20世紀・シネマ・パラダ
イス
お熱いのがお好き
Some Like It Hot
監督:ビリー・ワイルダー
(1959年/アメリカ)
◆ 笑えるアメリカ映画No.1に
1929年、禁酒法時代のシカゴ。闇のナイトクラブに警察の手入れが入り、サックス奏者のジョー とベース奏者のジェリー は失職してし
まった。2月14日、聖バレンタインの日。2人はエージェントを訪ね歩き、漸く仕事にありついた。
ジョーとジェリーは駐車場でギャングのボス・ス
パッツの一味が対立するギャング団を 虐殺するところを目撃してしまった。2人は命からがら逃げ出したが、顔を見られ、命を狙われることとなってしまった…。
ジョーとジェリーはシカゴから脱出するため、女装をしてマイアミへ向かう女性楽団に潜り込
んだ。
ジョーはジョセフィン 、ジェ
リーはダフネ と名乗った。楽団員は若い娘ばかり。ダフネ 「最高だぜ、ここは
」。
ダフネのブラが外れ、2人が化粧室 (女性用) へ入ると、歌手兼ウクレレ奏者のシュガーが 禁止されている酒を隠れて飲んでい
た。
汽車の中で演奏のレッスンが始まった。シュガーが酒のボトルを落とし、マネージャーに見つ
かってしまったが、ダフネが助けてあげた。
夜中。シュガーがダフネの寝床にお礼を言いに来た。ダフネは好機到来とばかりに酒盛りを始
めたが、他の娘たちも集まって来て、ダフネの寝床はパーティー会場になってしまった。
ダフネの下で寝ていたジョセフィンも目を覚ました。シュガーはマイアミで百万長者の結婚相
手を見つけるつもりだと語った。「メガネをかけているわ…。経済新聞を読んで目を悪くしたのよ… 」。
マイアミのホテルに着いた。ダフネはオズグッ
ド3世 という大金持ちの御曹司に惚れられ、猛アタックを受けた。
ジョーはシェル石油の御曹司ジュニア になりすまし、シュガーの気を引くことに成功した。
ショーが終了すると、ジョーはオズグッド3世のヨットを無断で借用し、ジュニアとしてシュ
ガーとデート。不感症だと称し、治療のキスを何度も施された。一方、ダフネはオズグッド3世と夜通しでタンゴを踊りまくった。
ジュニアとシュガーは朝までアバンチュール。ジョーがホテルの部屋に戻ると、ダフネが1人
で浮かれていた。聞けば、オズグッド3世と婚約したと言う。「玉の輿に乗ったぜ 」。
ホテルでギャングの集会が開催される段となり、シカゴからスパッツの一味が乗り込んで来
た。ジョーはジュニアとしてシュガーに電話をかけ、別れを告げた。
ジョーとジェリーはスパッツの一味に見つかってしまい、ホテル中を逃げ回った。ギャングの
集会が始まり、スパッツの一味は大親分によって抹殺された。その場に居合わせたジョーとジュリーは、今度は大親分の一味に狙われることとなってしまった
が…。
『お熱いのがお好き』 予告編動画
VIDEO
◆ 主な出演者など
ジョー、ジョセフィン、ジュニア役 …
トニー・カーティス Tony Curtis
ジェリー、ダフネ役 … ジャッ
ク・レモン Jack Lemmon
シュガー役 … マリリン・
モンロー Marilyn Monroe
スパッツ役 … ジョージ・ラフト George Raft
オズグッド3世役 … ジョー・E・ブラウン Joe E. Brown
・フランス映画 『Fanfare d'amour 』 (1935年) 及びそのリメイク作 『Fanfaren der Liebe 』 (1951年/西ドイツ) を元に、ビリー・ワイルダー監督とI・A・L・ダイアモンドが脚本を執筆。
1929年2月14日にシカゴで実際に起きた聖バレンタインデーの虐殺を盛り込んだのは、ワイルダー監督のアイデアだったという。
(右の写真) 左から、ビリー・ワイルダー監督、トニー・カーティス、ジャック・レモン
・ジョー役は第1候補のトニー・カーティスに決まったが、ジェリー役はフランク・シナトラ が興味を示さず、ジェリー・ルイス に打診されたが、彼が辞退したためジャック・レモンが起用された。レモンは
ルイスに感謝し、ルイスは辞退したことを後悔したという。
(左の写真) 左から、ジャック・レモン、マリリン・モンロー、ビリー・ワイルダー監督
・当時のジャック・レモンはまだ観客を呼べる程のスターではなかったので、配給するユナイ
テッド・アーチスツ社は難色を示していた。しかし、シュガー役 (当初の候補はミッツィー・ゲイナーだった)
にマリリン・モンローの起用が決まったため、ジャック・レモンの起用も問題が無くなったという。
(右の写真) 左から、トニー・カーティス、マリリン・モンロー、ビリー・ワイルダー監督
・当初はカラーで撮影される予定だったが、トニー・カーティスとジャック・レモンの化粧が
カラー映えしないため白黒に切り替えられた。そのため、マリリン・モンローはひどく落胆したが、ラッシュフィルムを観て同意したという。
< 『お熱いのがお好き』 カラー・ギャラリー >
(左の写真) トニー・カーティス(左) と ジャック・レモン
・マリリン・モンローはドラッグの影響で情緒不安定だったため、遅刻をするわ、台詞を間違
えるわ、等々、トラブル・メーカーだったらしいが、最終的には見事なパフォーマンスを披露した。
トニー・カーティスが 「ヒトラーとキスしたようなもの 」 と発言したというデマが流れたが、本人はキッパリと否定している。
(右の写真) ビリー・ワイルダー監督 と マリリン・モンロー
・アカデミー賞の監督賞、主演男優賞 (ジャック・レ
モン) 、脚色賞、撮影賞(白黒部門) 、美術監督・装置賞(白
黒部門) 、衣装デザイン賞(白黒部門) の6部門でノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞し
た。
・2000年、AFI (アメリカ映画協会) が選定した 「笑えるアメリカ映画ベスト100」 で第1位に。
◆ ピックアップ … ジョージ・ラフト、ジョー・E・ブラウン
George Raft
1901-1980 (アメリカ)
・ニューヨーク生れ。マイナーリーグの野球選手を経て、プロのダンサーとなり、ブロードウェイの舞台にも立った。
ハリウッドへ移り、1929年に銀幕デビュー。大ヒットした 『暗黒街の顔役』 (1932年/監督:ハワード・ホークス ) で人気スターとなり、『ボレロ』 (1934年) 、『海の魂』 (1937年/監督:ヘンリー・ハサウェイ ) といったヒット作品に出演した。
・
ベンジャミン・シーゲル等、大物ギャングたちと幼友達だったことから黒い噂が絶えなかった。全米映画俳優組合がギャングとの関係廃絶を宣言した際、組合の
代表だったジェームズ・キャグニーが脅迫を受けたが、ジョージ・ラフトがギャングとのコネを利用して脅迫を止めさせた、とのエピソードも。
*
ベンジャミン・シーゲル … ウォーレン・ベイティ主演 『バグジー』(1991年) のモデル
Joe E. Brown
1891-1973 (アメリカ)
・オハイオ州生れ。サーカス芸人からヴォードヴィリアンとなり、1920年にブロードウェイ・デビュー。1928年に銀幕デビューすると喜劇役者として
人気を博し、1930年代は主演映画が何本も製作された。第2次世界大戦中は兵士慰問のショーなどUSO (United Service
Organizations ) の活動に従事し、米軍兵士に授与されるブロンズスター勲章を授与 (民間人では2名だけだった)された。
『ミッキーの名優オンパ
レード』 (1933年) バスター・キートン (左)と
『ブラウンの怪盗手』
(1935年) オリヴィア・デ・ハヴィランド と
『真夏の夜の夢』
(1935年) ジェームズ・キャグニー(左)と
『お熱いのがお好き』
(1959年) ジャック・レモン(右)と
・『お熱いのがお好き』 のラストでの彼の台詞 「Well, nobody's
perfect. なーに、完全な人はいないさ 」 は、AFI (アメリカ映画協会)が2005年に選定した
「アメリカ映画名セリフ・ベスト100」 で第48位に。