20世紀・シネマ・パラダ
イス
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西部戦線異状なし
All Quiet on the
Western Front
監督:ルイス・マイルストーン
(1930年/アメリカ)
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◆ アカデ
ミー賞を受賞した反戦映画の古典的名作
第1次世界大戦下のドイツ。とある学校の教室で、老教師が生徒に愛国心を説き、軍への入隊
を勧めていた。
「祖国のために死ぬ事の、何と甘き事か」(古代ローマ兵の言葉)
「今は祖国が諸君を求めている 」 |
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教師から返答を迫られ、「行きます」
と答えたのは、クラスのリーダー格で将来を嘱望されている作家志望
のポール・バウマー。
老教師は大満足だ。 |
祖国の英雄となることを夢見て、クラスの全員が軍へ志願した…。 |
新兵訓練校の教官は顔馴染みのヒンメルストー
スだった。故郷の町では陽気な郵便配達夫だったが、鬼教官に豹変していたヒンメルストースは、新兵たちを執拗なまでにしごき抜いた。
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訓練校での最後の夜。ポールたちは、酒に酔って帰ってきたヒンメ
ルストースを待ち伏せし、袋叩きにして意趣返しをした。 |
前線での最初の食事中、鉄条網施設の命令が出て出動した。道中、古参兵のカチンスキーが、戦場での心得を新兵たちに教授した。
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現場での作業中に敵軍の攻撃を受け、学友のベームが戦死した。
その後、ポールたちの部隊は次の戦地へ移動した。
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部隊は一旦後方へ。ポールたちは、自由時間を利用し、負傷した学友のケメリックを見舞いに野戦病院へ訪れたが、ケメリックは間もなく息を引き取ってしまった。
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ポールたちは再び前線へ赴いた。学友たちは1人、また1人と戦死していき、前線に派遣され
たヒンメルストースも戦場で命を落とした。
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前進・後退を繰り返す激しい銃撃戦の最中、ポールは砲弾穴へ倒れ込んでしまった。敵兵が頭
上を飛び越えていく中、1人の敵兵が落ちて来た。ポールは手にしていたナイフでそのフランス兵を刺した。
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フランス兵は致命傷を負い、もはや身動きが取れず、口も利けない。ポールは彼のうめき声に
悩まされた。数時間後、フランス兵は息絶えた。
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ポールはフランス兵の死体に語り掛けた。「銃と軍服さえなければ友人になれたのに…」。
フランス兵のポケットから妻子の写真が出てきた。「奥さんに手紙を書く。困ったら助けてやる。だから許してくれ」。ポールは泣き崩れた…。
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夜になり、銃撃戦が止んだ。ポールは砲弾穴から抜け出し、部隊へ
戻ることが出来た。
心に痛手を負ったポールを慰めたのは、古参兵のカチンスキーだった。
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部隊は後方へ下がり、一時の休暇を楽しんだ。ポールたちはパンを手土産にフランス人の娘た
ちの元へ。
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ポールは次の戦線へ向かう途中に負傷
し、病院へ収容された。一緒に収容された学友のアルバートは足を切断した。
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回復したポールは休暇を与えられ、3年ぶりに故郷へ。病気の母親とも再会することが出来
た。
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父親やその知人たちから帰還を祝福されたが、戦地の実情を知らぬ彼等との間に、ポールは強
い違和感を感じた。
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母校を訪れると、3年前と同じように老教師が生徒たちに入隊を勧めていた。生徒たちはポー
ルのことを「祖国の英雄」として憧れの眼差しで見つめている。 老教師 「祖国に尽くす事の意味を話しくれ 」 ポー
ル 「塹壕で暮らし、戦うだけ。死ぬ時がくれば、死ぬだけだ 」。
「死は惨めで恐ろしい。何百万人もの死は無意味だ 」。
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故郷の人々が、3年前と何ら変わっていないことに失望したポールは、残り4日ある休暇を切
り上げ、戦地へ戻ることを決意した。
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母親には心配を掛けぬように、「命令が変わったから、明日
発つ」
と告げた。泣き出したい気持ちを必死に抑えていたポールは、夜、ベッドで涙した。
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部隊へ戻ってみると、まだ子供のような補充兵たちが配属されていた。
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落ち込んでいたポールは、食糧を確保しに出かけ
ていたカチンスキーと再会し、慰められた。
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部隊へ戻る道中で空爆に遭い、カチンスキーが足を負傷した。彼を肩に担ぎながら、「戦
争が終わったら、一緒に仕事をしよう」と話し掛けるポール。しかし、カチンスキーは、2度目の空爆の際に爆弾の破片を頭部に受け、既に落命してい
た。
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ポールは再び西部戦線の塹壕に戻った。銃撃戦も小休止し、誰かが吹くハーモニカの音色が聞
こえてくる。塹壕の外を見ると、大好きな蝶が手の届く所に停まっている。蝶を捕まえようと塹壕から身を乗り出し、手を伸ばすポール…。
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『西部戦線異状なし』 予告編
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◆ 主な出演者など
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ポール役
リュー・エアーズ Lew Ayres
カチンスキー役
ルイス・ウォルハイム Louis Wolheim
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・原作は、ドイツ人作家エーリッヒ・マリア・レマルクが1929年に発表した大ベストセ
ラー小説。当初、レマルク(当時32歳)がポール役の候補でもあったが、本人が辞退した。レマルクはナチ
ス政権下で国籍を剥奪され、1939年にアメリカへ亡命。1958年にポーレット・
ゴダードと結婚した。
(右の写真)ユニヴァーサル社のカー
ル・レムリ(左)とエーリッヒ・マリア・レマルク |
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・従来はB級(低予算)映画が中心だったユニヴァーサル社が莫大な製作費を投入。塹壕小屋
の中や、戦場のシーンは臨場感溢れる異色の出来栄えとなっている。
兵士役として延べ2000人のエキストラが雇われたが、その大半は退役軍人であり、当時は不況で、その多くが失業者だったという。 |
・口の利けなくなったフランス兵を演じたレイモンド・グリフィスは、子供の頃の病気で本当
に声を失っていた。
サイレント期にはコメディアンとして活躍していたが、トーキーの時代になり、本作を最後に俳優業からは引退。その後は脚本家、製作者として活動し、20
世紀ピクチャーズ社(20世紀FOX社の前身)の設立にも携わった。
(右の写真)リュー・エアーズ(左)とレイモンド・グリフィス
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・当初、母親役はザス・ピッツが演じていたが、彼女は喜劇を中心に活動していたため、ス
ニーク・プレヴュー(覆面試写会)の時に彼女が画面に映ると観客から笑いが起った。その為、ベリル・マーサーで撮影し直された。
(左の写真)ザス・ピッツとリュー・エアーズ
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・映画は大ヒットし、第3回アカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞。作品賞のプレゼンター、ルイス・B・メイヤーは、「本作は、ノーベル平和賞を受賞するのでは?と囁かれている」と受賞
を称えた。ルイス・マイルストーン監督は、『美人国二人行脚』(1927年)で第1回アカデミー賞のコメディ監督賞を受賞しており、2度目の栄冠に輝いた。
(右の写真)ルイス・マイルストーン監督(左)、ヒンメルストース役のジョン・レイ(中央) |
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・AFI (アメリカ映画協会)が、1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第54位にランクイン。2008年に選定したジャンル別ベスト10の「歴史劇映画」で第7位にランクインし
た。 |
◆ ピック・アップ … リュー・エアーズ
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Lew Ayres 1908-1996
(アメリカ)
・俳優としてデビューする前は、ビッグバンドでバンジョーやギターを演奏していた。
・1929年に銀幕デビューし、3作目の『接吻』(1929年/監督:ジャック・フェーデー)で初めて名前がクレジットされ、注目された。
尚、『西部戦線異状なし』では、Lewis Ayresとクレジットされている。
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・台詞監督を務めていたジョー
ジ・キューカーの推薦で、『西部戦線異状なし』
の主役に抜擢された。大役を見事に果たし、以後、多くの作品に主演したが、あまり作品に恵まれなかった。
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・1934年、『恋に賭けるな』で共演したジンジャー・ロジャース
と結婚(再婚同士)したが、1940年に離婚した。
(右の写真)ジンジャー・ロジャースと
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・第2次世界大戦時には、良心的な理由により戦闘行為を拒否し、衛生兵、看護兵としてキャ
ンプ地での活動に従事した。このことにより批判を浴び、彼の出演作品の上映をボイコットする映画館もあったという。退役後、軍人として稼いだ報酬の全額を
赤十字社に寄付した。 |
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・戦後、『ジョニー・ベリンダ』(1948年)で
アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
同作でアカデミー賞主演女優賞を受賞したジェーン・ワイマンと交際していたが、結婚には
至らなかった。
(左の写真)『ジョニー・ベリンダ』 ジェーン・ワイマンと |
・1950年代後半以降はTVを中心に活動。宗教関連のドキュメンタリー映画を製作・監督
しており、その中の1本 『Altars of the World 』(1976年)は
ゴー
ルデン・グローブ賞を受賞している。
・1996年、88歳で他界。 |
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