・1906年2月、全財産3,600ドルをはたいて空ビルを買収。「ホワイト・フロント・シアター」と名付けたニッケルオデオンで映画興行業に乗り出した。39歳の時である。
・当時のニッケルオデオンは観客の大半が労働者階級で、見世物小屋やストリップ劇場と同等のちょっといかがわしげな娯楽施設だった。レムリは女性客を呼び込むために劇場を
常に清潔であるように努め、他との差別化を図った。その結果、投資金額を僅か1ケ月で回収し、翌月には第2の劇場「ファミリー・シアター」を開設した。
・1906年11月、配給会社レムリ・フィルム・サービスを設立。発明王エジソン率いるMPPC(通称エジソン・トラスト/1908年結成)との闘争を経て、数年後には全米一の配給会社となった。 |