20世紀・シネマ・パラダ イス
アルバート・フィニー
Albert Finney
1936-2019 (イギリス )
◆
代表作
トム・ジョーンズの華麗な冒険
Tom Jones
(1963年/イギリス)
いつも2人で
Two for the Road
(1967年/米・英)
オリエント急行殺人事件
Murder on the Orient
Express
(1974年/英・米)
ドレッサー
The Dresser
(1983年/イギリス)
火山のもとで
Under the Volcano
(1984年/アメリカ)
エリン・ブロコビッチ
Erin Brockvich
(2000年/アメリカ)
◆
‟怒れる若者たち”〜
ブリティッシュ・ニューウェーブ
を代表する名優
・1950年代のイギリスで、既成社会に反発する若者たち
(主に労働者、下層中産階級)
を描いた演劇や小説が脚光を浴び、それらの作品を書いた作家たちが ‟
怒れる若者たち
” と称せられた。
(代表的な作家)
‟怒れる若者たち”
の由来となった戯曲「怒りをこめてふり返れ」 (1956年)のジョン・オズボーン、
「ラッキー・ジム」 (1955年)のキングズリー・エイミス、「長距離走者の孤独」(1959年) のアラン・シリトーなど。
・
‟怒れる若者たち”の作品は映画界にも影響を及ぼした。1950年代末から1960年代初頭にかけて、若手の映画監督たちが、労働者階級の人々に焦点を当てた作品を発表し、そうした運動は、フランス映画の‟ヌーヴェルヴァーグ”になぞらえて、‟
ブリティッシュ・ニューウェーブ
” と呼ばれた。
(右の写真)
‟ブリティッシュ・ニューウェーブ”を代表するトニー・リチャードソン監督(左) と
アルバート・フィニー。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』 (1963年) 撮影時。
*
トニー・リチャードソン …
『蜜の味』 (1961年)、『長距離ランナーの孤独』 (1962年) 等を監督。
・
1936年
、イギリスのサルフォード生れ。1956年、ロンドンの王立演劇学校を卒業。舞台、TVドラマを経て、ジョン・オズボーン原作・脚本、トニー・リチャードソン監督の 『寄席芸人』
(1960年/主演:
ローレンス・オリヴィエ
)
で銀幕デビュー。アラン・シリトー原作、トニー・リチャードソン製作の 『土曜の夜と日曜の朝』
(1960年)
で主人公を演じ、英アカデミー賞の新人俳優賞を受賞した。
(右の写真) 『土曜の夜と日曜の朝』 アルバート・フィニー
・
デヴィッド・リーン
監督に見出され、超大作
『アラビアのロレンス』
(1962年)
のスクリーン・テストを受けて合格したが、製作者の
サム・スピーゲル
が提示した契約条件が気に入らず、辞退した。ロレンス役は王立演劇学校の先輩
ピーター・オトゥール
(1954年卒業)
が起用された。
・ジョン・オズボーン作の舞台劇 「ルター」 で、宗教改革の中心人物マルティン・ルターを演じた。同舞台は好評を博し、イギリスの他、フランス、オランダでも公演され、フィニーはローレンス・オリヴィエの後継者との評判も得た。
(左の写真) 舞台 「ルター」 アルバート・フィニー(右)
・ジョン・オズボーン脚本、トニー・リチャードソン監督の 『トム・ジョーンズの華麗な冒険』
(1963年)
は、米アカデミー賞の8部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、脚色賞、作曲賞の4部門で受賞。フィニーは主演男優賞にノミネートされ、受賞は逃したが、ヴェネツィア国際映画祭の主演男優賞を受賞。国際的な人気スターとなった。
(右の写真) 『トム・ジョーンズの華麗な冒険』 スザンナ・ヨークと
・舞台劇 「ルター」 のブロードウェイ公演
(1963年7月〜1964年3月)
に出演。同舞台は、トニー賞の演劇作品賞を受賞した。
・
オードリー・ヘップバーン
と共演した 『いつも2人で』
(1967年/監督:
スタンリー・ドーネン
)
は人気作品に。
『
Charlie Bubbles
』
(1968年)
では自ら監督も務め、『クリスマス・キャロル』
(1970年/監督:
ロナルド・ニーム
)
では、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞
(ミュージカル・コメディ部門)
を受賞した。
(左の写真) 『いつも2人で』 オードリー・ヘップバーンと
『
Charlie Bubbles
』
(1968年)
ライザ・ミネリ (本格的な銀幕デビュー作) と
『クリスマス・キャロル』 (1970年)
・私生活では、1957年に9歳年上の女優と結婚し、長男を授かったが、1961年に離婚。
1970年、フランスの人気女優
アヌーク・エーメ
と再婚したが、1978年に離婚。
2006年に3度目の結婚をした。
(右の写真) 2番目の妻アヌーク・エーメと
・豪華キャストの 『オリエント急行殺人事件』
(1974年/監督:
シドニー・ルメット
)
で主人公の探偵ポアロを演じ、2度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。
本作出演後は舞台での活動に注力し、その間の映画出演は、『新シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険』
(1975年/監督:ジーン・ワイルダー)
へのカメオ出演と、出番が少ない 『デュエリスト/決闘者』
(1977年/監督:リドリー・スコット)
だけだった。
(左の写真) 『オリエント急行殺人事件』
・主演映画としては7年ぶりとなる 『大強奪』
(1981年)
で、銀幕での活動を本格的に再開。トム・コートネイと演技の火花を散らした 『ドレッサー』
(1983年/監督:ピーター・イエーツ)
でベルリン国際映画祭の男優賞
(銀熊賞)
を受賞。『ドレッサー』、『火山のもとで』
(1984年/監督:
ジョン・ヒューストン
)
で、2年連続アカデミー賞主演男優賞にノミネートもされた。
『アニー』 (1982年/監督:ジョン・ヒューストン)
アイリーン・クインと
『シュート・ザ・ムーン』 (1982年/監督:アラン・パーカー)
ダイアン・キートンと
『ドレッサー』 (1983年) トム・コートネイ(右)と
『火山のもとで』 (1984年) ジャクリーン・ビセットと
*
トム・コートネイ … アルバート・フィニーと同じく、王立演劇学校を卒業し、トニー・リチャードソン監督の
『長距離ランナーの孤独』 (1962年) で俳優としての地位を確立。
『ドクトル・ジバゴ』 (1965年) 等に出演。 『ドレッサー』
(1983年)でフィニーと共にアカデミー賞主演男優賞にノミネートもされており、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞は彼が受賞した。
・『エリン・ブロコビッチ』
(2000年/監督:スティーヴン・ソダーバーグ)
でアカデミー賞助演男優賞にノミネート。『007 スカイフォール』
(2012年/監督:サム・メンデス)
への出演が最後となった。
『ミラーズ・クロッシング』 (1990年/監督:ジョエル・コーエン)
『エリン・ブロコビッチ』
ジュリア・ロバーツと
『
ビッグ・フィッシュ』 (2003年/監督:ティム・バートン)
ジェシカ・ラングと
『007 スカイフォール』 (2012年)
・エージェントやマネージャーをつけず、インタビューの類は滅多に応じなかったという。アカデミー賞には5度ノミネートされたが、賞レースには無関心で、授賞式には1度も出席しなかった。
・1980年にCBE勲章を、2000年には爵位を辞退した。「
‟サー” などと呼ばれたくない。皆と同じ ‟ミスター” で十分だ
」 といった旨のコメントを残している。
労働者階級の出身
(父親は製本業を営んでいた)
で、王室制度や階級制度を維持しようとするエスタブリッシュメントには批判的だったという。 ‟怒れる若者たち” の精神を生涯貫き通した。
・
2019年
、
82歳
で他界。
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