20世紀・シネマ・パラダ イス

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Ninotchka

       ニノチカ
        Ninotchka
        監督:エ ルンスト・ルビッチ
        (1939年/アメリカ)
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 クール・ ビューティー、ガルボが初めて挑んだコメディの傑作

 ‘Siren’が、‘警報’ではなく、‘美人’を指していた 時代のパリ…。 

 ソビエト政府が貴族から没収した宝石を売りさばくため、パリへ派遣されたロシア貿易委員のブリヤノフイラノフコパルスキーの3人は、一流ホテル のあまりの豪華さに目を奪われ、指定された安ホテルではなく、一流ホテルのスイートルームに宿泊してしまった…。 Ninotchka-1

Ninotchka-2  パリに住んでいる旧ロシアのスワナ大公妃は、 今はホテルのボーイをしているラコーニン伯爵から、かつて彼女のものであった宝石が、パリで売りに出されることを知らされた。
 スワナ大公妃の愛人であるフランス人貴族レオン・ダルグー伯爵が、 宝石を取り戻すために行動を開始した。

 ダルグーは、ロシア貿易委員の3人が宝石商と商談している部屋へ乗り込み、宝石の売買を禁 じるよう裁判所に訴えたと告げ、商談を中止させることに成功した。 Ninotchka-3

Ninotchka-4  ダルグーは、豪華な食事と酒、そして、タバコ売りの娘たちを部屋に招き入れ、3人をまんま と懐柔し てしまった。

 ロシア貿易委員の3人は、大公妃が宝石の所有権を主張したため、利益は折半が妥当だ、との 報 告 書を政府に送り、その返答を待つ間、すっかり羽目を外していた。そこへ、3人の権限を撤廃し、代わりの特別全権使節を派遣したとの政府からの電報が届い た。 Ninotchka-5

Ninotchka-6.  下手をしたらシベリヤ送りとなってしまう。3人は大慌てで普段着に着替え、モスクワか らの特別全権使節を出迎えに駅へ向かった。
 3人の目の前に現れたのは、筋金入りの女性共産党員ニノチカだった。


  


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 『ニノチカ』 の予告編



   主な出演者など 

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ニノチカ役グレタ・ガルボ
ダルグー伯爵役 … メルヴィン・ダグラス
スワナ大公妃役 … アイナ・クレアー
ラジーニン役 ベラ・ルゴシ

 ・映画の宣伝コピーは「Garbo Laughs」(ガルボが笑う)。彼女 の初のトーキー作品『アンナ・クリスティ』(1930年)の「Garbo Taiks」(ガルボが喋る)をもじったもの。
 映画製作にあたり、まず、「Garbo Laughs」のコピーが決まり、それに即して脚本が書かれた。
 (右の写真)撮影時のガルボとルビッチ監督
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 ・原案は後に、ルビッチ監督の 『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)も手がけることになるメルヒオル・レンジェル。
 脚色は、ルビッチ監督の前作『青髭八人目の妻』(1938年)でコンビを組んだビリー・ワイルダーと チャールズ・ブラケット、更にワルター・ライ シュが手がけている。

 ・ガルボは特別全権使節として登場するシーンではノーメイクで撮影に臨んだと言われてい る。

 ・ダルグー伯爵役には、スペンサー・トレーシーウィリアム・パウエル、ロバー ト・モンゴメリー、ケーリー・グラントなどの名前があがっていた。
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 ・アカデミー賞では、作品賞、主演女優賞、原案賞、脚色賞の4部門でノミネートされたが無 冠 に終わった。

 

 ・1955年、本作をミュージカルにアレンジした舞台『絹の靴下』がブロードウェイで上演 され大ヒット。主役はドン・アメチーヒルデガルト・クネフが務めた。
 そして、『絹の靴下』は、フ レッド・アステアシド・チャリシー主演で映画化(1957年/監督:ルーベン・マムーリアンも された。
 (右の写真)『絹の靴下』フレッド・アステア、シド・チャリシー
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  ピック・アップ … メルヴィン・ダグラス

Melvyn Douglas
  Melvyn Douglas 1901-1981  (アメリカ)

 ・1901年、ジョージア州生まれ。高校を中退して演劇の世界へ。

 ・1928年、ブロードウェイ・デビューを果たし、『今宵ひととき』(1931年/ 監督:マーヴィン・ルロイで、グロリア・スワンソンの相手役に抜擢され、銀幕デビューを果たした。

As You Desire me Captain_courageous
『お気に召す儘』 (1932年)
グレタ・ガルボと
『我は海の子』(1937 年/監督:ヴィクター・フレミング
フレディ・バーソロミュー

Angel Two-Faced Woman
『天使』(1937年/監 督:エルンスト・ルビッチ)
 マレーネ・ディートリッヒ
『奥様は顔が二つ』 (1941年/監督:ジョージ・キューカー
グレタ・ガルボと

 ・ブロードウェイの舞台「The Best Man(1960年)でトニー賞、映画『ハッド』(1963年)で アカデミー賞助演男優賞、TVドラマ「Do Not Go Gentle Into That Good Night(1969年)でエミー賞を受賞。アカデミー賞、トニー賞、エ ミー賞の演技賞3冠を制した数少ない名優の1人。

 ・『父の肖像』(1970年)で、アカデミー賞主演男優賞候補となったが受賞は逃した。
Hud I_Never_Sang_for_My_Father
『ハッド』(1963年) ポール・ニューマン(右)と 『父の肖像』(1970 年) ジーン・ハックマン (右)と

 ・『チャンス』(1979年/監督:ハル・アシュビー)で、2度目のアカデミー賞助演男優賞を受賞。
 (右の写真)『チャンス』 ピーター・セラーズ(左)と

 ・フレッド・アステアと共演した『ゴースト・ストーリー』(1981年)が遺作となった。同作品の公開 前に、80歳で他界。
Being There


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