20世紀・シネマ・パラダ
イス
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モーリス・
シュヴァリエ
Maurice Chevalier
1888-1972 (フランス)
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◆ 代表作
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ラヴ・パレイド
The Love Parade
(1929年/アメリカ) |
陽気な中尉さん
The Smiling Lieutenant
(1931年/アメリカ) |
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今晩は愛して頂戴ナ
Love Me Tonight
(1932年/アメリカ) |
メリィ・ウィドウ
The Merry Widow
(1934年/アメリカ) |
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昼下りの情事
Love in the Afternoon
(1957年/アメリカ) |
恋の手ほどき
Gigi
(1958年/アメリカ) |
◆ 芸歴70年
フランス・アメリカで大活躍したエンターテイナー
・1888年、
パリにて、3人兄弟の末っ子として生れた。幼い頃に、画家だった父親が失踪し、11歳年上の長男も家を出て音信不通となった。家計を助けるため、曲芸師にな
ることを思い立ち、4歳年上の兄を誘ってトレーニングをしたが断念したという。大工や電気技師の見習いなどをしていたが、
町のカフェに頼み込んで歌を唄うになった。1901年、まだ12歳の時だった。
・人気歌手・芸人となり、短編映画『Trop credules 』(1908年)で
銀幕デビュー。
・1909年、当時人気のあった女性歌手フレエル(1891-1951年)のパートナーとなったが、彼女はアルコール依存症で問題も多く、2年後に関係を解消した * フレエル …
『望郷』(1937年)等に出演。
・1911年、「ミュージックホールの女王」ミスタンゲット(1873-1956年)と共演。舞台は大人気となり、短編映画『Une bougie recalcitrante』(1912年)で共演もした。 |
・年齢も、歌手・芸人としてのステータスもミスタンゲットの方が上だったが、2人は私生活
でもパートナーとなった。
シュヴァリエは第1次世界大戦に召集され、前線で負傷し、ドイツの捕虜収容所へ入れられたが、ミスタンゲットが中立国のスペイン王室などに働
きかけたおかげで解放された。
その後、ミスタンゲットの尽力で舞台活動に復帰したが、シュヴァリエの人気が高まるにつれ、2人の関係は悪化していき、パートナーシップを解消した。
(右の写真)ミスタンゲットと |
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・1920年代、パリのレヴュー界で最も人気のあるエンターテイナーとなり、ハリウッドに招かれた。英語は収容所での2年間で勉強していたという。
・『レヴューの巴里っ子』(1929年)でハリウッド・デビューし、2作目の『ラヴ・パレイド』(1929年)が大ヒット。台詞が歌になるという、後のミュージカル映画の原点となる“シネ・オペレッタ”というジャンルを確立した。
『ラヴ・パレイド』と『チュウインガム行進曲』(1930年)の2作品の演技により、アカデミー賞主演男優賞にノミネートもされた。 |
・『ラブ・パレイド』のエ
ルンスト・ルビッチ監督とは、『陽気な中尉さん』(1931年)、『君とひととき』(1932年)、『メリィ・ウィドウ』(1934年) 、『LaVeuve
Joyeuse 』(1935年/フランス)の合計5作品で組んだ。また、『ラヴ・パレイド』でデビューしたジャネット・マクドナルドとは6作品(内2作品は
フランス映画)で共演。銀幕での名パートナーだった。 |
・1930年と1932年には、ブロードウェイでコンサートも行った。
演技良し、歌も良しのシュヴァリエは世界的な人気スターとなり、1935年にフランスに帰国。『シュヴァリエの流行児』(1936年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ)等に出演した。
・第2次世界大戦後、母国フランスで『沈黙は金』(1947年/監督:ルネ・クレール)等に出演。1947年に再び渡米し、ブロードウェイでコンサート。その後も1948年、1955年、1963年、1965年にブロードウェイでコンサートを行うなど、フランス、アメリカのショー・ビジネスで大活躍した。 |
・翌1958年に出演した『恋の手ほどき』(監督:ヴィンセント・ミネリ)は、アカデミー賞で作品賞など9部門で受賞。シュヴァリエは名誉賞を贈呈された。
(下の写真)『恋の手ほどき』
の受賞者たちと。左から、シュヴァリエ、アーサー・フリード(製作者)、フレデリック・ロー(作曲家)、アラン・ジェイ・ラーナー(脚本&作詞家)、ヴィンセント・ミネリ(監督)
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・『Monkeys, Go Home ! 』(1967年)が最後の出演作となった。
(右の写真)『Monkeys, Go Home ! 』
・1968年、80歳の時にパリで引退公演。その後、ディズニー社に請われて、アニメ映画『おしゃれキャット』(1970年)の主題歌を唄ったのが、70年に及ぶキャリアの最後の仕事となった。 |
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・カンカン帽がトレード・マークで、映画ではカメラ (=観客)
に向かって、親しみやすい笑顔で語りかけるのが18番だった。
・1972年、83歳で他界。ロンドン・タイムズ誌は、「パリは、その歴史と伝統の一部を失った…」と報じた。
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