20世紀・シネマ・パラダ イス
ローレン・ バコール
Lauren Bacall
1924-2014 (アメリカ)
◆
代表作
脱出
To Have and Have Not
(1944年/アメリカ)
三つ数えろ
The Big Sleep
(1946年/アメリカ)
キー・ラーゴ
Key Largo
(1948年/アメリカ)
百万長者と結婚する方法
How to Marry a Millionaire
(1953年/アメリカ)
ラスト・シューティスト
The Shootist
(1976年/アメリカ)
マンハッタン・ラプソディ
The Mirror Has Two Faces
(1996年/アメリカ)
◆
眼差し(ザ・ルック)とハスキー・ボイスで人気スターに
・
1924年
、ニューヨーク州生れ。本名は
Betty Joan Perske
。5歳の時に両親が離婚し、母親に育てられた。幼い頃からバレエを習い、高校卒業後、アメリカン演劇アカデミーで演技を習った。
・1942年、舞台「
Johnny 2×4
」 でブロードウェイ・デビュー。当時の芸名は
Betty Bacall
(母親の旧姓が
Bacal
)だった。
・1943年、雑誌「ハーパーズ・バザー」の表紙のモデルを務め、これを見たナン シー‛スリム’キースが当時の夫
ハワード・ホークス
監督に推薦して映画に出演することになった。
(右の写真)雑誌「ハーパーズ・バザー」
・ホークス監督から低音で深みのある発声の訓練方法を指南され、ビバリーヒルズのマルホラ ンド・ドライブの頂上でキリストを題材とした小説「聖衣
The Robe
」 を大声で朗読してハスキー・ボイスをものにしたという。
(左の写真)『脱出』撮影時のローレン・バコール。まだ旧芸名のベティ・バコールと表示されています。
・ホークス監督から‟ローレン・バコール”の芸名を授けられ、
ハンフリー・ボガート
主 演の『脱出』
(1944年/監督:ハワード・ホークス)
で銀幕デビュー。当時19歳の彼女は 緊張からくる身震いを抑えるため、顎を引いて上目づかいで相手を見る演技をした。その為、「
The Look
= 眼差し」 という愛称を与えられることとなった。
(右の写真)『脱出』 ハンフリー・ボガートと
・ボギー
(ハンフリー・ボガート)
とは25歳年の差があったがお互いに惹かれ合った。彼女の楽屋に訪ねて来たボギーはポ ケットからマッチ箱を取り出し、「
電話番号を書いてくれないか
」とアプローチしたという。
(左の写真)『脱出』撮影時。ハンフリー・ボガートと
・ボギーは当時の妻メイヨ・メソットと離婚。ボギーとバコールは再共演作『三つ数えろ』
(1946年/監督:ハ ワード・ホークス)
の撮影後
(1945年)
に結婚した。
結婚式でのボギーとバコール
『密使』(1945年)
シャルル・ボワイエ
と
『三つ数えろ』(1946年)
ハンフリー・ボガートと
・ボギーとは、『潜行者』
(1947年)
、 『キー・ラーゴ』
(1948年/監督:
ジョン・ヒュースト ン
)
でも共演した。
『潜行者』(1947年)
ハンフリー・ボガートと
『キー・ラーゴ』(1948年)
ハンフリー・ボガートと
・1949年、長男を出産。『脱出』でのボギーの役柄の愛称「
Steve
」にちなんで、「
Stephen
」と名付けられた。
『情熱の狂想曲』(1950年/監督:
マイケル・カーティス
)
カーク・ダグラス
と
『燃えつきた欲望』(1950年/監督:マイケル・カーティス)
ゲーリー・クーパー
と
・1952年、長女を出産。ボギーの恩人
レスリー・ハワード
にちなんで、レスリー・ハワード・ボガートと名付けられた。
・ハードボイルドのイメージから一転、ロマンチック・コメディに挑んだ 『百万長者と結婚する方法』
(1953年)
での演技も好評を博した。
(右の写真)『百万長者と結婚する方法』
マリリン・モンロー
(左)、
ベティ・グレイブル
(右)と
『蜘蛛の巣』(1955年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
リリアン・ギッシュ
(右)と
『中共脱出』(1955年/監督:
ウィリアム・A・ウェルマン
)
ジョン・ウェイン
と
・ボギーの出世作をTVドラマとしてリメイクした「化石の森」
(1955年)
が、夫婦の最後の共演作となった。
(左の写真)TVドラマ「化石の森」
ハンフリー・ボガート(左)、
ヘンリー・フォンダ
と
『風と共に散る』(1956年/監督:ダグラス・サーク)
ロック・ハドソン
と
『バラの肌着』(1957年/監督:ヴィンセント・ミネリ)
グレゴリー・ペック
と
・1957年、ハンフリー・ボガートが他界。その後の一時期、
フランク・シナトラ
と交際をしていたが、結婚には至らなかった。
(右の写真)フランク・シナトラと。1957年。
・1961年、ジェイソン・ロバーズと再婚。同年、後に俳優となった息子のサム・ロバーズを授かったが、1969年に離婚した。
(左の写真)ジェイソン・ロバーズとの結婚式時
『動く標的』 (1966年)
ポール・ニューマン
と
『オリエント急行殺人事 件』
(1974年/監督:
シドニー・ルメット
)
アルバート・フィニー
と
・元々寡作な女優だったが、1960年代は3本、1970年代は2本の劇場用映画に出演しただ けだった。
(右の写真)『ラスト・シューティスト』(1976年) ジョン・ウェインと
・
ベティ・デイビス
主演の
『イヴの総て』
(1950年)
を元にしたブロードウェイのミュージカル劇「
Applause
」
(1970年)
と、
キャサリン・ヘップバーン
主演の『女性No.1』
(1942年)
の舞台劇「
Woman of the Year
」
(1981年)
で、2度トニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞した。
(左の写真) 舞台「
Applause
」
・1978年、自伝「私一人」を出版。全米図書賞の自叙伝部門を受賞した。
・1960年代から亡くなるまで、ニューヨークのマンハッタン区にある高級集合住宅ダコタ・ハウスに住んでいた。1980年12月8日、同じ住民のジョン・レノンが射殺された 時の銃声も耳にしたという。
『ミザリー』(1990年/監督:ロブ・ライナー)
TVドラマ 「愛のポートレイト」(1993年)
グレゴリー・ペックと
・バーブラ・ストライサンドが監督・主演した『マンハッタン・ラプソディ』
(1996年)
でアカデミー賞助演女優賞に初ノミネートされた。オスカーは逃したが、ゴールデン・グローブ賞の助演女 優賞を受賞した。
(右の写真) 『マンハッタン・ラプソディ』 バーブラ・ストライサンド(右)と
・1993年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
・1994年、2冊目の自伝「いまの私」を出版。
『
Le Jour et la Nuit
』(1997年/フランス)
アラン・ドロン
と
『
Diamonds
』(1999年)
カーク・ダグラスと
・1999年
、
AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」 の女優部門で第20位に。
・スタジオジブリ作品『ハウルの動く城』
(2004年/監督:宮崎駿)
の英語版で荒地の魔女の吹替えをした。
(左の写真)『ハウルの動く城』 ソフィー(老婆)の吹替えをした
ジーン・シモンズ
(右)と
・2009年、アカデミー賞名誉賞を受賞。プレゼンターはアンジェリカ・ヒュー ストン。
・晩年まで女優活動を続け、『
The Forger
』
(2012年)
が最後に出演した劇場用映画になった。
(右の写真) アカデミー賞名誉賞受賞時
・
2014年
、
89歳
で他界。
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