20世紀・シネマ・パラダ イス
リチャード・ウィドマーク
Richard Widmark
1914-2008(アメリカ)
◆
代表作
死の接吻
Kiss of Death
(1947年/アメリカ)
ニュールンベルグ裁判
Judgement at Nuremberg
(1961年/アメリカ)
シャイアン
Cheyenne Autumn
(1964年/アメリカ)
刑事マディガン
Madigan
(1968年/アメリカ)
◆
個性派俳優として息長く活躍
・
1914年
、ミネソタ州で生れたが、父親の仕事の関係で度々引っ越していた。イリノイ州のレイク・フォレスト大学在学中に演劇に熱中し、卒業後、同校で弁論、演劇の講師を務めていた。
・1938年、俳優を志し、ニューヨークへ出立。ラジオドラマの声優を経て、1943年にブロードウェイ・デビュー。鼓膜に難があったため兵役を免除され、大戦中も舞台に出演していた。
・オーディションに合格し、フィルム・ノワール作『死の接吻』
(1947年/監督:
ヘンリー・ハサウェイ
)
で銀幕デビュー。車椅子の女性を階段から突き落とす冷酷な殺し屋を演じ、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
『死の接吻』(1947年)
ミルドレッド・ダンノックと
『廃墟の群盗』(1948年)
グレゴリー・ペック
(右)と
・初の主演作は5作目の『海の男』
(1949年)
。悪役、敵役のイメージが強いが、『暗黒の恐怖』
(1950年/監督:
エリア・カザン
)
等では主役の善玉を演じた。
『暗黒の恐怖』(1950年)
『ノックは無用』(1952年)
マリリン・モンロー
と
・西部劇にも数多く出演。人気スターが演じるヒーローと対峙した時に、彼の魅力が発揮されたと言える。
『悪の花園』(1954年/監督:ヘンリー・ハサウェイ)
ゲーリー・クーパー
(左)と
『折れた槍』(1954年)
スペンサー・トレイシー
(中央)、ロバート・ワグナー(右)と
『蜘蛛の巣』(1955年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
ローレン・バコール
と
『ゴーストタウンの決斗』
(1958年/監督:
ジョン・スタージェス
)
ロバート・テイラー
(右)と
『アラモ』(1960年/監督:
ジョン・ウェイン
)
ジョン・ウェイン(右)と
『馬上の二人』(1961年/監督:
ジョン・フォード
)
ジェームズ・ステュアート
(右)と
・デビュー作『死の接吻』以後、アカデミー賞にノミネートされることは無かったが、アメリカの検察官を演じた『ニュールンベルグ裁判』
(1961年/監督:
スタンリー・クレイマー
)
、先住民討伐の職務に苦悩する大尉を演じた『シャイアン』
(1964年/監督:ジョン・フォード)
等、オスカー候補となってもおかしくない名演技を披露した。
『ニュールンベルグ裁判』(1961年)
マクシミリアン・シェル(左)と
『シャイアン』(1964年)
・『刑事マディガン』
(1968年/監督:ドン・シーゲル)
が好評を博し、彼が演じたマディガン刑事が主人公のTVドラマ・シリーズも製作
(1972〜1973年)
された。日本でも「鬼刑事マディガン」のタイトルで放送された。
『刑事マディガン』(1968年)
『オリエント急行殺人事件』(1974年)
・『合衆国最後の日』、『ジェット・ローラー・コースター』
(1977年)
、『スウォーム』
(1978年)
、『カリブの熱い夜』
(1984年)
等に出演。『トゥルー・カラーズ』
(2001年)
に出演したのが最後となった。
・私生活では、大学時代に知り合った女性と結婚し、彼女が1997年に亡くなるまで連れ添った。1人娘は、大リーグでサイ・ヤング賞を3度も受賞した名投手サンフォード・コーファックス
(ドジャース)
と結婚
していた
(1969〜1982年離婚)
。
・1999年、85歳の時に、5作品で共演した
ヘンリー・フォンダ
の3人目の妻
(1950〜1956年)
だった女性と再婚して話題になった。
*
『ワーロック』(1959年)、
『西部開拓史』
(1962年)、『刑事マディガン』(1968年)、『ジェット・ローラー・コースター』(1977年)、『スウォーム』(1978年)の5作品でヘンリー・フォンダと共演。
・
2008年
、
93歳
で他界。
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