・1948年、コロンビア社と契約し、『Ladies of the Chorus』に準主役で出演。マリリンが初めて歌声を披露したミュージカル作品だったが全く評判にならず、コロンビア社との契約も打ち切られてしまった。女優を続けるためタレント・エージェントと契約。生活費を稼ぐためヌード写真のモデルにもなった。
(右の写真)『Ladies of the Chorus』 アデル・ジャーゲンス(左)と
* 『Ladies of the Chorus』 … 1952年に再公開された際、クレジット表記がマリリン主役に書き変えられた。
・亡くなる前は、未完成に終わった『Something's Got to Give』の撮影に臨んでいた。「マリリン・モンロー・プロダクション」と20世紀FOX社とのタイアップ作で、監督はジョージ・キューカー、共演はディーン・マーティンだった。体調不良により度々撮影に穴を空け、1度は20世紀FOX社から解雇を通告されていたが、監督の交代などマリリンの要望を受け入れ、撮影の再開が決まっていたが…。(左の写真)『Something's Got to Give』