20世紀・シネマ・パラダイス
ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
Joseph L. Mankiewicz
1909-1993 (アメリカ)
◆
代表作
三人の妻への手紙
A Letter to Three Wives
(1949年/アメリカ)
イヴの総て
All About Eve
(1950年/アメリカ)
ジュリアス・シーザー
Julius Caesar
(1953年/アメリカ)
裸足の伯爵夫人
The Barefoot Contessa
(1954年/アメリカ)
野郎どもと女たち
Guys and Dolls
(1955年/アメリカ)
去年の夏 突然に
Suddenly, Last Summer
(1959年/アメリカ)
クレオパトラ
Cleopatra
(1963年/アメリカ)
探偵スルース
Sleuth
(1972年/米・英)
◆
2年間で4つのオスカーを獲得
・
1909年
、ペンシルベニア州生れ。ドイツからの移民だった両親の次男で、兄は脚本家のハーマン・J・マンキーウィッツ。コロンビア大学卒業後、ベルリン大学へ留学して演劇を学んだが、その間、ウーファ社の映画の字幕翻訳に携わった。
*
ハーマン・J・マンキーウィッツ …
『市民ケーン』
(1941年)でアカデミー賞脚本賞を受賞。
『打撃王』
(1942年)等の脚本を執筆した。
*
シカゴ・トリビューンの特派員記者としてベルリンへ赴いたとする文献があるが、それは兄のハーマンの事である。
・帰国後、兄のいたパラマウント社と契約。サイレント映画の字幕作者となったが、役者として1本だけ『女性の罠』
(1929年)
に出演した。トーキーの時代に入ると脚本家になり、
ジャッキー・クーパー
主演の『スキピイ』
(1931年)
でアカデミー賞脚色賞にノミネートされた。
・MGM社に移り、
クラーク・ゲーブル
主演の『男の世界』
(1934年)
等の脚本を執筆。監督になることを希望したが、
ルイス・B・メイヤー
の助言により製作者となり、
キャサリン・ヘップバーン
主演の『フィラデルフィア物語』
(1940年)
、
スペンサー・トレイシー
主演の『激怒』
(1936年)
、『女性No.1』
(1942年)
等を製作
。
『フィラデルフィア物語』でアカデミー賞にノミネートされた。
・20世紀FOX社に移り、
グレゴリー・ペック
主演の『王国の鍵』
(1944年)
を製作
(脚色も)
。『呪われた城』
(1946年)
の脚本を執筆し、病気で降板した
エルンスト・ルビッチ
に代わり監督としてデビューした
。
『呪われた城』
(1946年)
ヴィンセント・プライス、
ジーン・ティアニー
『呪われた城』
撮影時
ジーン・ティアニー(左)と
・
エドワード・G・ロビンソン
にカンヌ国際映画祭の主演男優賞をもたらした『他人の家』
(1949年)
等の秀作を撮り、監督としての地位を確立。
『幽霊と未亡人』(1947年)
ジーン・ティアニー、
レックス・ハリソン
『他人の家』(1949年)
エドワード・G・ロビンソン、
スーザン・ヘイワード
・『三人の妻への手紙』
(1949年)
でアカデミー賞監督賞と脚本賞をダブル受賞。
『三人の妻への手紙』
(1949年)
リンダ・ダーネル
、アン・サザーン、
ジーン・クレイン
『三人の妻への手紙』撮影時
ジーン・クレインと
『三人の妻への手紙』撮影時
リンダ・ダーネルと
『三人の妻への手紙』撮影時
アン・サザーンと
(右の写真)
オスカー像を手にするマンキーウィッツ監督
当時の妻で、『王国の鍵』等に出演した女優のローズ・ストラドナーと
・
『イヴの総て』
(1950年)
がアカデミー賞歴代最多の14部門でノミネートされ、作品賞等6部門で受賞。マンキーウィッツは監督賞と脚色賞をダブル受賞し、2年間で4つのオスカーを獲得した唯一の人物という偉業を成し遂げた。尚、この年は、
リチャード・ウィドマーク
主演の『復讐鬼』で脚本賞にもノミネートされていた。
『イヴの総て』(1950年)
アン・バクスター
、
ベティ・デイビス
『イヴの総て』撮影時
主演のベティ・デイビスと
・スパイ映画『五本の指』
(1952年)
で3度目のアカデミー賞監督賞候補に。その後、20世紀FOX社を離れ、ブロードウェイで舞台の演出を目指したが断念。
『五本の指』(1952年)
ジェームズ・メーソン
、
ダニエル・ダリュー
『五本の指』撮影時
ジェームズ・メーソン(中央)、ダニエル・ダリューと
・MGM社で史劇『ジュリアス・シーザー』
(1953年)
、UA社でハリウッドの内幕を描いた『裸足の伯爵夫人』
(1954年)
、サミュエル・ゴールドウィン社でミュージカル『野郎どもと女たち』
(1955年)
を撮った。
『ジュリアス・シーザー』
(1953年)
マーロン・ブランド
『ジュリアス・シーザー』
撮影時
マーロン・ブランド(左)と
『裸足の伯爵夫人』
(1954年)
エヴァ・ガードナー
、
ハンフリー・ボガート
『裸足の伯爵夫人』
撮影時
エヴァ・ガードナーと
『野郎どもと女たち』(1955年)
マーロン・ブランド、
ジーン・シモンズ
『野郎どもと女たち』撮影時
ジーン・シモンズと
・古巣の20世紀FOX社で、『静かなアメリカ人』
(1958年)
、『去年の夏 突然に』
(1959年)
を監督。
『去年の夏 突然に』
(1959年)
エリザベス・テイラー
、
モンゴメリー・クリフト
『去年の夏 突然に』撮影時
キャサリン・ヘップバーン
と
・撮影途中で解任された
ルーベン・マムーリアン
に代って『クレオパトラ』
(1963年)
を監督。主演のエリザベス・テイラーの病気療養など様々なトラブルに見舞われ、歴史的な失敗作となってしまった。
『クレオパトラ』
(1963年)
リチャード・バートン
、エリザベス・テイラー
『クレオパトラ』撮影時
エリザベス・テイラー、リチャード・バートン(右)と
・『クレオパトラ』の失敗で厳しい立場に追い込まれた。独立プロでサスペンス映画『三人の女性への招待状』
(1967年)
を監督し、ワーナーブラザーズ社でウエスタン・コメディ『大脱獄』
(1970年)
を製作・監督。
『三人の女性への招待状』
(1967年)
スーザン・ヘイワード
『三人の女性への招待状』
撮影時
クリフ・ロバートソン(左)、
レックス・ハリソン
(中央)と
『大脱獄』
(1970年)
カーク・ダグラス
、
ヘンリー・フォンダ
『大脱獄』撮影時
カーク・ダグラス(右)と
・サスペンスの秀作『探偵スルース』
(1972年)
で20年ぶり4度目のアカデミー賞監督賞候補となり、復活を印象づけたが、これが最後の作品となった。
『探偵スルース』
(1972年)
ローレンス・オリヴィエ
、マイケル・ケイン
『探偵スルース』
撮影時
ローレンス・オリヴィエ(左)、マイケル・ケイン(中央)と
・政治的にはリベラル派として知られ、ハリウッドが
‟赤狩り”
に揺れていた1950年に映画監督組合の理事長に就任。保守派の重鎮
セシル・B・デミル
と対立し、解任させられそうになった事も。
(左の写真)『クレオパトラ』撮影時。
・
1993年
、
83歳
で他界。
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