20世紀・シネマ・パラダ イス

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Jack_Lemmon

ジャック・レモン

Jack Lemmon

 
1925-2001 (アメリカ )

 

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     代表作
 
Mister_Roberts-3.  ミスタア・ロバーツ
 Mister Roberts
 
(1955年/アメリカ)
Some_Like_It_Hot
 お熱いのがお好き
 Some Like It Hot
 (1959年/アメリカ)
The_Apartment
 アパートの鍵貸します
 The Apartment
 (1960年/アメリカ)
Days_of_Wine_and_Roses
 酒とバラの日々
 Days of Wine and Roses
 (1962年/アメリカ)
Save_the_Tiger
 セイヴ・ザ・タイガー
 Save the Tiger
 (1973年/アメリカ)
The_China_Syndrome
 チャイナ・シンドローム
 The China Syndrome
 (1979年/アメリカ)
Missing
 ミッシング
 Missing
 (1982年/アメリカ)
Glengarry_Glen_Ross
 摩天楼を夢みて
 Glengarry Glen Ross
 (1992年/アメリカ)

     ◆  ハーバード大からハリウッドへ

 ・1925年、マサチューセッツ州にて、病院のエレベーターの中で生まれた (8ヶ月の早産だった)。本名は John Uhler Lemmon V 。父親はドーナッツ会社の社長だった。
 子供の頃は病弱で、12歳になる迄に通算すると2年間は病院で暮らしていた。
 名門ハーバード大学に進学し、演劇クラブに加入。大学の規則で禁じられていた学外の劇場に ‟ ティモシー・オレンジ ” の偽名で出演していた、とのエピソードも。
 (右の写真) 幼い頃のジャック・レモン
Jack_Lemmon-4

Jack_Lemmon-5
 ・ハーバード大学では化学を専攻。「マティーニの中でオリーブに置き換えられてしまったアルコールの経済的帰結」 という論文を執筆。マティーニの中にオリーヴを入れた分、バーテンダーが稼いでいる事を化学的に証明した?ユニークな内容で、及第点を貰ったという。
 また、在学中の1年間 (1945〜46年)は海軍の大学研修プログラムに参加し、少尉として兵役に就いた。(左の写真) 子供の頃のジャック・レモン

 ・1947年、大学を卒業し、ニューヨークへ出立。昼は有名な演劇学校HBスタジオで学び、夜はバーで司会者、ピアノの演奏者として働いていた。ピアノは独学でマスターしたという。その後、ラジオ・ドラマでキャリアをスタートさせ、1948年、TVに初出演し、ジェーン・ワイマン主演の 『嘘クラブの女王』 (1949年/監督:マイケル・カーティスにエキストラとして出演。銀幕デビューも果たした。
 (右の写真) 1947年当時のジャック・レモン
Jack_Lemmon_at_the_Old_Knick_Club

Cynthia_Stone
 ・1950年、女優のシンシア・ストーンと結婚。TV番組 「That Wonderful Guy (1949年) で共演したことがきっかけだった。
 TV番組 「Heaven for Betsy(1952年) では夫婦で共演し、1954年には長男クリスを授かったが、1956年に離婚した。
 彼女の2番目の夫はクリフ・ロバートソン (3年で離婚)
 (左の写真) TV 「Heaven for Betsy 」 出演時。シンシア・ストーンと
  * クリフ・ロバートソン … 『まごころを君に』 (1968年) でアカデミー賞主演男優賞を受賞。『ピクニック』 (1955年)、
   『スパイダーマン』 (2002年) のシリーズ等に出演。


 ・1953年、舞台劇 「Room Service (1953年) でブロードウェイ・デビュー。同作はさして評判にならず2週間程で終了したが、ジャックの演技はコロンビア社のスカウトマンの目に留まり、同社と契約を交わした。

 ・コロンビア社の社長ハリー・コーンから、‟レモン” を ‟レノン” に変えるように打診されたが、「レーニンと聞き間違えられたらコミュニストだと思われてしまう 」 と言って断ったという。
 ジュディ・ホリディ主演の 『有名になる方法教えます』 (1954年/監督:ジョージ・キューカーで本格的な銀幕デビュー。時にジャック・レモン29歳。
 (右の写真) 『有名になる方法教えます』 ジュディ・ホリディと
It_Shoul_Happen_to_You

Jack_Lemmon_Oscar
 ・『ミスタア・ロバーツ』 (1955年/監督:ジョン・フォード他) でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
  (左の写真) オスカー像を手にするジャック・レモン

 ・『お熱いのがお好き』 (1959年/監督:ビリー・ワイルダー でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。オスカーは逃したが、ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)、英アカデミー賞の主演男優賞 (国外部門) を受賞。
 恩師ビリー・ワイルダー監督は、『Operation Mad Ball (1957年/日本未公開) を観てジャック・レモンの起用を決めた。
 (右の写真) 『お熱いのがお好き』 ジョー・E・ブラウン(左)と
Some_Like_It_Hot

The_Apartment
 ・『アパートの鍵貸します』 (1960年/監督:ビリー・ワイルダー) で2年連続アカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、2年連続でゴールデン・グローブ賞の主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)、英アカデミー賞の主演男優賞 (国外部門) を受賞。
 (左の写真) 『アパートの鍵貸します』 シャーリー・マクレーン

 ・『酒とバラの日々』 (1962年/監督:ブレイク・エドワーズ で3度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。コメディだけでなくシリアスな役柄でも実力を発揮した。
 自ら設立した映画製作会社 「Jalem Productions」 での第1号作品。
 (右の写真) 『酒とバラの日々』  リー・レミックと
Days_of_Wine_and_Roses-2

Felicia_Farr
 ・1962年、女優のフェリシア・ファーと再婚。ジャックの監督作品 『コッチおじさん』 (1971年) に出演もした。
 1969年に長女のコートニーを授かり、ジャックが亡くなるまで連れ添った。
 (左の写真) フェリシア・ファーと

 ・『恋人よ帰れ!わが胸に』 (1966年/監督:ビリー・ワイルダー) で初共演したウォルター・マッソーとは人気コンビとなり、合計10作品で共演。ジャック・レモンの唯一の監督作品 『コッチおじさん』 (1971年) ではマッソーが主役を務め、オスカー候補にもなった。
 『お熱い夜をあなたに』 (1972年/監督:ビリー・ワイルダー)で3度目のゴールデン・グローブ賞の主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) を受賞。
Irma_la_Douce The_Great_Race
『あなただけ今晩は』 (1963年/監督:ビリー・ワイルダー)
シャーリー・マクレーンと
『グレート・レース』 (1965年/監督:ブレイク・エドワーズ)
トニー・カーティス(左)、ナタリー・ウッド
The_Fortune_Cookie Avanti!
『恋人よ帰れ!わが胸に』 (1966年)
ウォルター・マッソー(右)と
『お熱い夜をあなたに』 (1972年)
ジュリエット・ミルズと

 ・アカデミー賞授賞式の司会を4回 (1958、64、72、85年) 務め、偉大なチャップリンに名誉賞を贈呈する大役を果たした。
 また、チャップリンの伝記映画 『放浪紳士 チャーリー』 (1975年)で、ローレンス・オリヴィエ、ウォルター・マッソーと共にナレーターを務めた。
 (右の写真) 1972年のアカデミー賞授賞式。チャップリン(右)と
Jack_Lemmon_&_Chaplin

Jack_Lemmon_Oscar-2
 ・『セイヴ・ザ・タイガー』 (1973年/監督:ジョン・G・アヴィルドセン) でアカデミー賞主演男優賞を受賞。
 アカデミー賞の助演賞と主演賞の両方を受賞した最初の男優となった。  (女優ではヘレン・ヘイズが3年前に達成していた)
 (左の写真) オスカー像を手にするジャック・レモン

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 アカデミー賞授賞式。プレゼンターはグレゴリー・ペックとライザ・ミネリ。


The_Front_Page
Airport'77
『フロント・ページ』 (1974年/監督:ビリー・ワイルダー)
ウォルター・マッソー(左)と

『エアポート'77 / バミューダからの脱出』 (1977年)
ジェームズ・ステュアート(右)と


 ・『チャイナ・シンドローム』 (1979年) で5度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。3度目の英アカデミー賞主演男優賞、カンヌ国際映画祭男優賞を受賞。
 『マイ・ハート マイ・ラブ』 (1980年) で6度目のアカデミー賞主演男優賞候補に。ベルリン国際映画祭の銀熊賞(男優賞) を受賞。 
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Tribute
『チャイナ・シンドローム』 (1979年)
ジェーン・フォンダと

『マイ・ハート マイ・ラブ』 (1980年)
リー・レミックと

 ・ビリー・ワイルダー監督との7作目 『バディ・バディ』 (1981年) は、同監督の最後の作品となった。
 『ミッシング』 (1982年/監督:コスタ=ガヴラス) でアカデミー賞主演男優賞に7度目のノミネーション。2度目のカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。
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『バディ・バディ』 (1981年)
ウォルター・マッソー(右)と

『ミッシング』 (1982年)
シシー・スペイセクと


 ・『摩天楼を夢みて』 (1992年) でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞。カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの3大国際映画祭の演技賞を全て受賞するという偉業を最初に達成した。
  * 3大国際映画祭の演技賞受賞 … ジュリアン・ムーア、ショーン・ペン、ジュリエット・ビノシュが達成。
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Glengarry_Glen_Ross-2.
『マカロニ』 (1985年)
マルチェロ・マストロヤンニ(右)と

『摩天楼を夢みて』 (1992年)
ケヴィン・スペイシー(左)と


 ・ロバート・レッドフォードが監督した 『バガー・ヴァンスの伝説』 (2000年) が最後の作品となった。
The_Odd_Couple_II
The_Legend_of_Bagger_Vance
『おかしな二人2』 (1998年)
ウォルター・マッソー(右)と

『バガー・ヴァンスの伝説』 (2000年)

 ・1998年、AFI (アメリカ映画協会) の生涯功労賞
 ・1989年、全米映画俳優組合賞の生涯功労賞
 ・1991年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞
 ・1995年、ハーバード大学の芸術メダル (Arts First) … 最初の受賞者
 ・1996年、ベルリン国際映画祭の名誉金熊賞、等々の名誉を授かった。
  (右の写真) ビリー・ワイルダー監督(中央)、ウォルター・マッソー(左)と
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 ・2001年76歳で他界。墓石には 「Jack Lemmon in 」 と刻まれている。

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