20世紀・シネマ・パラダイス
クローデット・コルベール
Claudette Colbert
1903-1996 (フランス/アメリカ)
◆
代表作
陽気な中尉さん
The Smiling Lieutenant
(1931年/アメリカ)
或る夜の出来事
It Happened One Night
(1934年/アメリカ)
クレオパトラ
Cleopatra
(1934年/アメリカ)
模倣の人生
Imitation of Life
(1934年/アメリカ)
青髭八人目の妻
Bluebeard's Eighth Wife
(1938年/アメリカ)
君去りし後
Since You Went Away
(1944年/アメリカ)
◆
戦前に大活躍した人気のコメディエンヌ
・
1903年
、フランス生れ。本名は
Émilie Chauchoin
。父親はフランス人で、母親はイギリス人。3歳の時に家族でニューヨークへ移住した。
・ファッション・デザイナーを志し、アート・スクールに通っていたが、あるパーティーで出会った劇作家のアン・モリソンに請われ、ブロードウェイの舞台「
The Wild Westcotts
」
(1923年)
でデビューした。
『力漕一挺身』
(1927年/監督:
フランク・キャプラ
)
で銀幕デビューもしたが、興行的にも失敗作となり、2度と映画には出ないと思ったという。
舞台に戻り、「
The Barker
」
(1927年)
の演技が賞賛され、注目を集めた。
(右の写真)アート・スクール時代のコルベール
・私生活では、「
The Barker
」で共演した舞台俳優のノーマン・フォスターと1928年に結婚したが、1935年に離婚。その4ヶ月後、医師と再婚し、彼が1968年に亡くなるまで連れ添った。
(左の写真)舞台「
The Barker
」ノーマン・フォスターと
・パラマウント社と契約し、『壁の穴』
(1929年)
で銀幕再デビュー。世界大恐慌の煽りで舞台の仕事が減っていたが、映画界はトーキーの時代に入り、台詞の話せる役者を求めていた。
『恋愛四重奏』
(1930年)
では夫婦で共演もし、『陽気な中尉さん』
(1931年/監督:
エルンスト・ルビッチ
)、
『暴君ネロ』
(1932年/監督:
セシル・B・デミル
)
といったヒット作に出演し、人気スターとなった。
『恋愛四重奏』
ノーマン・フォスターと
『陽気な中尉さん』
モーリス・シュヴァリエ
と
『貨物船と女』(1931年)
ゲーリー・クーパー
と
『暴君ネロ』
フレドリック・マーチ
と
・
『或る夜の出来事』
(1934年)
が大ヒットし、彼女の人気は決定的なものとなった。
コロンビア社からオファーを受けた時は旅行へ行く予定であり、しかも監督が失敗作となった『力漕一挺身』のフランク・キャプラ。断るつもりで高額のギャラと撮影期間は4週間という条件を出したが、これが受け入れられたため出演したという。
(右の写真)『或る夜の出来事』
クラーク・ゲーブル
と
・撮影後、コルベールは知人に、「
最悪の映画を撮ってきた
」と不満を漏らしていたという。
アカデミー賞主演女優賞の候補になったものの、受賞できる訳がないと思っていた彼女は、旅先に向かう鉄道の駅で受賞を知らされ、急遽タクシーで授賞式 会場へ駆けつけた。
(左の写真)プレゼンターの
シャーリー・テンプル
と
「
嬉しくて泣きたいが、時間がない。外でタクシーがエンジンをかけたまま待っているので
」とスピーチをして会場を笑わせた後、 キャプラ監督のもとへ行き、感謝の言葉を伝えたという。
(右の写真)シャーリー・テンプルと
・1934年は、大作史劇『クレオパトラ』
(監督:セシル・B・デミル)
、人種問題を題材にした『模倣の人生』
(監督:ジョン・M・スタール)
も大ヒットし、大躍進の年となった。
『クレオパトラ』
『模倣の人生』
ウォーレン・ウィリアムと
・コメディもシリアスもこなせる確かな演技力。アカデミー賞を受賞したこともあり、ギャラは10倍近くに跳ね上がり、最高給女優の1人となった。その後も、『白い友情』
(1935年)
と『君去りし後』
(1944年)
で、2度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
『白い友情』
シャルル・ボワイエ
と
『青髭八人目の妻』
(1938年)
ゲーリー・クーパーと
『モホークの太鼓』(1939年/監督
:ジョン・フォード
)
ヘンリー・フォンダ
と
『ブーム・タウン』 (1940年)
クラーク・ゲーブルと
『
結婚五年目/パームビーチ・ストーリー』
(1942年/監督:
プレストン・スタージェス
)
ジョエル・マクリー
と
『君去りし後』(1944年)
シャーリー・テンプル(左)、
ジェニファー・ジョーンズ
(右)と
・1945年、パラマウント社との契約が終了。フリーとなってからも、『卵と私』
(1947年)
、『三人の帰宅』
(1950年)
等のヒット作品に出演。
『イヴの総て』
(1950年)
への出演も決まっていたが、怪我のため降板。
ベティ・デイヴィス
が代わりに役を得た。
『卵と私』
フレッド・マクマレー
と
『三人の帰宅』
早川雪洲
と
・1950年代中盤以降はTVや舞台を中心に活動。シャルル・ボワイエと共演した舞台「
The Marriage-Go-Round
」
(1958年〜)
でトニー賞にノミネートされ、女優として最後の仕事となったTVドラマ 「グレンヴィル家の秘密」
(1987年)
でゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞した。
最後の劇場用映画
『二十歳の火遊び』(1961年)
トロイ・ドナヒューと
TVドラマ 「グレンヴィル家の秘密」
アン・マーグレット (右)と
・
1996年
、
92歳
で他界。
・AFI(アメリカ映画協会)が1999年に選定した「伝説のスター・ベスト50」で、女優部門の第12位に選出。
!
自分の顔の右側が好きでなく、アップで撮影する際は必ず左側から撮らせていた、というエピソードを残している。
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