20世紀・シネマ・パラダイス

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Ingrid Bergman

イングリッド・バーグマン

Ingrid Bergman

 1915-1982 (スウェーデン)


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     代表作

Casablanca
For_Whom_the_Bell_Tolls
カサブランカ
Casablanca

(1942年/アメリカ)
誰が為に鐘は鳴る
For Whom the Bell Tolls

(1943年/アメリカ)
Gaslight
The_Bells_of_St._Mary's
ガス燈
Gaslight

(1944年/アメリカ)
聖メリーの鐘
The Bells of St. Mary's

(1945年/アメリカ)
Notorious-2
Anastasia
汚名
Notorious
(1946年/アメリカ)
追想
Anastasia
(1956年/アメリカ)
Murder on the Orient Express
Autumn Sonata
オリエント急行殺人事件
Murder on the Orient Express
(1974年/イギリス)
秋のソナタ
Autumn Sonata (英題)
(1978年/スウェーデン)


    銀幕の名花 バーグマン

 ・1915年、スウェーデンのストックホルム生れ。
 3歳の時に母親(ドイツ人)、13歳の時に父親(スウェーデン人/写真家・画家)を亡くし、以後、親戚に育てられた。
 17歳の時に、映画『Landskamp(1932年)にエキストラで出演した。
 (右の写真)5歳の頃、父親と
Bergman 1920

 ・1933年、母国のスーパースター、グレタ・ガルボも学んだ王立演劇アカデミーのオーディションに合格して入学。翌年、知人の紹介で映画会社のスクリーン・テストを受けて合格した。

Munkbrogreven  ・王立演劇アカデミーを退学し、コメディ映画『ムンクブローの伯爵』(1935年)で本格的な銀幕デビューを果たした。
 以後、『波濤』、『スウェーデンイェルム家』、『ワルプルギスの夜』(1935年)、『日なたで』、『間奏曲』(1936年)、『ドル』、『4人の仲間』(ドイツ映画)、『女の顔』(1938年)、『一夜かぎり』(1939年)に出演。
 (左の写真) デビュー作 『ムンクブローの伯爵』

Munkbrogreven-2
/Branningar
『ムンクブローの伯爵』(1935年) 『波濤』(1935年)
Swedenhielms
Valborgsmassoafton
『スウェーデンイェルム家』(1935年) 『ワルプルギスの夜』(1935年)
Pa_solsidan
Intermezzo_1936
『日なたで』(1936年) 『間奏曲』(1936年)

 ・1937年、歯科医のペッテル・アロン・リンドストロムと結婚。翌年、長女のピアを授かった。 Petter Aron Lindstrom Pia Lindstrom

Dollar
Die_vier_Gesellen
『ドル』(1938年) 『4人の仲間』(1938年/ドイツ)
バーグマン(右から2番目)
En_kvinnas_ansikte
En_enda_natt
『女の顔』(1938年)
バーグマン(右)
『一夜かぎり』(1939年)

 ・1939年、『間奏曲』を観た、映画製作者デビッド・O・セルズニックに招かれてハリウッドへ。

Intermezzo  ・『間奏曲』のリメイク作『別離』(1939年)でハリウッド・デビュー。撮影途中、ラッシュプリントを試写したセルズニックは、バーグマンのスクリーン映えに不満でカメラマンを交代。後任のグレッグ・トーランドに、「スウェーデンではハリウッドのように厚化粧をしていない」と諭され、以後、彼女を他社に貸し出す際にも、ハリウッド流の厚化粧をせずに自然体であるように注文した。
 (左の写真)『別離』 レスリー・ハワード

 ・映画が公開されるや、バーグマンは一躍脚光を浴びた。
 セルズニックはバーグマンの容姿や演技は勿論、撮影に臨む姿勢など全てに満足し、彼女と7年の契約を締結した。
 ! 初対面の時は、バーグマンの背の高さに驚き、ハリウッドで成功するか一抹の不安を覚えたという。
 (右の写真)バーグマンとセルズニック
Selznic

 ・一旦スウェーデンに戻り、『六月の夜』(1940年)に出演。再渡米後、ブロードウェイの舞台劇「リリオム」(1940年) に出演した。
 * 「リリオム」 … フリッツ・ラング監督、シャルル・ボワイエ主演で映画化(1934年)された作品。
June_Night
Liliom
『六月の夜』(1940年/スウェーデン)
舞台「リリオム」
バージェス・メレディスと

Adam Had Four Sons Rage in Heaven
『四人の息子』(1941年)
フェイ・レイ(左)と
『天国の怒り』(1941年)
 ロバート・モンゴメリーと

Dr. Jekyll and Mr. Hyde  ・『ジキル博士とハイド氏』(1941年/監督:ヴィクター・フレミングでは、バーグマンの要望で共演のラナ・ターナーと配役を替えてもらいアイヴィ役を演じたが、これはミス・キャストだったとの声も。
 (左の写真)『ジキル博士とハイド氏』 スペンサー・トレーシー、ラナ・ターナー(右)と

 ・カリフォルニアで、舞台劇「アンナ・クリスティ」(1941年)に出演。この頃、夫と娘をアメリカへ呼び寄せた。
  * 「アンナ・クリスティ」 … 1930年の映画はスウェーデンの先輩女優グレタ・ガルボの代表作。

 ・『カサブランカ』(1942年/監督:マイケル・カーティスに出演。
 「君の瞳に乾杯!」。銀幕の名花バーグマンが満開となった永遠の名作。
 * 1942年11月にニューヨークでプレミア公開されたが、一般公開は1943年1月。
 (右の写真)『カサブランカ』 ハンフリー・ボガート
Casablanca_photo

For_Whom_the_Bell_Tolls-3
 ・自身初のカラー作品『誰が為に鐘は鳴る』(1943年/監督:サム・ウッドに出演。
 「キスする時に鼻はどうするの?」。当時27歳とは思えぬ瑞々しさ。
 『カサブランカ』のイルザがBeautiful なら、『誰が為に…』のマリアはCute
 (左の写真)『誰が為に鐘は鳴る』 ゲーリー・クーパー

 ・1943年の全米年間興行成績で、『誰が為に鐘は鳴る』が第1位、『カサブランカ』が第6位の大ヒット。『誰が為に鐘は鳴る』の演技で、アカデミー賞主演女優賞に初ノミネートされた。  

 ・女性映画の名手ジョージ・キューカー監督のサスペンス『ガス燈』(1944年)で、アカデミー賞主演女優賞を受賞。名実ともにハリウッドのトップ女優の1人となった。
 (右の写真)『ガス燈』 シャルル・ボワイエ
Gaslight-2

Bergman Oscar Bergman_Oscar-2-2
Bergman Oscar-2

オスカー像を手に

 ・1945年は、興行面でキャリアハイの年となった。

Saratoga Trunk  ・『サラトガ本線』(1945年/監督:サム・ウッド)。
 大ヒットした『誰が為に…』のゲーリー・クーパー、サム・ウッド監督と再び組んだ作品。凡作ではあるが、当代きっての美男美女の人気スターの共演で、年間第7位の大ヒットに。
 (左の写真)『サラトガ本線』 ゲーリー・クーパーと  

 ・『聖メリーの鐘』(1945年/監督:レオ・マッケリーは、当時、アメリカで人気No.1だったビング・クロスビーと共演し、バーグマンのキャリアで最大のヒット作に。インフレ調整後の興行成績では歴代51位 (2014年現在)
 (右の写真)『聖メリーの鐘』 ビング・クロスビーと
The Bell's of St. Mary's-3

Spellbound-2 ・『白い恐怖』(1945年)サスペンス映画の神様アルフレッド・ヒッチコック監督との最初の作品。
 前年に銀幕デビューした大型新人のグレゴリー・ペックと共演。年間第2位の大ヒットに。
 (左の写真)『白い恐怖』 グレゴリー・ペックと

 ・1945年は、3本の出演作が全て年間興行成績のトップ10入り。『聖メリーの鐘』で、3年連続3度目のアカデミー賞主演女優賞の候補にもなり、正に絶好調のバーグマン。

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