと結ばれた。
 (左の写真)『無防備都市』

L'amore
Rossellini
『アモーレ』(1948年)
フェデリコ・フェリーニ
ロベルト・ロッセリーニと

 ・『ベリッシマ』(1951年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ、『黄金の馬車』(1952年/監督:ジャン・ルノワール、『われら女性』(1953年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)等、巨匠たちの作品で活躍。
 (右の写真)『ベリッシマ』
Bellissima-2

Le_carrosse_d'or-3.
Siamo_Donne
『黄金の馬車』(1952年) オムニバス映画 『われら女性』(1953年):第5話

The_Rose_Tattoo-2
 ・アンナ・マニャーニの演技に惚れこんだ米国の劇作家テネシー・ウィリアムズが、彼女の為に書いたとされる『バラの刺青』(1955年/監督:ダニエル・マン)でアメリカに進出。彼女は英語に自信がなく舞台への出演は辞退したが、映画で主演し、イタリアの俳優で初めてアカデミー賞(主演女優賞)を受賞した。
 (左の写真)『バラの刺青』 バート・ランカスター

 ・アカデミー賞を受賞できるとは思っておらず、授賞式を欠席していた彼女は、受賞を知らせる電話の相手に、「冗談だったら、あんたを殺すよ ! 」と語ったとのエピソードが伝わっている。
 (右の写真)オスカー像を手にするアンナ・マニャーニ
Anna_Magnani_Oscar

Wild_is_the_Wind
 ・『野生の息吹き』(1957年/米/監督:ジョージ・キューカーでベルリン国際映画祭の女優賞を受賞。名実ともにイタリアを代表する大女優となり、アメリカ、イタリアの名監督たちの作品で活躍した。
 (左の写真)『野生の息吹き』 アンソニー・クイン

The_Fugitive_Kind Mamma_Roma
『蛇皮の服を着た男』
(1959年/米/監督:シドニー・ルメット
マーロン・ブランド
『マンマ・ローマ』
(1962年/伊/監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ)

 ・本人役で出演した『フェリーニのローマ』(1972年/監督:フェデリコ・フェリーニ)が遺作となった。
The_Secret_of_Santa_Vittoria
Roma-2
『サンタ・ビットリアの秘密』
(1969年/米/監督:スタンリー・クレイマー
アンソニー・クインと
『フェリーニのローマ
(1972年/監督:フェデリコ・フェリーニ)

 ・1973年65歳で他界。

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