20世紀・シネマ・パラダイス

伝説の映画製作者たち

◆ サム・スピーゲル
・製作した映画の中、3作品がアカデミー賞作品賞を受賞(歴代最多。2018年現在)した独立系の名プロデューサー。
・1901年、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のポーランド)生れ。両親ともユダヤ人で、父親はタバコの卸売業で成功した人物だった。
7か国後に堪能で、ウィーン大学卒業後、ドイツでハリウッド映画の独語版、仏語版の製作に従事していたが、1933年、ヒトラー政権が成立したため渡米した。
|

|

|
・1947年、製作会社「ホライズン・ピクチャーズ」を設立。4作目の『アフリカの女王』(1951年/監督:ジョン・ヒューストン)が大ヒットし、製作者として名を上げた。
尚、『運命の饗宴』から『アフリカの女王』までは、‟S. P. Eagle”の名義を使用していた。
(左の写真)『アフリカの女王』撮影時。カメラマンのジャック・カーディフ(左)と
|
・コロンビア社とタイアップし、『波止場』(1954年/監督:エリア・カザン)を製作。スピーゲルが何度も脚本の見直しを要求したため、ノイローゼとなった脚本家のバッド・シュールバーグが、「スピーゲルを殺しに行く」と妻に言った、というエピソードも。作品は大ヒットし、アカデミー賞の作品賞など8部門を受賞した。 |
 |

|
『波止場』撮影時。左から、ブランドの父親、
サム・スピーゲル、ブランドの母親、マーロン・ブランド |
アカデミー賞授賞式にて
オスカー像を手にするサム・スピーゲル
|

|

|
『戦場にかける橋』撮影時
デヴィッド・リーン監督(左)と
|
アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのゲーリー・クーパー(左)と
|
・『去年の夏、突然に』(1959年/監督:ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)を製作した後、デヴィッド・リーン監督と再び組んで『アラビアのロレンス』(1962年)を製作。『戦場にかける橋』を上回る興行成績(インフレ調整後の興行成績で歴代第78位) を収め、アカデミー賞の作品賞など7部門を受賞した。 |
・アカデミー賞作品賞を3度受賞した製作者は、サム・スピーゲルとソウル・ゼインツだけである。翌1963年度のアカデミー賞授賞式でアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。
* ソウル・ゼインツ … 『カッコーの巣の上で』(1975年)、『アマデウス』(1984年)、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)で受賞。 |
 |

|
『アラビアのロレンス』 ロイヤル試写会にて
左から、ピーター・オトゥール、デヴィッド・リーン監督、
サム・スピーゲル、エリザベス女王 |
アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのアーサー・フリード(右)と |
・その後、マーロン・ブランド主演の『逃亡地帯』(1966年/監督:アーサー・ペン)、ピーター・オトゥール主演の『将軍たちの夜』(1967年/監督:アナトール・リトヴァク)、『ニコライとアレクサンドラ』(1971年/監督:フランクリン・J・シャフナー)、『ラスト・タイクーン』(1976年/監督:エリア・カザン)等を製作した。
・1985年、84歳で他界。 |
|