20世紀・シネマ・パラダイス
ルーベン・マムーリアン
Rouben Mamoulian
1897-1987(グルジア/アメリカ)
◆
代表作
喝采
Applause
(1929年/アメリカ)
市街
City Streets
(1931年/アメリカ)
ジキル博士とハイド氏
Dr. Jekyll and Mr. Hyde
(1932年/アメリカ)
クリスチナ女王
Queen Christina
(1933年/アメリカ)
ゴールデン・ボーイ
Golden Boy
(1939年/アメリカ)
怪傑ゾロ
The Mark of Zorro
(1940年/アメリカ)
◆
ブロードウェイでも大成功を収めたトーキー初期の名匠
・
1897年
、グルジア
(当時はロシア帝国領)
生れ。1922年にイギリスへ渡り、翌年アメリカへ移住した。
・1927年、ブロードウェイでアメリカ南部の黒人たちの生活を描いた「ポーギー」の舞台監督としてデビュー。
・『喝采』
(1929年)
で映画監督デビュー。トーチソング
(失恋の歌)
の第一人者でブロードウェイの人気スターだったヘレン・モーガンが主演。当時としては革新的なカメラワークと巧みな音声処理でトーキー初期の傑作として映画史に残る作品に仕上げた。
『喝采』(1929年)
ヘレン・モーガン
『喝采』撮影時
ヘレン・モーガン、ジョーン・ピアース(後)と
・ダシール・ハメット原案のギャング映画『市街』
(1931年)
を監督。売り出し中の
ゲーリー・クーパー
が主演。
『市街』(1931年)
シルヴィア・シドニー
、
ゲーリー・クーパー
『市街』撮影時
ゲーリー・クーパー(左)、シルヴィア・シドニーと
・『ジキル博士とハイド氏』
(1932年)
を監督。
フレドリック・マーチ
にアカデミー賞主演男優賞をもたらした怪奇映画の古典的名作。
『ジキル博士とハイド氏』
(1932年)
フレドリック・マーチ、
ミリアム・ホプキンス
『ジキル博士とハイド氏』
撮影時
フレドリック・マーチ (左)、ミリアム・ホプキンスと
『今晩は愛して頂戴ナ』(1932年)
モーリス・シュヴァリエ
、
ジャネット・マクドナルド
左から、マムーリアン、モーリス・シュヴァリエ、
マレーネ・ディートリッヒ
とその家族
・
グレタ・ガルボ
主演の『クリスチナ女王』
(1933年)
は、その年最大のヒット作品となった。
『クリスチナ女王』(1933年)
グレタ・ガルボ、
ジョン・ギルバート
『クリスチナ女王』撮影時
グレタ・ガルボと
『恋の凱歌』(1933年)
マレーネ・ディートリッヒ
『恋の凱歌』撮影時
マレーネ・ディートリッヒと
・レフ・トルストイの名著を映画化した『復活』
(1934年)
、初の総天然色長編映画『虚栄の市』
(1935年)
を監督。
『復活』(1934年)
フレドリック・マーチ、アンナ・ステン
『復活』撮影時
フレドリック・マーチ(左)、アンナ・ステンと
『虚栄の市』(1935年)
ミリアム・ホプキンス、
セドリック・ハードウィック
『
虚栄の市』撮影時
ミリアム・ホプキンス、
セドリック・ハードウィック(中央)と
・1935年、5年ぶりにブロードウェイに復帰。自身の演出家としてのデビュー作「ポーギー」のミュージカル
(フォーク・オペラ)
版「ポーギーとベス」を大ヒットさせた。大音楽家ジョージ・ガーシュウィンが作曲。
(右の写真)舞台「ポーギーとベス」の出演者たちと
『歌へ陽気に』(1936年)
ニーノ・マルティーニ、アイダ・ルピノ
『歌へ陽気に』撮影時
ニーノ・マルティーニ(左)、レオ・キャリロ(右)と
『たくましき男』(1937年)
アイリーン・ダン
、ランドルフ・スコット
『たくましき男』撮影時
アイリーン・ダン(中央)と
『ゴールデン・ボーイ』(1939年)
ウィリアム・ホールデン
、
バーバラ・スタンウィック
撮影時。左から、マムーリアン、ウィリアム・ホールデン、
アドルフ・マンジュー
、バーバラ・スタンウィック
・
タイロン・パワー
主演の『怪傑ゾロ』
(1940年)
、『血と砂』
(1941年)
も大ヒットした。
『怪傑ゾロ』(1940年)
タイロン・パワー、
リンダ・ダーネル
『怪傑ゾロ』撮影時
タイロン・パワー(左)と
『血と砂』(1941年)
タイロン・パワー
『
Rings on Her Fingers
』(1942年)
ヘンリー・フォンダ
、
ジーン・ティアニー
・1943年、7年ぶりにブロードウェイに復帰。
リチャード・ロジャース
(作曲)
とオスカー・ハマースタイン
(作詞)
のコンビによるミュージカル「オクラホマ!」を演出。ブロードウェイ・ミュージカルの新記録
(当時)
となる5年超のロング・ラン公演となった。
(左の写真)左から、マムーリアン、ハマースタイン、ロジャース
・1944年、『ローラ殺人事件』の監督を途中で解任された。
・1945年、ブロードウェイで、ロジャース&ハマースタインとの2作目「回転木馬」を演出。2年を超えるロング・ラン公演となった。
・6年ぶりの映画となる『サマー・ホリディ』
(1948年)
を監督。
『
サマー・ホリディ』(1948年)
グロリア・デ・ヘイヴン、
ミッキー・ルーニー
『サマー・ホリディ』撮影時
ミッキー・ルーニー(中央)、マリリン・マクスウェルと
・9年ぶりの映画となる『絹の靴下』
(1957年)
を監督。
『ニノチカ』
(1939年)
のミュージカル版。
『絹の靴下』(1957年)
フレッド・アステア
、
シド・チャリシー
『絹の靴下』撮影時
フレッド・アステア(中央)、シド・チャリシーと
・『ポーギーとベス』
(1959年)
、『クレオパトラ』
(1963年)
の監督を途中で解任されたため、自身16作目の『絹の靴下』 が最後の作品となった。
*
『ローラ殺人事件』、『ポーギーとベス』は
オットー・プレミンジャー
、『クレオパトラ』は
ジョセフ・L・マンキーウィッツ
が監督した。
・1982年、全米監督協会の生涯功労賞を受賞。
・
1987年
、
90歳
で他界。
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