20世紀・シネマ・パラダイス

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Leslie_Howard-4

レスリー・ハワード

Leslie Howard

   
1893-1943 (イギリス)


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     代表作
 
Of_Human_Bondage
Romeo_and_Juliet
痴人の愛
Of Human Bondage
(1934年/アメリカ)
ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet
(1936年/アメリカ)
Pygmalion Gone_with_the_Wind-2
ピグマリオン
Pygmalion

(1938年/イギリス)
風と共に去りぬ
Gone with the Wind
(1939年/アメリカ)


    50歳で非業の死を遂げた『風と共に去りぬ』のアシュレー役俳優

 ・1893年、ロンドン生れ。学生の時に1本だけ、映画監督だった叔父のウィルフレッド・ノーイが撮った短編映画 『The Heroine of Mons(1914年)に出演した。大学卒業後、銀行員となったが、第1次世界大戦が勃発し、従軍。戦場で精神を病み、治療の一環として演劇を始め、やがて本格的に取り組むようになった。

 ・1917年、ロンドンで初舞台に立ち、映画にも出演。その後、友人と映画製作会社を設立し、映画製作業にも携わった。しかし、当時のロンドンは不況だったため、多くの同業者と同様にアメリカへ渡った。

 ・1920年、ブロードウェイ・デビュー。「Aren't We All ?(1923年)で注目を集め、「Her Cardboard Lover(1927年)のヒットで、舞台のトップ・スターとしての地位を築いた。
 (右の写真) ロンドンでの舞台「Her Cardboard Lover」(1928年)
 タルーラ・バンクヘッドと

Her_Cardboard_Lover

 ・自身も出演していた舞台劇の映画化作品『Outward Bond(1930年)でハリウッド映画デビュー。9年ぶりの映画で、自身初のトーキー作品でもあった。
 ハリウッドでの4作目、ノーマ・シアラークラーク・ゲーブルと共演した『自由の魂』(1931年/監督:クラレンス・ブラウンが大ヒットし、ハリウッドでも成功を収めた。
Outward Bond A_Free_Soul
Outward Bond 』 アリソン・スキップワースと 『自由の魂』 ノーマ・シアラーと

 ・舞台監督(共同)、主役を務めたブロードウェイのヒット作の映画化作品『Berkeley Square(1933年)で、アカデミー賞主演男優賞に初ノミネート。
 ‟アメリカの恋人”メアリー・ピックフォードから、彼女の引退作『秘密』(1933年/監督:フランク・ボーゼージの相手役に指名もされた。
Berkeley_Square
Secrets
Berkeley Square 』 ヘザー・エンジェルと 『秘密』 メアリー・ピックフォードと

 ・ベティ・デイビスの出世作『痴人の愛』(1934年)、イギリス映画『紅はこべ 』(1934年)に出演。米英2ケ国、舞台と映画を股にかけての大活躍だった。
Of_Human_Bondage-3
The_Scarlet_Pimpernel
『痴人の愛』 ベティ・デイビスと 紅はこべ 』 マール・オベロンと

 ・ブロードウェイのヒット作『化石の森』(1936年)の映画化の際、ワーナー・ブラザーズ社は共演の悪役にエドワード・G・ロビソンを起用しようとしたが、レスリーは舞台で共演したハンフリー・ボガートでなければ自分も出演しないと会社を説得。ボギーはレスリーの期待に応える演技をして彼の出世作となった。ボギーはこの時の恩を忘れず、ローレン・バコールとの間に生まれた娘に「レスリー・ハワード・ボガート」と命名している。
The Petrified Forest Romeo_and_Juliet-2
『化石の森』
ベティ・デイビス、ハンフリー・ボガート(右)と
『ロミオとジュリエット』(1936年/監督:ジョージ・キューカー
ノーマ・シアラーと

 ・『恋愛合戦』(1937年)でベティ・デイビスと3度目、そして、オリヴィア・デ・ハヴィランドと初共演。母国イギリスで『ピグマリオン』(1938年)に出演。後の『マイ・フェア・レディ』の元作品でヒギンズ教授を演じると共に、共同監督も務めた。同作で2度目のアカデミー賞主演男優賞候補となり、ベネチア国際映画祭の男優賞を受賞した。
It's_Love_I'm_After Pygmalion-2
『恋愛合戦』
 オリヴィア・デ・ハヴィランド(左)、ベティ・デイビスと
『ピグマリオン』 
ウェンディ・ヒラーと

 ・イングリッド・バーグマンのハリウッド・デビュー作『別離』(1939年)では、彼女をハリウッドに招いたデビッド・O・セルズニックと共同プロデューサーも務めたが、これは、レスリーが『風と共に去りぬ』(1939年/監督:ヴィクター・フレミングに出演する条件でもあった。そして、『風と共に去りぬ』でのアシュレー役。彼の最も有名な代表作であり、最後のハリウッド映画ともなった。
Intermezzo Gone_with_the_Wind
『別離』
イングリッド・バーグマンと
『風と共に去りぬ』
ヴィヴィアン・リー

 ・『風と共に去りぬ』の完成後、イギリスに戻って精力的に活動。『'Pimpernel' Smith(1941年)、『スピットファイアー』(1942年)では製作・監督・主演の3役をこなした。

 ・第2次世界大戦が勃発すると、連合軍の戦意高揚の宣伝活動や兵士の慰問活動にも従事。

 ・1943年6月1日、ポルトガルのリスボンからイギリスへ向かう飛行機に搭乗。大西洋上でドイツ空軍に撃墜され、非業の死を遂げた。享年50歳
 民間機が撃墜されたのには、ドイツ空軍がこの飛行機にイギリスのチャーチル首相が搭乗していると誤ったとの説がある。

Ronald Howard  ・私生活では1916年に結婚し、長男、長女を授かった。長男のロナルド・ハワードは俳優となり、TVのシリーズ番組『シャーロック・ホームズ』(1954年〜)などに出演した。
 (左の写真)息子のロナルド・ハワード。

 ・英国紳士レスリーは女性にもてたようで、舞台「Her Cardboard Lover(1928年)で共演したタルラー・バンクヘッド、『南の誘惑』(1931年)で共演したコンチータ・モンテネグロ、『The Animal Kingdom(1932年)で共演したマーナ・ロイ、『紅はこべ (1934年)で共演したマール・オベロンなどと浮名を流した。

 ・1981年、アメリカの劇場の栄誉の殿堂「American Theater Hall of Fame」入り。

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