20世紀・シネマ・パラダイス
伝説の映画製作者たち
1930〜1940年代のハリウッドの映画スタジオ
ビッグ5 … パラマウント、MGM、20世紀FOX、ワーナー・ブラザース、RKO
リトル3 … ユニヴァーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーチスツ
更に小規模なリパブリックや、独立系の製作会社があった。
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コロンビア社 ・1920年、ジャックとハリーのコーン兄弟とジョー・ブラントの3人がCBC映画販売社を設立。
・1924年、コロンビア社に社名変更。
〜 現在のソニー・ピクチャーズ社。 | |
| ハリー・コーン 1891-1958年
・1908年、ニューヨークの広告代理店に勤務していた兄のジャック・コーンが、カール・レムリの映画配給会社レムリ・フィルム・サービスに入社。翌年、レムリが映画製作会社IMP社を設立すると、ジャックはニュース映画の製作に携わるようになった。
その頃、弟のハリーは路面電車の車掌や楽譜の印刷・出版会社の営業などに従事していた。 (左の写真)ハリー・コーン
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・1912年、IMP社が他社と合併してユニヴァーサル社となった頃、ハリーも同社に入社した。 |
・1920年、ジャックとハリーのコーン兄弟は、ユニヴァーサル社で同僚だったジョー・ブラントと一緒に映画製作会社を設立。コーン兄弟のCとブラントのBを
併せてCBC映画販売社と名付けた。
ジョー・ブラントが社長に就任し、ジャックはニューヨークで財務を担当、ハリーはハリウッドで製作を担当した。
(右の写真)ジャック・コーン(左)、ハリー・コーン |
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Jack Cohn
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Joe Brandt
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Harry Cohn
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・CBC映画販売社は低予算の作品ばかり製作していたので、「Corned Beef and Cabbage - コーン・ビーフとキャベツ」と陰口を叩かれていた。 |
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1924年、コロンビア社に社名変更。コロンビアは「コロンブスの地」という意味で、アメリカ国家の別名とされている。星条旗を身に纏った女性=コロンビアと
いうアメリカ国家を擬人化したキャラクターも古くから存在していた。コロンビアがトーチを掲げた同社のトレード・マークは1926年から登場した。
(左の写真)第1次世界大戦時のポスターに描かれたコロンビア
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・1932年、ハリーがブラントの持ち株を買い取り、新社長に就任。ブラントは、不仲だったコーン兄弟の仲裁役であることに嫌気がさして去ったとも言われている。 |
・長らく二流のスタジオだったコロンビア社だが、フランク・キャプラ監督の活躍で、1930年代には一流のスタジオの仲間入りを果たした。
(右の写真)ハリー・コーン(左) 、フランク・キャプラ
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・ハリー・コーンは暴君として悪評の高い経営者だった。スタジオには盗聴器が仕掛けてあって、従業員の言動をチェックしていたとか。
「キング・コーン」、「ハリー・ザ・ホラー」といったあだ名が付けられたが、本人は従業員から恐れられることを歓迎していたフシもあったという。ハリー・
コーンの強力なリーダーシップのもと、同社は彼が亡くなるまで一度も赤字に陥ることがなかった。38年間の連続黒字は当時のハリウッドのスタジオの最長記
録である。
(左の写真)コロンビア社の看板スターだったリタ・ヘイワースとハリー・コーン |
・1956年、ジャック・コーンが他界。1958年、ハリー・コーンが心臓発作により急死した。 |
| 第23回(1950年度)まで、作品賞のオスカー像は製作会社の代表者に贈呈されていた。
その間にコロンビア社がオスカー像を獲得した作品は3作品。
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第22回
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『オール・ザ・キングスメン』(1949年)
ブロデリック・クロフォード、マーセデス・マッケンブリッジ
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